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宿を出た私たちは街の南にある噂の雑木林を大きく迂回し、隣国メリディエスの方へ向かう。
途中、雑木林を警備する騎士たちを見かけた。サイラスの情報通りだ。
国境を越えるためのルートを馬も馬車も無しで通行する私たちには不審な目を向けられたが、彼らがいるのは雑木林の監視のためだ。多少不審でもいちいち旅人を呼び止めたりはしないはずだ。
案の定、騎士たちに声をかけられる事は無かった。
呼びとめられたとしてもサイラスやルーサーが誤魔化してくれていただろうが、私の美しさに気付かれていたら面倒な事になっていたかもしれない。
何事もなく済んだのはよかった。
雑木林を通り過ぎ、国境が近くなってくると騎士たちの姿も見えなくなった。
そこから進路を変え、街道を外れて回り込んで雑木林の南側に向かう。
「……待て。誰かいる」
先頭を歩いていたサイラスが手で制し、一同は足を止めた。
一同は、というか、私以外はサイラスが手を上げた時点で止まっていたので、わざわざ声を出したのは私の為だろう。今後も彼らと行動するなら、そういうハンドサインや合図なども覚えておく必要がある。
私の目には人ではなく豆粒のような何かにしか見えないが、サイラスが気付いたという事は相手もこちらに気づいている可能性がある。
街道から離れたこんなところにわざわざ来るような相手だ。もしかしたら盗賊のような、後ろ暗い連中かもしれない。
まあ、街道からわざわざ離れたところにいるのはお互い様なのだが。
警戒しつつ、慎重に近付いていく。
気付かれていると確信を持てるまでは近付かない方がいいかもしれなかったが、相手の目的も雑木林だった場合、林に入ってからエンカウントするのは危険だ。
ただでさえ魔物の泉があるとされている林である。見通しの悪い中で突然出会えば、魔物と間違えられて攻撃されかねない。
相手も近付いてくる私たちに気付いたらしく、その場で待っていた。
近づいていくとはっきりと見えてくる。
3人組の男で、野盗のような格好をしている。やはりそういうアウトローだったらしい。
「──そこで止まれ! お前たち、何者だ!」
野盗に誰何された。
しかし野盗にしては随分と行儀のいい言葉遣いである。
「ああ!? てめえらこそ何モンだ! こんなところで何してやがる!」
どちらかと言えばユージーンの方が野盗っぽい。
マルゴー領軍の鎧も屋敷に置いてきており、今は普段使いの革鎧だ。何の革かはわからない。領軍の鎧は目立つし重いし、普段着ている革鎧の方が性能が良いと言うからだ。それはそうなのかもしれないが、その鎧はいかにも使い古されており、やはりあまり行儀よくは見えない。
それはそれとして、質問に対して質問で返すのは美しくない。会話が進まなくなる。
答える気が無いのはこちらも相手も同じであるようで、野盗(仮)たちは素早く目配せをすると、1人が雑木林の中へ消えていった。
残った2人が剣を抜く。
ただ誰何し合っただけなのになぜか斬り合いになりそうである。
我々はお互いに意思疎通が可能な言語を持つ、文明的な人間同士のはずだ。
これではかつて私の前に連れてこられた魔物と変わらないではないか。
「……何か、後ろ暗いモンがありそうだな」
こちらも剣を抜きながらユージーンが呟く。
「……ああ。それに言葉からしても、連中はちゃんとした教育を受けてるようだ」
確かに、サイラスが言う通り野盗にしては行儀が良すぎる。それによく統率もされているようだ。目配せからの抜剣など、あらかじめ対応を決めていなければああもスムーズには出来まい。
まるで軍人である。
「……なるほど。彼らはああ見えても兵士か騎士ということですね」
と言っても、仮に彼らがここアングルスの領軍や騎士団だとすれば、領民かもしれない私たちに対していきなり剣を抜くとは考えにくい。
地元の軍人でないとしたら、どこの軍なのか。
すぐそこが国境線である事を考えれば、おそらくは隣国メリディエスの兵。
「……つまり、破壊工作ですか。外交問題、というかすでに侵略行為ですね」
最近になって突如魔物の泉が発生した林の近くで、偶然どこかの工作員が活動していた。
そんな偶然があるだろうか。
何らかの手段で彼らが魔物の泉を設置した、と考えた方がしっくりくる。
とはいえ魔物の領域はとても人の手に負える物ではない。
その小型版であるらしい魔物の泉は違うのだろうか。そこまで詳しく聞いていないためわからない。
いずれにせよ、それは今のんびりと話す事ではない。
まずは目の前で剣を構える2人を何とかしなければ。
「攻撃してこないのか? ……そうか、時間稼ぎだな。さっき林に入った1人が、おそらく仲間に知らせに行っ──」
ユージーンの言葉を遮るように、相手が攻撃を仕掛けてきた。
時間稼ぎで当たりらしい。それに気づいたこちらを積極的に攻撃しに来た、というわけだ。
しかし──遅い。
「──ったってところか、よっと!」
あっさりとユージーンに見切られ、剣を合わせる事さえなく身体を両断されてしまった。
ひとり残された敵は斬りかかろうとしていた姿勢のまま硬直し、その直後、我に返ると慌てて踵を返して林の中に逃げていった。
こちらとの実力差を見せつけられ、時間稼ぎはやめて合流を優先したようだ。
やはりユージーンは強い、というより、相手が弱すぎる。
雰囲気や態度から兵士か騎士が野盗に偽装しているのではと考えていたのだが、これほど弱いとなると違うのかもしれない。
もしかしたらちょっと変わった趣味の一般人の集まりだったのだろうか。危険だと言われている林の近くでいきなり剣を抜くのが趣味とか。いや、それはそれで始末した方が世の中の為かもしれないが。
「……後退したか。やっぱ、判断が早えな。どこの手のモンかはわからんが、そこらの野盗や素人じゃねえのは確かだ。追うぜ。お嬢もいいな?」
「……ええ。問題ありません」
ユージーンは相手の弱さを全く気にしていないようだ。
ということは、あの弱さがこの辺りの兵士としては標準なのだろうか。
サイラスは普通のゴブリンとマルゴーのゴブリンはだいぶ違うと言っていた。
もしや、人間の戦士も同様に差があるのでは。
いや、まだ結論を出すのは早計だ。サンプルとして戦った人間は1人だけである。
「……敵が人間となりゃ、こういう事もある。気になるようなら、ここで引き返すか?」
私が黙って考え込んでいるのを、敵の死を見て動揺したせいだと思ったらしい。
しかし私にとって、ろくな会話もなくいきなり剣を抜いた彼らは、分類としてはゴブリンと同じである。いや、ゴブリンであれば人に襲いかかるのは自分自身が生きるためだ。もしゴブリンと会話が出来れば、いくらかの戦闘は回避できるだろう。しかし今切り捨てられた彼らは会話が可能であるにも関わらず問答無用で襲ってきた。そういう意味ではゴブリン以下とも言える。
人型生物を殺傷するという点に思うところがないでもないが、屋敷で何度も訓練しているし今さらだ。
「いえ、行きましょう。私は大丈夫です」
強がったとかそういう事でもなくただの事実なのだが、ユージーンたちは少し痛ましげな貌で頷き、林へと分け入って行った。
まあ、いいか。
誤解を解くのは諦め、私も後を追った。
人間が通った痕跡を追い、林の中をひた走る。
走ると言ってもロケーションは林である。陸上競技のように走れるわけではない。
風景はだいぶ違うが、やっていることが近いものといえばパルクールだろうか。
もちろん、生粋の貴族令嬢である私には出来ない。
早々に体格のいいユージーンに背負われる事になっていた。
美しくないが、仕方がない。時間を見つけて練習し、いずれ出来るようになろう。
それより、ユージーンに負ぶさる事で彼の背中に膨らみを押し付けてしまわないよう気をつけなければ。
人が通った痕跡と言っても、彼らもやはりそれなりのプロフェッショナルのようで、素人の私が見ても全くわからない。
しかしサイラスは走る速度も落とさず、事も無げに追跡していく。
彼我の実力差はこうしたところにも如実に現れている。
この敵と比べれば、戦闘力なら私も引けは取らないかもしれないが、総合力では敵うまい。やはり一般人のセンは薄そうだ。
しばらくユージーンの背中で中途半端に腰を浮かせて耐えていると、やがて林の雰囲気が変わってきた。
私にとっては慣れ親しんだ、マルゴーの地に近い空気。
魔物の領域、いや魔物の泉が近いのだろう。
「……いたぞ、奴らだ」
サイラスの声に、私を背負うユージーンが足を止める。
見れば、先ほど逃げていった男とその前に林に入った男、さらに別の男が3人と、合計5人がそこにいた。
男たちは淀んで渦巻く瘴気を囲んで立っており、その瘴気に何かを振りかけているようだった。
「……ありゃ、まさか魔石の欠片か? しかも、ここらじゃなかなか見ねえ質の良さだ」
ユージーンが唸る。
魔石と言うのは魔物の体内に形成される、棘棘した宝石のような物の事だ。
何故そんな物が体内に作られるのかはわかっていないが、どうも高濃度のマナの結晶体であるらしく、さまざまな用途に使われる。
謎の男たちはそれを砕き、魔物の泉に投入しているらしかった。
魅惑のふくらみ()