5-9
冒頭ちょいグロめ。
しばらく様子を見ていたが、倒れた仮面男は立ち上がらない。
鼻先を私の薄い胸に押しつける馬を宥めながら、恐る恐る仮面男に近づいていった。
馬はもう焦げ臭い息は吐いていないし、そうめちゃくちゃ体温が高いわけでもない。あれはなんだったのだろう。
その馬に頭部を蹴り抜かれた仮面男は、四肢をぴくぴくと震わせながら徐々に萎んでいくところだった。
あれで生きているのか、と一瞬ぞっとしたが、そうではなかった。
萎んでいるのは本体が死亡してスキルが切れたからだろう。膨らんでいた筋肉が元に戻っているだけだ。
誰も制御していないせいか、膨らんだ時に比べて不揃いに萎んでいるように見える。そのせいで一部の筋肉が変に収縮してしまい、ぴくぴくと痙攣しているようだ。
率直に言ってかなり気持ち悪い光景だった。
頭部も、蹴りを受けた時は穴が開いたかと思っていたのだが、今見ると上半分が吹き飛んでいる。耳の周辺は残っているので、上側が丸く削り取られたと言った方が近いだろうか。
当然貴重な仮面も粉々だ。
この男も結社とやらの人間のようだったし、出来れば生け捕りにしたかったのだが、私にはフリッツのような戦闘技術は無い。あと馬の行動を制する技術もない。仮面男は馬を殺すみたいな事を言っていたので、この結果は仕方がなかった。馬は臆病な動物なので、命の危険を感じるとパニックを起こして暴れるのだ。
今、私の胸に鼻先を擦りつけて甘えているのも、その時の恐怖感を紛らわせるためだろう。
何度か旅を共にしただけだが、この馬にとって私は仲間として認識されているらしい。嬉しいものだ。
後でトーマスにこの子の名前を聞いておこう。決めてあればだが。
「──奴は……死にましたか」
アインズが近付き、仮面男を見下ろしながら言った。
見れば、彼の後ろには黒ずくめの男たちが全員倒れていた。
彼ひとりで倒したようだ。
トーマス曰く黒ずくめたちは何かのプロだったらしいが、それよりもアインズの方が強いという事か。あるいは黒ずくめがプロフェッショナルなのは隠れんぼの技術だけで、戦闘は苦手だったのかもしれない。
なんであれ、たった1人で何人もの男を無傷で倒したのであればアインズも相当な実力者と言える。この前にも1人で野盗を追い払っているはずだし。
「お強いんですね。アインズ様」
「ははは。それほどでも──そちらの馬ほどではありません……」
心なしか、アインズが肩を落とす。馬に負けたのがくやしいのだろうか。
いい歳をしているが、実に男の子だ。
そういうのは嫌いじゃない。
「そんな事はありませんよ。
この方も、虫よりは強いようですが、我がマルゴーの馬の敵ではなかったというだけのこと」
虫刺されが怖くないくらいだし、少なくとも虫より強かったのは確かだと思う。
他に比較対象がないので、彼がどのくらいの強さなのかは分からない。
今得られる情報のみからだと、虫以上馬以下としか言いようがない。
「……スキルからすると、彼は『剛毅』か。結社の中でも、直接的な戦闘力に長けているとされている者です。それでさえ、虫扱いですか……」
そういえば、馬は基本裸だ。虫刺されとかあるのだろうか。
と考えて、意味がない事に気付いた。
矢も刺さらないのに虫の針が刺さるはずがなかった。マルゴーで生まれた馬だし、同じくマルゴーで生まれた虫になら刺される事もあるのかもしれないが。
アインズはまだどこか拍子抜けしたような感じと言うか、肩を落としているように見える。
一応もう少し励ましておくことにした。
「大丈夫です。アインズ様はお強いですよ。ただ、それよりも我が家の馬の方が強いというだけです。
でも、それは仕方のないことです。馬が人より強いのは当たり前のことですからね」
「……ええ、そのようですね。少なくともマルゴーでは……」
どこでも一緒だと思うが。
いや馬の強さはどうでもいい。
アインズには聞きたい事がある。
あの謎のスキル、そして結社を知っているらしい言動についてだ。
「アインズ様。少々お伺いしたい事があるのですが」
私がそう言うと、何を聞きたいのか察したらしいアインズは眉根を寄せて目を伏せた。どうするべきか、迷っているようにも見える。
ややあって、アインズは口を開く。
「……知る事でさらに危険になる。世の中にはそういう情報もありますよ」
そのフレーズは聞いた事がある。
実際に聞いただけで危険になるとは思えないので、聞いた事を危険な連中に知られてしまったからとかそういう話だと思う。
そうでなければ、聞きたがる相手を諦めさせるための常套句だろうか。
話したくない事を聞かれた時に言うセリフということだ。
私としても、言いたくないのを無理やり言わせようとまでは思わない。
結社についてはオッサン仮面や枯れ木職人からハインツが情報を絞り取っているだろうし、オッサン仮面が自分で言ったように幹部級だとするならそれで十分なはずだ。
ただ、アインズがなぜ知っているのか。
それを知りたいだけである。
「わかりました。では質問を変えましょう。
アインズ様、貴方は結社の方ですね?」
私の言葉を聞いても、アインズは動揺した様子を見せなかった。
この質問は予想していたようだ。予想と言うより、覚悟だろうか。
「……おっしゃる通り、私は以前、アルカヌムに身を置いておりました」
知らない単語が出てきた。
文脈からすると、アルカヌムというのが結社の正式名称だろうか。
いや私を誤魔化すために、あえてそうとしか考えようのない流れで全く関係ない町の雑貨屋とかの店名を出してきた可能性もあるが。あるいは昔通っていた幼稚園の名前とか。
まあ、だったら「おっしゃる通り」とは言わないか。
「しかし、今は違います。名前こそ──新たに自分で付けたものですが、今は真実、王国騎士です」
脱サラしてラーメン屋始めました、みたいなものだろう。
いや別の組織に所属するのだから普通に転職か。
どうやら結社とやらは私が思っていたより風通しの良い組織のようだ。結社とかいう胡散臭い呼び方からして、死ぬまで足抜け不可能とかだと勝手に思っていた。
「ちなみに、どうしてトラバ──転職なさったのですか?」
「て、転職? ……ははは。そのような和やかなものではありませんがね……。
元々、私がアルカヌムに居たのは、それしか生きるすべを知らなかったからです。どういう理由でそうなっていたのかはわかりませんが、物ごころついた時にはすでにアルカヌムで修行をしておりました。才能があったのか、若くして取り立てられ、その分野の幹部にまで上りつめました。
今にして思えば、そうした自分の能力に慢心があったのでしょうね。
私はとある任務中に遭遇した相手によって深手を負わされ、スキルでなんとか身を隠しましたが、いつ死んでもおかしくないような状況に陥ってしまったのです」
なるほど。仕事中の大怪我、つまりは労災だ。
しかしそれがきっかけで転職を決意したとなると、結社では労災だと認められなかったのだろう。この手の問題は前世でも一向に無くならなかった。
「そこで出会ったのが、ミセリア様、貴女でした。
まだ幼かったので覚えておられないかもしれませんが、私は貴女にこの命を救われたのです。アルカヌムでは基本、任務に失敗した無能は死んで当然という風潮でありました。そんな私に、幼い貴女は何の屈託もなく、命を与えてくださったのです。
その時私は悟りました。私の生はあの日あの時、貴女に会うためにあったのだと」
無能は仕事中に死亡しても当然とはブラック企業どころの話ではない。経営者がそんな事を言った事実が広まれば、即座に炎上してそのまま会社ごと燃え尽きるレベルの案件だ。
いや結社のブラック体質は今は関係ない。
それよりアインズの命を私が救ったかのような言いようだ。
まるで覚えがない。
アインズは私が幼かったから覚えていないと思っているようだが、私はこれでも前世の記憶を持っている。幼かったころもそれなりに自我は確立されていたし、そのおかげで小さい頃の事も覚えている。
確かに、基本的に私の記憶力は美しいものに優先して振り分けられているが、さすがに人の命を救ったとなれば覚えていないはずがない。
これは何かと勘違いしているのではないだろうか。
しかしそう反論してみたものの、アインズは間違いないと言って譲らない。
詳しくは言えないが場所や状況、そして何よりあの美しさは私以外に考えられないとまで言われてしまえば、まあそうかなと思ってしまう。心当たりはないが。
「本当はマルゴーにてミセリア様にお仕えしたかったのですが……。あいにくと、領軍にはマルゴーの民しか所属出来ないようでしたので、それならば、と王国騎士に。マルゴーであれば、少し働けばすぐに余所者であるとバレてしまいますが、王都は書類だけで何とかなりますからね」
つまり、王国騎士団への入団書類は偽造した、ということだ。3年前の異動の辞令がそれなのかもしれない。
マルゴー領からすると王都は遠いが、曲がりなりにもマルゴーが所属する国であるのは確かだし、そこの騎士として出世していけばいつかは私の役に立つ事もあるかもしれない、という事だそうだ。
王国騎士になったところで、マルゴーから出る事がない私の役に立つとは限らない。
そのか細い可能性に賭けて転職を決意したというのか。
回りくどいと言うか、重い。
しかし、である。
仮にアインズの言い分が全て本気だったとするとだ。
これはつまり、何かの勘違いで幼い頃の私に懸想してストーカー行為をしている、という事だろうか。
まずい事になった。
彼にはさらなる警戒が必要かもしれない。
間違っても、絶対にフィーネと会わせてはならない。
そうして男の死体を前にアインズと雑談をしていると、ふいに脳天を衝撃が襲った。
「──あいた!」
今まで生きてきて受けた事のないほどの痛みだ。
もしやこれが、知ることで危険に晒される情報とやらのもたらす物なのだろうか。だとしたら即効性が高すぎる。危険というか、もはやただの時間差攻撃だ。
「ミセル! まったくもう! お母様は馬車を下りるなと言いませんでしたか!」
涙目で振り返ると、母が扇子を握りしめて鬼の形相で立っていた。
あの扇子でぶたれたようだ。鉄芯でも入っているのか。
見れば、慌てた様子でマイヤとディーも馬車を下り、こちらに駆けてくるところだった。
トーマスは首をかしげながら馬車と馬を繋ぎ直そうとしている。
どうやらアインズのスキルの効果が切れたらしい。
「も、申し訳ありませんお母様。ですが、あれは自分から下りたわけでは」
「言い訳は結構です!」
母は強く言うと両手を広げた。
強攻撃か、と私は目をつぶった。
しかし私を包み込んだのは痛みではなく温もりだった。
「……外には賊がいるというのに、突然貴女が目の前からいなくなってしまった時の私の気持ちがわかりますか……?」
母は震える声でそう言って私を抱きしめた。
確かにそうだ。
馬車を出ようとしていた時はただ他の皆の安否だけを考えていたが、それは他の皆にしても同じ事。
私を抱く母や、駆け寄ってくるマイヤとディーも、私が想うのと同じだけ私を想ってくれているのだ。
「……ごめんなさい」
私は涙目のまま、母を抱きしめ返した。
次回はまるごと別視点の過去話です。
 




