6-1
母を説得した翌日、護衛とやらの詳細を打ち合わせるべく父の執務室に赴いた。ディーも一緒だ。
ノックをして部屋に入るとハインツがいた。
領境の町から戻っていたらしい。
「やあミセル。今日も美しいね! この殺風景な執務室に在っても太陽のごとく輝くその黄金のっ──ぐう!」
私を見ていつもの口上を始めたハインツが急に顔をしかめて押し黙った。
私の隣ではディーも蹲っている。
心なしか空気も重い。
しかし私もこれまでの私ではない。日々成長しているのだ。
だからすぐにわかった。
これは父の【威圧】だ。
「──落ち着いたか、ハインツ」
「……ええ……父上、これ以上ないほどに……」
なるほどこうすればハインツも一瞬でクールダウンさせられるらしい。
さすがは父親だ。息子の扱いに慣れている。
このところ微妙に情けないというか、株を落とし気味なところしか見ていなかったが、さすがに締めるところはきっちりと締めてくる。
父は【威圧】を納め、ハインツとディーが立ち直ったところで話を始めた。
「話はコルネリアから聞いた。変わらず学園に通いたい、という事だったな。
コルネリアがすでに言っただろうから私からとやかく言うような事はしないが、マルゴーの外は我々が思っていた以上に危険な場所だ。
だが私としても、ちゃんとした護衛さえ付ければお前が学園に通うのを認めてやってもいいと思っている」
これには少々拍子抜けした。昨日母にしたような話をもう一度するべきかと覚悟していたからだ。
あの時は胸の内から湧き上がる想いに任せて言ってしまったが、一晩過ごして落ち着いた今、あの時のテンションで話すのは少々、なんというか、気恥ずかしい。
それをしなくて済むのはありがたい。
「……父上はね、ミセルにあんまり厳しいことを言って嫌われたくないんだよ。だから取り敢えず条件付きで認めておいて、条件の方の難易度を──っぐう!」
「──ハインリヒ。そろそろ部屋を出ていくか?」
「す、すみません父上……」
また【威圧】で黙らせたらしい。
私には効果がないので問題ないが、ディーもいちいち蹲ってしまっていて可哀相である。もし他に人がいればそれだけ被害者も増えていたことだろう。
そういえば、部屋には父と兄と私とディーの4人しかいない。
クロードがいないのは珍しい。父への説教はもう飽きたのだろうか。
まさか父が愛想を尽かされた、なんてことは。
いや、他人の事はいい。今は自分の事だ。
「ええと、護衛を付けろと言うお話ですが、具体的にはどのような? お父様には言うまでもないことですが、私は事情が事情なので、護衛の選別には慎重を期する必要があるかと思うのですが」
それこそディーのような特殊なケースでなければ務まるまい。
そのディーも選定の際にはすったもんだがあったものだった。
「コルネリアではないが、私も正直、ディートハルト1人で十分だろうと高を括っておった。それは謝らねばなるまい」
父が眉根を寄せて言う。
するとディーが突然跪いた。
「申し訳ございません! お嬢様を守り切れなかったこと、このディートリンデ一生の不覚です!」
そんなキャラだったかな、と思ったが、名目上では父が雇い主だし、その娘である私を危険に晒したのだからそういうものなのだろうか。
「いや、お前の責任ではない。
現在、我がマルゴーは結社アルカヌムと敵対関係にあると言ってよい。であれば、ああした襲撃は予想してしかるべきだったのだ。私の落ち度と言えるだろう。顔を上げよ、ディートハルト」
「いいえ、お館様。結社については、私も上役より話を聞いておりました。予想してしかるべきとおっしゃるのであれば、それは現場レベルでも同じ事が言えます。やはりこのディートリンデの──」
「もういいと言っておるだろうディートハルト。立て。立たぬのであれば、これ以上は命令違反で罰さなくてはならなくなる」
「どうぞ罰して下さいお館様! このディートリンデを!」
ああ、なんだただの茶番か。
要するに、ディートリンデと呼びたくない父と、ディートハルトと呼ばれたくないディーがじゃれているだけだ。
相変わらず緩い職場である。嫌いではないが。
ディーが頑なに抵抗するのは、先程の【威圧】の腹いせもあるのかもしれない。
ディーの性別を知らないハインツは首を傾げているが、これ以上余計なことを言えば問答無用で退室を命じられる恐れがあるからか黙っている。
その茶番はしばらく続けられたが、最終的には父が私と同様に「ディー」と呼ぶ事で決着がついた。
たぶん面倒くさくなったのだと思う。
「ふう……。ええと、何の話だったか……。そうだった、護衛だったな。
ハインツ、あのアインズなる自称騎士から話は聞いたのだったな」
「ええ。それと父上。彼は偽名ではありますが、正式な手順で王国騎士になっておりますので、自称ではなく確かな騎士ですよ」
「どうでもよい。聞きたいのはあの馬のことだ」
そうだった。
母が私にべったりで忘れていたが、あの馬の名前も聞こうと思っていたのだった。
「馬ですね。
アインズにあの時見たもの全てを報告させましたが、あの馬は結社の幹部、それも戦闘に特化した人物を一撃で粉砕したそうです。
やはり私の推測通り、限界を超えて成長してしまっているようですね。さらに何度か、瀕死からの回復時にマルゴーの瘴気を吸ったせいで、種としても変質してしまっている可能性があります。もはや馬と言っていいものかどうかも……」
「……しかし従順ではある、のだろう?」
「ええ。とはいえ、我々の事はあくまでミセルの群れの一部だから言う事を聞いてくれているといった程度ですけどね。知能は普通の馬より高いようですが、使いどころが限定されているような印象です」
なるほど。
そういえば馬は元々群れで生活する動物だった。
私に懐いてくれたので、私の群れの仲間の言う事は聞く、ということか。実にいい子である。
「ミセル。ディーのような、それでいてディーよりも戦闘力の高い護衛を用意するのは不可能に近い」
馬の報告を改めて聞き、頷いた父はそう言った。なぜ馬の報告を間に挟む必要があったのか。
しかし確かに、ディーのように美しく女装できる男などそういないだろうし、それでいてさらに戦闘力も高いとなるとまずいないだろう。
「だから護衛を人間から探すのはやめにした」
「まさか……」
あの馬に護衛をさせるつもりなのだろうか。
戦闘力はともかく、馬では学園の敷地には入れても校舎には流石に入れない。
「うむ。あの馬はお前にやろう。それから、犬と猫を一匹ずつ買ってやる。それくらいならば侍らせていても問題にはなるまい。学園には私の方からペット帯同の申請を出しておく。
お前もすでに気づいていようが、お前には【鼓舞】や【煽動】や──いや、応援した動物を限界を超えて成長させる才能がある。その力を振るい犬と猫を鍛えてみろ。
馬はまあいいが、休暇が終わる前に鍛えた犬と猫の戦闘力を見させてもらう。その犬猫が護衛に耐えられぬようであれば、お前を屋敷から出すわけにはいかん。学園を辞めろとまでは言わぬが、まあ護衛が見つかるまで休学だな。
予定通りに復学したければ、馬同様に犬猫を育ててみせろ」
犬と猫を鍛えて護衛にしろとか、父は何を言っているのか。
もしや、日ごろの激務が祟って脳に重大な障害を生じてしまったのではないだろうか。
助けるようにハインツを見たが、「ミセルなら出来るよ」と微笑まれた。兄も駄目だった。
しかし、そうしなければ学園に戻れないとなれば、無理でもなんでもやるしかない。
休暇はもう半月と少ししか残っていない。
無茶ぶりもいいところではあるが、父も母も私の事が心配なだけなのは痛いほど分かる。
それにもし父の言った通りに犬と猫を護衛に出来るくらい育てられれば、私も学園に戻る事が出来るし、父も母も兄も安心できる。新たな人件費もかからない。犬猫のエサ代くらいなら大した問題ではないだろう。
いや、馬を私にくれるということは、馬の維持費も私が払うのか。
それは結構痛いかもしれない。
執務室を辞して部屋に戻り、しばらくすると、父が手配してくれた犬と猫が届けられた。
部屋に届けられた時点でわかるのだが、犬は室内犬だった。
円らな瞳に、ふわふわの白い毛並み。
へっへっへと舌を出して、私を見つめたまま行儀よく座っている。
前世に確かそっくりな犬種がいたはずだ。
そう、ポメラニアンと言っただろうか。
猫はピンと立った三角の耳が可愛らしくも凛々しい、シャープな印象の黒猫だ。
ジャーマンレックスとかそのあたりに似ている。
私の顔を見るとしばらく動きを止めていたが、ふいにつまらなさそうに顔を背けてしまった。
別に見とれてたわけじゃないんだからね、と言わんばかりの態度である。
「あらまあ可愛いですね。よしよし、今日から君たちは私の護衛です。一緒に頑張っていきましょうね」
二匹を抱き寄せて撫でてやると、ポメラニアンが「きゃん」と鳴き、ジャーマンレックスが不機嫌そうに「なー」と鳴いた。
まるで私の言葉がわかっているかのようだ。実に頼もしい。
「よろしい。あまり時間もありませんし、さっそく経験者であるお馬さん──君たちの先輩のところへ行ってみましょう」
◇
馬一頭というのは自動車に匹敵、いやそれ以上に維持費と場所を必要とする資産だ。
そのため、裏庭に急遽私専用の厩舎が建てられる事になったらしい。
あれから裏庭には草一本生えてこないが、元より管理された庭の草木を馬に食べさせるわけにはいかないため、それは問題ない。
どうせガーデニングが出来ないのなら、馬小屋か犬小屋くらいにしか使えないだろうというわけだ。
裏庭にいつの間にか建てられていた厩舎に入り、何度か行動を共にしたあの馬に挨拶をする。
「いい子にしていましたか、サクラ」
馬には名前がなかったようなので、せっかくなので私が付けた。
彼は雄だが、何故か馬と言えばサクラという強いイメージがあったのでサクラにした。
気に入ってくれたようで、呼ぶといつも私の胸に鼻先を擦りつけてくる。
「おーよしよし。……あら、何か頭にしこりみたいなのがありますね。タンコブでも出来ましたか?」
サクラの頭頂部、ちょうど両耳の間あたりに小さな瘤がみっつほど出来ていた。どこかでぶつけたのだろうか。厩舎はかなり大きめに作ってあるので、頭をぶつけるような事はないはずなのだが。
ぐりぐり撫でまわしても痛がる様子もないので、とりあえず気にしない事にした。
「さて。それよりサクラ。こちらが貴方の後輩になる子たちです。
ええと、白い方の子がビアンカ。黒い方の子がネラです。仲良くしてあげてくださいね」




