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ミセリアが退室していくと、ライオネルは溜め息を吐いた。
さすがに犬や猫を護衛にしろというのは無理があったかとも思ったが、なんとか押し切ることが出来たようだ。
ミセリアを再び学園に通わせるというのは、驚くべきことにコルネリアから言われた事だった。
あれほど頑なにミセリアを屋敷から二度と出さないと息巻いていたというのに、どういう心境の変化なのか。
ライオネルはそう考えて妻を問いただしたが、その返答は考えてみれば当たり前のことだった。
せっかく出来た友達を、失いたくない。
ミセリアにそう言われたのだという。
元々ミセリアを学園へ遣ったのは王女と友誼を結ばせるためだった。それを足掛かりに再び王家とマルゴー家の結びつきを強め、インテリオラ王国の行政と軍事のバランスを安定化させる。
それが目的だった。
狙い通りにミセリアは王女マルグレーテと懇意になり、その伝手を使ってハインリヒとゲルハルト王子も繋がりを持つ事ができた。
ならばもはや、ミセリアを学園に行かせる事になった当初の目的は消滅していると言える。
それによって例えミセリアと王女が疎遠になったとしても、後はハインリヒとゲルハルトが繋いでくれるだろう。
出来ればライオネルと王太子クリストハルトの間でも個人的な繋がりを持っておきたかったが、滅多なことではマルゴーから離れられないライオネルではそれは難しい。
ともかく、領外におけるミセリアの仕事はすでに終わっていると言っていい。
そう判断したからこそ、ライオネルはコルネリアの「学園を辞めさせる」という話に同意したのだ。
ミセリアから友を奪いたくないから退学の件は考え直したい。それはライオネルもよくわかった。
しかし当主として、そうころころと方針を変えるわけにはいかない。
ミセリアの退学の件はまだ公にしたわけではないが、口止めはしているにしろ屋敷の使用人たちの中には知っている者も多くいる。
しかも方針を変えたのが妻や娘のお願いだからとなると、ライオネル自身の沽券にも関わる。
そして当然、ライオネルとしてもミセリアを危険な場所に行かせたくはない。
世間一般の認識からすればマルゴー領というのは大陸のどこよりも危険な場所とされているが、ライオネルにしてみれば自分の力の及ぶ範囲という意味で世界のどこより安全な場所だった。
どんな悪い輩がいるかも知れない領外にミセリアを出したくない。
これはライオネルもコルネリア同様、結社とやらいう怪しげな組織にミセリアが襲撃されたことで改めて思い知った事だった。
そうして、行かせたくはないが辞めさせたくもない夫婦2人の意見をすり合わせた結果、妥協案として、信頼できる護衛を用意出来れば行かせてもいい、という形に落ち着いたのだった。
何らかの条件を設け、それを達成した場合に許可を出すという形にすれば、貴族家の当主としても最低限の体裁は保てるだろう。
「──しかし父上。さすがに犬猫を護衛にするというのはやりすぎなのでは」
「なんだハインリヒ。ではお前は、きちんとした護衛を付けてミセルを外に出してやりたいと言うのか」
「いえそれはありませんが」
「ふん。条件は出した。達成さえすれば、私も快くミセルを送り出すさ」
直接ミセリアから泣きつかれたわけではないライオネルは、コルネリアよりもまだ「行かせたくない」気持ちの方が強かった。
だから条件として無理難題を課す事で、絶対にミセリアが領地から出ないようにしようと考えたのだ。
それが犬や猫の護衛という案である。
犬猫を調教し、護衛として使えるようになれば復学を認める。
普通に考えれば頭のおかしい条件だ。
しかしミセリアは普通の馬車牽き用の馬を軍馬も裸足で逃げ出す程の魔馬に育て上げた実績がある。マルゴー家のかかりつけの獣医の話では、どうやらまだ成長途中のようで正確な種族はわからないらしいが、すでに普通の馬でないのは間違いない。
不可能な提案では当主としての器も疑われようが、ミセリアであれば絶対に不可能とは言い切れない。それは使用人たちも理解しているはず。
これなら条件としてギリギリ妥当と言えるだろう。
マルゴーに生まれた者ならば、例え犬猫であろうとも普通の動物よりは強く賢く育つ傾向にある。
しかしそれでも限度はある。しかも今回ミセリアに与えた犬種は番犬や猟犬ではなく、完全な愛玩用である。猫もそうだ。
さすがにあれらを戦闘に耐えうる護衛にまで成長させるのは、いかにミセリアと言えども出来るはずがない。
条件としてギリギリ妥当ではあるかもしれないが、達成は限りなく不可能に近いはずだ。
「……いや、犬猫を育てて護衛にしないと復学は認めないって、十分大人げないし体裁も何もあったものではないような……」
「何か言ったかハインリヒ」
「いえ何も。それより父上、結社の件ですが」
「ああ」
これまでミセリアが結社を名乗る不届き者に襲われた時は、偶然その場に居合わせただけという状況ばかりだった。
しかし今回、結社は明らかにミセリアの誘拐を狙って仕掛けてきた。
ライオネルやコルネリアが過剰に反応してしまったのもそのせいだ。
「領地や屋敷にちょっかいをかけてくる程度なら、手間もかかるし放っておいてやってもよかったが……」
ミセリアを狙うのであれば容赦は出来ない。
『悪魔』を尋問した限りでは、最初の事件にミセリアが関わっている事を結社は知らないようだった。
加えてミセリアの持つ力も知られているなどとは考えられなかったし、まさか狙われるとは思っていなかった。
マルゴーの人間というのは長年、魔物だけを相手にして戦っていたせいで、人間相手の抗争というのはあまり得意ではない。
魔物は人質など取ったりしないし、魔物相手に人質など取っても意味がないので、そういう発想が抜け落ちていたのだ。
「まったく、人間というのは本当に度し難い。これなら魔物のほうがずっとマシですね」
「本当にな。それで、報告は?」
「はい。元『隠者』のアインズの証言を元に、フリッツたちはすでに『女教皇』の居城を目視確認出来る位置まで到達したそうです。
ただ連絡のラグを考えるとこれは二日前の情報になりますので、今頃はもう陥落させているかもしれませんが」
半ば廃人になってしまった『悪魔』や『死神』と違い、『隠者』はこちらに協力する姿勢を見せている。
ハインリヒの【支配】で確認してみたが、どういうわけだかミセリアに対する異常な忠誠心を持っているようだし、『隠者』自身もミセリアを狙った結社に怒りを燃やしているようだった。
そこでフリードリヒをリーダーに、ユージーン、サイラス、クロードに案内役のアインズを加え、5人でアインズの知る結社の拠点を襲撃させる事にしたのである。
アインズは当初、「たったの5人で結社の拠点に襲撃を!?」と慄いていたが、『悪魔』や『死神』程度の相手なら数人いても問題ない。今回はフリードリヒもユージーンも手を抜く理由はないし、羽目を外し過ぎないようお目付け役としてクロードもいる。
アインズの話では結社の拠点は全部で3ヶ所あるらしいので、そのうちのひとつなら幹部とやらも多くて7人くらいしかいないだろうし、5人もいれば十分だ。
「まあ、すぐには陥落させられんとしても、拠点が攻められているような状況でこちらにちょっかいをかけてくるような事はせんだろう。ミセルの気が済むまでは襲撃を受ける事はあるまい」
「犬猫を鍛えられるにしろ、鍛えられないにしろ、学園が始まるまでに出来なければ諦めることになるでしょう。であればあと半月と少しですし、そのくらいの時間は稼げるでしょうね」
「できれば『女教皇』とやらには話を聞きたいところだがな」
アインズの話では、元々『女教皇』の指示でマルゴーに調査に来たのだと言う。
異界の魂がどうとか、相変わらず意味がわからない理由らしいが、それが一体何であるのかは気になる。
それがこの地に存在する限り、いや存在すると結社が思っている限り、拠点をひとつ潰したところで何度でもちょっかいを出される恐れがある。
「やはり、私が行けばよかったですね」
「流石にそれは出来ん。これが公式な戦争であれば箔をつける意味でも跡取りのお前に行かせたところだが、今回のはただのカチコミだからな」
名誉も何もあったものではない。
「……まあ、言うなればいつもの魔物討伐と変わりませんからね」
「それは我が領の誇り高き魔物たちに失礼だな。ただの害虫駆除だよこれは」
 




