5-11
当たり前と言えば当たり前のことなのだが、私の挨拶回りは中止になった。
行脚中に謎の組織に襲撃されたのだから仕方がない。
訪問する予定だった貴族家には別途使いを出し、訪問できない旨を理由と共に伝えた。
それからあの時最初に馬車に襲いかかってきた野盗たちだが、あれはフリッツとユージーンが探して始末してきたらしい。
一応背後関係も洗ったらしいが、死んだ『剛毅』という男に金を掴まされただけのようだった。
そしてその『剛毅』の情報をもたらしたアインズはマルゴー家に出頭し、全てを話して沙汰を受けると言っていた。
が、これは私が止めた。
何しろマルゴーには世界で二番目か三番目に美しい少女であるフィーネがいる。
小さい女の子が好きらしいアインズをフィーネに会わせるのは危険だと思ったからだ。
なのでアインズを擁護しておいた。
王国騎士として立派に職務を全うしているし、私の事も命がけで守ってくれたとか適当に説明したのだ。
その結果、マルゴー家に呼びつけるのは取りやめになり、ハインツが父の名代として領境の町に事情聴取に行く事になった。
心配だったので私も同行を申し出たが許可が下りなかった。
ゴネようかとも思ったが、母が扇子を握りしめたので大人しく諦めた。
あの旅の襲撃の折、『剛毅』が明らかに私を狙っていたせいだろう。
屋敷に戻ってから、母は私から離れようとしない。
ある日、自室でお茶を嗜んでいると、母が突然言い出した。
「──ミセル。学園はもう、辞めなさい」
「お、お母様? 突然何を」
親の方が学校を辞めろと言って来るとは、あまり聞かない事態だ。
もしや、学費が我が家の財政を圧迫してしまっているのだろうか。
「ごめんなさい。お母様の考えが甘かったわ」
「どういうことでしょう……」
「マルゴーの人たちは、強いわ。それも圧倒的に。これはおそらく、外から嫁いできた私が一番よくわかっています。
だから私は安心していたの。貴女自身にも多少の心得はあるし、側仕えにディーも付けている。だから何が起きても大丈夫だろうって。
けれど、世の中に完全なものなんてない。いくらマルゴーの人たちが強いと言っても、この世のどこかにはそれよりも強い人はいるわ。そしてその人が善人とは限らない。
先日の旅で、私はそれを思い知りました。いえ、思い出した、と言った方が正しいのかしら。ここにいると忘れがちになるけど、本来世界というのはそんなに優しいものではないのよ。
本当にごめんなさい。王太子殿下からのご提案は渡りに船だと思ったし、ちょうどいい機会だから貴女に外の世界を見せてあげたかったのだけど……」
先日の結社の襲撃だ。
あれがまだ、母の中で尾を引いている。
それで過保護になってしまっているようだ。
我が家の財政状況に問題があるわけではなくてよかった。
しかし、魔物のせいでこの世界の治安があまり良くない事はわかっているし、それはこの世界に生きる全員に平等に課せられている試練とも言える。
むしろ、そんな中にあってインテリオラはよくやっている方だと思う。国内最大の危険地帯である北の辺境をマルゴー家が一手に引き受けているおかげもあるのだろうが。
「ですがお母様。世界は優しくないとおっしゃるということは、マルゴーの外の皆様はそうした世界の中でしっかりと生きておられるのですよね。であれば、私が外に出て優しくない世界に晒されるのも、当然のことなのでは……」
「そうかもしれませんね。けれど、それも本来は全く必要なかった事です。
ミセル、貴女はただでさえ過酷な運命を背負って生まれてきてしまったわ。女の子に産んであげられなかったこの身を何度呪った事か。
その上さらに、進んで苦難を受けに行く事などありません。この優しいマルゴーでずっと、お母様と一緒に幸せに暮らしていればよいのです」
確かに、そうすれば私は平和で穏やかに生きていけるかもしれない。
これまでは、それもいいかと思っていた。
前世の記憶を持って生まれた事で幼い頃から理解力があったため、自分の置かれている特殊な状況もわかっていた。
だから家の指示に逆らわず、言われたとおりに過ごしてきた。
窮屈に感じる事もあったが、すでに一度は人生を終えているという自覚があったからか、ことさらにそれを不満に思う事もなかった。
「お母様……。お母様が、私を愛して下さっている事には感謝しています。でも──」
学園を辞める。
いや、母の言い分だと、学園どころか今後私を屋敷から出すことさえしないだろう。
そうなるともう、おそらく学園の知り合いと会う事はなくなる。
担任のフランツにはずいぶん世話になっている。
将来の頭皮が若干心配だが、今は問題なく豊かな髪が風になびいている。
ツァハリアスは社会科を受け持つ老教師だ。
彼のオヤジギャグには辟易するが、私以外の学生には何故か受けている。というか、あれがこの国の笑いのスタンダードであるらしい。解せない。
ただ、教師としては尊敬できる人物だ。それは間違いない。
魔法実習は全て見学なので、担当のオットマーとはあまり接点はない。
どうもハインツが学生時代に先輩だった方らしい。
一度、同じく見学のグレーテルと共に美しさを発揮してみせたところ、いたく感動していたようだった。やはり美しさは人類共通の宝だ。
学園長のパスカル翁は入学式以来見ていない。
彼も忙しいだろうし、いち学生と接触する機会などそうないのだろう。
ゆえに彼については口が臭いらしい事くらいしか知らない。
同じクラスのみんなとはそこそこ仲良くなれたと思う。
朝や帰りは普通に挨拶をするし、時々授業でわからなかったところなどを質問される事もある。そういう時はだいたいグレーテルが席をはずして私がひとりでいる時なので、たぶんグレーテルはクラスメイトから嫌われてるんじゃないかと思う。可哀相なので言ったことはないが。
ユールヒェンだけは未だに私をよく思っていない節がある。
一時ほど激しくはないものの、何となく隔意があるというか、壁を感じる。
彼女の実家、タベルナリウス侯爵家は王都を中心として手広く商売を手がけている。それゆえ、商業系の貴族派閥の盟主のような立場らしい。そしてそうした派閥の貴族たちはマルゴー家のような領地貴族をよく思っていない。そのせいだろうか。
ただ取り巻きの子たちはそこまで私に思うところは無いようで、彼女がそっけない態度を取った後などは申し訳なさそうに頭を下げてきたりする。
タベルナリウス侯爵とマルゴー辺境伯の確執は別として、ユールヒェンが私を個人的に好いていない理由としてはゲルハルト王子の態度もあるように思える。
かつてユールヒェンはゲルハルトに想いを寄せていたようだった。そのゲルハルトが、入学式で私を優先したのが許せなかったのだろう。
今はその感情が鳴りをひそめているのは、つまり、ゲルハルトではない別の誰かに興味が移ったということだ。
それが誰かは何となく知っているが、明かすわけにはいかない。
そのゲルハルトとは学年が違うのであまり会う事はないが、会えば必ず近くに寄ってくる。
学園で行動している間、私の隣にはほぼ必ずグレーテルがいるので、たぶん妹に会いに来ているのだろう。
そう、学園ではずっと、私はグレーテルと一緒にいたのだ。
グレーテル。マルグレーテ・インテリオラ。
この国の王太子の第二子の女の子、いや男の子、いや男の娘である。
彼女と過ごした時間は、私のこれまでの全ての人生からすれば、そう大した長さではない。
しかしそれでも、私に次ぐかもしれない彼女の美しさは、私を捕らえて離さなかった。
マルゴーに帰っても、同程度の美しさを持つフィーネと毎日会えるだろうから平気かと思っていた。それに、どうせ一月経てばまた会えるからと。
しかし学園を辞めてしまえば。
もう会う事は出来ない。
知らなければ、出会わなければ、一生屋敷で過ごすのでもよかった。
しかし、出会ってしまった今となっては。
「──でも、お友達が、出来たのです」
私の言葉を聞いた母は息を呑んだ。
「学園に行ったからこそ、私にもお友達が出来ました」
王侯貴族にとっては友達など、本来は柵と利益が絡む者しか存在しない。
私とグレーテルも、始まりは確かにそうだったかもしれない。
けれど、今は違う。
たぶん、グレーテルもそう想ってくれている。
「お母様、どうか、私からお友達を奪わないでください」
母は両目をギュッと瞑った。
その端からはかすかに涙が滲んでいる。
しばらく、2人お茶も飲まずにそのままでいた。
傍に控えるマイヤとディーも微動だにしなかった。
「……そうね。こちらの都合で貴女にお友達を作らせておいて、こちらの都合でそれを取り上げるというのは、確かに、そう、貴女流に言えば美しくないかもしれないわね」
私流、って。
そんなにしょっちゅう言っていないと思う。
「──わかりました。もう、学園を辞めろなどとは言いません。
でも、屋敷の外が危険である事に変わりはありません。屋敷から出る時は、必ず護衛を付ける事。これは王都へ行っても同じです。
それと、お母様は護衛付きという条件でなら学園に通い続ける事を認めますが、退学の件はお父様の承認も得てのことです。当然、お父様も説得しなければなりません。
後でお父様に相談しておきますから、詳細はお父様と話しなさい」
よかった。
先ほどは「お母様と一緒に幸せに暮らしていればよいのです」とか言っていたから、てっきり父の事は忘れているのかと思った。
これにて5章は終了、明日から6章に入ります。お嬢様が頑張って護衛を用意する系のお話になりますかね。
名前が出てきた時点でお気づきの方もいらしたかもしれませんが、アインズ・イドラーさんが『隠者』でした。
ところで皆さんは、ヤドカリという生物をご存知でしょうか。
英語で「hermit crab」、ハーミットクラブと言います。ガンダムアシュタロン・ハーミットクラブのハーミットクラブです。
このハーミットというのは実は「隠者」という意味なのですが、ヤドカリはドイツ語だと「Einsiedlerkrebs」、アインズィードラー・クレープスと言います。
そう、ドイツ語のアインズィードラーもまた隠者という意味なのです。アインズ・ィードラー……アインズ・イドラー。わかるかそんなもん。
余談ですが、Gアシュタロンは悪魔アスタロトが元になっているそうです。
アスタロトの印章はゴエティア(レメゲトンの第一書)によると、なんか色々くっついた五芒星の形をしているそうですね。
ん? 五芒星……? 5……★……
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