6-3
さて、サクラにビアンカとネラを紹介したのはいいが、どうしたものか。
以前に聞いたハインツの見解によれば、サクラが限界を超えて成長出来たのは私の応援のおかげらしい。
ただ、それだけではなくて、応援によって限界を超えて働き、死にかけ、そこから回復し、さらにその際にマルゴーの新鮮な空気を吸う事によって成長した、とかそのような事を言っていた。
なるほど。
となれば。
ビアンカとネラを力いっぱい応援してやり、死ぬような目に遭ってもらい、マルゴーの新鮮な空気で回復してもらえば限界を超えて成長出来る、ということだろうか。
そう考えながらちらりと2匹に目をやると、ぶるりと震えあがったように見えた。
その光景を見たサクラは満足げに頷いている。相変わらず賢い馬だ。
「……ルーサー先生の協力が必要ですね。それと暇そうならユージーン様も護衛として連れていきましょう。死にそうな目に遭うとしても、本当に死なせてしまうわけにはいきませんし」
さて彼らはどこにいるのだろう、と考えながらサクラたちを連れて厩舎を出た。
すると裏庭で『餓狼の牙』のヒーラー、ルーサーと魔法使いのレスリーが待っていた。
「ルーサー先生。ちょうどいいところに。あ、レスリー様はお久しぶりですね」
アングルスへの出稼ぎから帰って来ていたのか。
私はスカートの端を摘んで礼をした。
「……ああ。ご無沙汰だな、お嬢」
レスリーが言葉少なに返事を返す。
ユージーンやルーサーに比べればぶっきらぼうな物言いだが、口数が少ない彼にとってはこれが普通だ。以前、初めて会った時も、必要な事以外はほとんど話していなかったように思う。
「まあ、僕らもお嬢を探していたからね」
ちょうどいいところに、の返事だろう。ルーサーが肩をすくめた。
「旦那にお嬢のお守りを頼まれたんだよ。その子犬と子猫、鍛えるんなら治癒魔法が必要でしょ」
父がルーサーを手配してくれたらしい。
さすがに、「犬猫を鍛えて護衛にしろ」と言ったまま放置というわけではなかったようだ。
「ありがとうございます。ということは、報酬は父から?」
彼らは傭兵である。
いや、最近は色々なところで日雇いめいた仕事をしているからフリーターだろうか。そういう身分は今世では聞いた事がないが。
いずれにしても、仕事をしてもらうのであれば対価を支払わなければならない。
そこをなあなあにしておくと大抵はロクな事にならない。
いつでもどこでも、金銭的なトラブルというのは厄介なものなのだ。
「まあ、そうなるね。別にお嬢が特別手当をくれてもいいけど?」
「そうですね。何か特別にお願いしたい事があれば、そうさせていただくかもしれません」
学園にいた時もルーサーには何度か細々した事を頼んでいる。慣れたものだ。
しかしその様子を見たレスリーは胡乱げな視線をルーサーに向けた。
「……こちらからお嬢に──依頼主でもない護衛対象に金銭をねだるのか? それはお前、傭兵としてどうなんだ」
「もちろん、特別手当の如何に関わらず護衛とサポートはきっちりやるさ。僕とお嬢が言っているのはそれ以外の事だよ。依頼内容とは直接関係しない内容のちょっとしたお仕事とかね」
法に触れる事はさすがに引き受けてはくれないが、ルーサーはお金である程度私の頼みを聞いてくれるので助かっていた。
グレーゾーンかなと思える事でも、ルーサーの中で問題なければ普通に請け負ってくれる。
と言っても、例の野外学習襲撃の件で学園に上げる報告内容をマルゴーに都合のいいように変えてもらったくらいだが。
「そういうことです。ルーサー先生には以前から、お金を渡してちょっとイケない事とかをしてもらったりしています」
私がそう言うとルーサーはザッと音が鳴るのではという勢いで顔色を青くし、レスリーはゴミ屑を見るような目でルーサーを睨んだ。
「……お前とは長い付き合いだったが、ここまでのようだな。さすがにこれは旦那に報告せざるを得ない」
「待て! 違う! 誤解だ! お嬢、言い方! 言い方が悪いよ! 別にやましい事なんて何もしてないだろ!」
「でもルーサー先生も、本当だったらこれはイケない事なんだけどねって言って、色々してくれたりしたじゃないですか」
「わざと言ってるだろお嬢!」
なるほど、少々グレーなだけであっても、おおっぴらに言うのはやはり良くないらしい。
悪い事は出来ない、ということだ。
必死に弁解するルーサーの努力の甲斐もあり、どうやらチーム内での決定的な不和は避けられたようだった。
ルーサーはこれ以上この話は続けたくないと言わんばかりの勢いで、私とレスリーを連れ、使用人用の馬車を借りて屋敷を後にした。
◇
「どこに向かっているのでしょう」
幌付き馬車の荷台に横向きに備え付けられたベンチのような椅子、そこに私と向かい合って座るレスリーに尋ねる。ルーサーは御者席だ。
使用人用の馬車というのは、我が家に勤める使用人たちが主に買い出しなどのために使う車体だ。基本的には荷物を運ぶための物であり、人を乗せるためのスペースはない。
しかし買い物中の荷物の見張りなど、御者1人では何かと不便な事も多いため、一応は人が乗る事も出来るように荷台に折り畳み式のベンチが取り付けられている。荷物だけを乗せる場合はこれを畳み、スペースを確保するという訳だ。
ただ、地方領主であるマルゴー家の使用人が買い出しに行く事は少ない。
なぜなら、基本的に必要な物がある時は商人の方を呼びつけるからだ。
ゆえにこの馬車もそう使われる事もなく、正式に家に仕えているわけでもないルーサーが簡単に借りられたのも使う予定がないからだった。
そんな馬車だから整備もなおざりである。普段乗っている馬車に比べればその乗り心地は最悪のひと言に尽きるが、だからと言ってそれを表に出すのは美しくない。
私は耐えがたい尻の痛みに必死で耐えていた。
この苦行がいつまで続くのか、それだけは知りたい。
せめて目的地さえわかれば、耐えられるかもしれない。
「……森だな。そこで魔物を探す。
マルゴーの子供は小さい頃からそこらでゴブリンを狩り、小遣い稼ぎをしながら身体を鍛える。そのやり方が犬と猫にも通用するのかわからんが、どのみち傭兵の俺たちにはそのくらいしか思いつかない」
「なるほど……」
ビアンカとネラを鍛える話を彼らにした記憶がないが、厩舎の外で聞き耳でも立てていたのだろうか。
何にしても森ならばそう時間はかからないだろう。
私が耐えきれずに泣き言を言い出すよりは早く着きそうだ。
「そういえば、ルーサー先生とレスリー様だけなのですね。ユージーン様はどちらに? それと、サイラス様はまだ出稼ぎですか?」
「……出稼ぎ? 出稼ぎか。まあ、そう言えなくもないが、今は違うな。ユージーンとサイラスは別の仕事を請けてそっちに行っている。本来なら俺とルーサーもその予定だったが……まあ、暇を出されてな。それでお嬢に付き合う事にした」
つまり、ルーサーとレスリーは戦力外通告を受けてしまったということだろうか。
私は2人に同情した。
同情はしたが、それはこの尻の痛みとはまったく関係がないと思い直し、いつも使っている馬車を借りて来なかったルーサーを恨んだ。
屋敷を出て少し進み、尻の痛みも回復はしないまでも少し慣れ始めてきた頃。
馬車の荷台が突然シェイクされた。
「きゃあ!」
「お嬢様!」
シートベルトも何もない荷台では、そうした衝撃を受けた際に身を守るものは何もない。
隣に座っていたディーが咄嗟に私を抱き抱えてくれたため、私は怪我ひとつなくやり過ごす事が出来たが、代わりにディーは荷台のいたる所にぶつかり、2人分のダメージを受けてしまった。
「──ディー、大丈夫ですか!?」
「……はぁ……はぁ……」
ディーは荒い息をついている。
見た目では特に怪我をしていないようだが、もしかしたら内臓に重篤なダメージが入っているのかもしれない。
「お、お嬢様、なんかいい匂いしますね……」
重篤なのは脳だった。いやこれは元からか。
考えてみればディーもマルゴーの民。しかも私の側仕えとして最低限の訓練は受けているはず。
交通事故くらいでどうこうなるほど柔ではなかった。
「私は毎日入浴後に香油を使って肌と髪をケアしていますからね。
そうだ、ビアンカとネラは?」
荷台の中を見渡してみると、ベンチから転げ落ちたレスリーの上に真っ白い毛玉と真っ黒い毛玉が並んでちょこんと座っていた。
私の言葉と視線にそれぞれ「きゃん」と「なー」と鳴いてみせた。
特に怪我などはしていないようだ。
「よかった。無事だったのですね」
「……この状況を見て無事だと判断するお嬢の性格はどうかと思うが……。というか、無事かどうか俺には聞かないのか」
「マルゴーが誇る優秀な傭兵チーム『餓狼の牙』のメンバーなのですから、ちょっと馬車の中で転がったくらいでは怪我などしないでしょう」
「……まあ、そうだが」
レスリーはそう言うと、何事もなかったかのように起き上がった。
彼の上に乗っていたビアンカとネラは急に動いた敷物を迷惑そうに見ながら飛び降りる。
「とりあえず、外に出てみましょう。何があったのか、ルーサー先生に聞いてみなければ」
荷台から外に出ると、ルーサーはすぐに見つかった。
御者席は荷台と違って壁も幌もないため、御者をしていたルーサーは見事に投げ出されたようで、街道に座り込んでいたからだ。
そして彼の前には頭を下げている人物がいた。
「ルーサー先生。地面に直接腰を下ろすのはあまり衛生的とは言えませんよ。非常勤とはいえ教職員、しかも最も衛生面に留意すべき治癒士なのですから、そういう不衛生な行動は控えていただかないと」
「お嬢。そこじゃないだろう。まずはルーサーの前で頭を下げている人物について誰何すべきだ」
言われてみればそうだった。
真理を探求する──者が多いと一般的には言われている──魔法使いだけあって、こんなときでもレスリーは冷静だ。
おそらく元々彼が『餓狼の牙』のブレーンを務めていたのだろう。
そんなレスリーが出稼ぎで不在だったため、きっとルーサーは金にがめつくなってしまいユージーンはヒーローごっこにかぶれてしまったのだ。
そんな重要人物を戦力外通告とはとんでもない。
これは今度ユージーンに会ったらひと言言ってやらねば、と決意した。
「それで、ええと、貴方はどちら様ですか? 座りこむルーサー先生に頭を下げているという事は、今の馬車の事故には貴方が関わっているのでしょうか」
「ひえっ! な、なんて綺麗な……! ままま、まさか、お貴族様ですか!? お貴族様が、なんでこんな荷馬車から……!?」
頭を上げたその人物は、私の顔を見ると腰を抜かしてしまった。
買い物用の荷馬車から美しい私が下りて来たのがおかしかったからだろう。
確かに、いつもの馬車と違って尻は痛いし事故には遭うし、およそ貴族の乗る物ではなかったが。
「ああ、申し訳ありません。人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るものですよね。私はミセリア・マルゴー。このマルゴー領を治めるマルゴー辺境伯ライオネルの子です。貴方は?」
「りょりょりょ領主サマの!? はふう」
私の名乗りを聞いた男はそのまま後ろに倒れてしまった。
幸か不幸か、腰を抜かして座り込んでしまっていたため頭を打ったりはしなかったようだ。
気絶した男の胸の上で、彼が抱きかかえていたらしい一羽のヒヨコが不思議そうに私を見ていた。
鶏枠登場




