5-8
確か、外に出ようとしてディーたちと押し合い圧し合いをしていたと思ったのだが、いつの間にか彼女らをすり抜けてしまったのだろうか。
見ればすぐそこに変わらず馬車がある。
御者席のトーマスは焦ったように辺りをきょろきょろしている。馬車の外に出てしまった私を気にもしていない。いや、もしかしてこれは私が見えていないのか。
馬は──馬も何故か馬車から切り離され、少し離れた位置にいた。
馬車との接続部分は、破壊されたというよりも自然に外れたように見える。アインズが外したのだろうか。
「──ハッ! こいつは! いやいや、確かにお嬢様を出せとは言ったがな。まさかお嬢様だけ残して馬車が消えちまうとはなぁ……。
どうやって消えたのか知らねえが、お嬢様よ。どうやらアンタ、見捨てられたみたいだな? おっと、馬も残ってるか。その馬は餞別かなんかか? それとも俺たちに対するプレゼントか?」
姿勢を正して振り向くと、フリッツ仮面やオッサン仮面に似た仮面をつけた怪しい男がいた。
その周りには全身黒ずくめのこれまた怪しい者たちがいる。
この黒ずくめは最近見た覚えがある。確か裏庭襲撃犯たちがこんな格好をしていたはずだ。
ということは、新規の襲撃者は裏庭襲撃犯の仲間、つまり例の結社の関係者だったようだ。
仮面をしている男は幹部だろう。確かあの仮面はそれなりに稀少だとかオッサン仮面が言っていた。
声や口元から判断するに、怪しい仮面男はオッサンよりも若いようだ。二の腕には筋肉が盛り上がっているが、その肌に張りもある。
先ほどまでのトーマスたちの様子からすると、この男たちは出てくる直前までどこかに潜伏していたはずだ。
姿を隠していたのならば、茂みか何かに潜んでいたのだろう。
にもかかわらず、堂々と肌を出した格好をしているのは何なのか。虫刺されとか怖くないのか。
仮面男の周りにいる黒ずくめの者たちは一切肌を晒していないので、虫が怖くないのは仮面男だけのようだ。
それより、この仮面男は今、馬車が消えたと言った。
何を言っているのだろう。馬車なら変わらずそこにある。
まさか、見えていないのか。
それはトーマスが私を見つけられないのと同じ現象なのだろうか。
「ミ、ミセリア様!? なぜ……!」
アインズが私と馬を見てうろたえている。
そういえば、仮面男はアインズの事も見えていないようだ。
しかし、アインズには私や馬が見えているらしい。
あの時、あの謎のスキルを発動したのがアインズであったとするなら、アインズだけが全てを知覚出来ているのはわからないでもない。
あのスキル発動時の感覚からすると、前回の範囲即死スキル同様、私はスキルの効果を受けなかったものと思われる。
トーマスや仮面男の反応からするに、おそらくスキルの効果は認識阻害かそれに類するものだろう。
私だけが外に出されているのは、馬車はスキルの効果を受けたため外部からの認識を遮断されたが、私だけ効果を受けなかったせいで矛盾が生じたから、とかだろうか。
であれば、効果を受けない私の方が物理的な影響を受けるのはおかしいので、馬車の方が強制的に移動した事になる。単なる認識阻害ではないのかもしれない。
足元を見れば、私は街道の真ん中に立っているが馬車は少し外れた位置にいる。私の立っているここが元々馬車がいた場所なのではないだろうか。馬車の中から外を見ていなかったので断言はできないが、普通は街道を走るだろうし、たぶん間違ってはいまい。
馬も街道の上にいる。私の立ち位置からすると、元々の馬車と馬の位置関係を考えるとだいたいそのくらい、という位置である。
「──まさか、ミセリア様には私のスキルがまったく通じないということなのか! いやしかし、まさか馬まで!?」
アインズが顔を青ざめさせて叫ぶ。
その独り言の内容から察するに、たぶん、アインズはそのスキルで私たち全員を敵から隠そうとしてくれたのだ。
しかし私と馬だけがスキルの効果を受けず、スキルの効果を受けた馬車から放りだされてしまった。
結果的に私と馬だけを敵に晒してしまう事になった。
青くなってしまっているが、彼は悪くない。たぶん私の特殊な体質のせいだ。
馬は何故だかわからない。普通に対象になったが抵抗してしまった、とかかもしれない。
いずれにしろ、これは私にとっては都合がいい。
元々、母やディーたちに邪魔されなければこうするつもりだった。
私は仮面男に向き直り、言った。
「馬車の中でお話は聞いておりました。あれがマルゴー家の馬車だと知っての狼藉なのですか?」
「もちろんだ。だからこそ、ケチな野盗を雇って襲わせたんだからな」
ごく短いスパンで二度も襲撃されたのかと思っていたが、どうやら野盗もこの仮面男の仕込みらしい。
よかった。マルゴー家に伝わるフラグ建築能力は思っていたほど高くないようだ。
いやよくない。何の解決にもなっていない。
「だがその堂々とした態度を見るに、まさかお嬢様は見捨てられたんじゃなくて自分から出てきたってのか?」
からかうように仮面男が言う。
正確に言えば、自分から出てきたというより事故で飛び出してしまったというのが近い。やはりシートベルトは偉大だった。
だがそれを言う必要はない。自ら出ようとしていたのは間違いない事であるし。
「その通りです。私も誇り高きマルゴーの子。賊如きに背を向けるような事はしません」
私は胸を張って言った。
「……はん。ご立派なこったな。てことは、馬車を消したのもお嬢様か」
いやそれは私ではない。おそらくアインズだ。
それも言う必要はないのだが、アインズの能力を自分の物であるかのように喧伝するのはちょっと気が引ける。
と、思ってアインズの方を見ると、何やら再び魔力を集束させていた。
そしてほどなくして力を抜き、額の汗をぬぐう。
「……ふう。これで、私だけを効果対象から外せたはず……」
何をしているのだろう。
「──ほう、視線ひとつで護衛を【召喚】するか。なるほどな、マルゴーに『悪魔』や『死神』が殺られたってのもガセじゃあねえようだ。そういや、『隠者』も行方不明だっつってたか。報告書でしか知らねえが」
仮面男が私を警戒するように身構えた。
「そういうことなら、お嬢様を確保しろって上の指示も頷ける。単にマルゴーに対する人質ってだけの意味かと思ってたが、違ったようだな。
【召喚】こそ我らが求めし秘術の一端。お嬢様を結社に丁重に招き入れ、結社のためにその力を振るってもらう」
何か誤解がある。
私の目からはアインズが1人で決めポーズをしていたようにしか見えなかったが、仮面男からはアインズが突然現れたように見えたらしい。召喚とか言っていたし、私がそういう特殊な何かで呼んだと思われている。
私は弁解しようと仮面男に向かって一歩足を踏み出した。
と、すかさず馬が私と仮面男の間に割って入ってきた。
まるで私を守ろうとするかのように力強く大地を踏みしめ、仮面男を睨みつけて荒い息をつく。
「グルルルル……」
馬ってこんな低い声出るのか。
聞いた事のない声だったので驚いた。
さらに剥き出しの口元からは牙のようなものも見える。馬の歯などじっくり見た事がなかったが、マルゴーの草はもしかしてこんな牙でもなければ噛み切れないほど硬いのだろうか。馬も大変である。
加えて焦げ臭い煙のようなものも吐いていた。確かにここはマルゴーからすれば南寄りになるが、息が白くなるほど寒くはないと思うのだが。ちょっと体温が高めなのかもしれない。
そして馬の後を追うようにアインズが駆け付け、馬と並んで仮面男に剣を向けた。
「貴様、結社の者だな。その得物……『剛毅』か? 『戦車』か?」
アインズの言葉を聞いた仮面男は口元を歪ませる。
「……フン。『隠者』か『悪魔』にでも聞いたか? 『死神』は喋るくらいなら死ぬだろうしな。まあいい。
だが、言うと思うか? お嬢様をここで捕らえるのは確定事項だし、お前らは最終的に殺すから情報が漏れる心配はねえが、だからと言って教えてやる義理はねえ」
仮面男も背中に背負っていた巨大な剣を引き抜いた。
「馬は俺がやる。お前らは護衛の騎士の方をやれ。一応、生かしておけそうならそうしろ。どこから結社の情報を聞いたのかは興味がある。ヘマした間抜けどもが情報源ならまだいいが、違うようなら問題だ」
仮面男の言葉に、彼の周りに控えていた黒ずくめたちも一斉に短剣を構えた。
黒ずくめたちは言われた通り、皆アインズに狙いを定めているようだ。
仮面男は馬を睨みつけている。
私はちょっと驚いた。
常識的に考えて、人間が剣1本を担いで馬と戦うとか正気の沙汰ではない。
馬は基本的に温厚で臆病な動物だが、決して弱いわけではない。
体重だけ見ても、少なく見積もっても人間の五倍以上はある。
ほとんどの格闘技が体重別で分けられていることからもわかるように、近接戦において体重差というのは絶望的な壁になる。
もちろん、この世界においては体重差よりも重要なものもある。
スキルや魔法による戦闘力の底上げだ。
スキルの中には常時発動で能力値を上げるものもあるというし、これらの有無は確かに体重以上に重要である。
しかしながら、私は最近、体重よりもスキルよりも、もっと重要なファクターがある事に気が付いた。
それは生まれの差だ。
この世界には二種類の生き物しかいない。
すなわち、マルゴー生まれかそうでないか。
あの仮面男が剣1本で戦おうとしているのは、マルゴーで生まれた馬である。
だからより正確に言うなら、人間が剣1本を担いでマルゴー産の馬と戦うとか正気の沙汰ではない、になるだろうか。
「──来い! 揺るぎなき力よ! 【獅子神】!」
仮面男が何かのスキルを発動した。
すると周辺に漂う魔力が一斉に仮面男に集まっていく。
見る間に男の筋肉が盛り上がり、服がぴちぴちになる。
内側から破ったりするのかな、と思って見ていたが、そこまではしないようだった。
魔力の集束の様子からするに、オッサン仮面や裏庭枯れ木職人、そしてアインズの使ったスキルと同系統のものだろうか。
ただ、それらとは違う不思議な感覚もあった。
いつも感じる、この力は私には効かない、という感覚がなかったのだ。
さりとて通用するという風でもなく、何と言うか、あまり関係ないものといった感じがしたのだ。うちの子じゃなくてよその子ですよとかそんな感じと言おうか。
もちろん仮面男の筋肉を膨らませるスキルなど私と直接関係する事などあるまいが、そういう意味ではなく、もっと根源的な何かによる感覚だ。
なんだろう、と思っているうちに、筋肉でひと回り膨らんだ仮面男は行動を開始していた。
仮面男が大地を蹴る。
その瞬間、何かにぶん殴られたかのような衝撃が私を襲う。
それが何なのか、一瞬分からなかったが、すぐに分かった。
目の前から馬が消えていたからだ。
そして足元には抉られた地面。
おそらく、今のは馬が駆けだした際の衝撃だろう。
目の前で馬が出走するシーンには立ち合った事がなかったので知らなかったが、これほどまでに強い衝撃がくるものなのか。
「あっ」
と思った時にはもう、馬の前脚の蹄が仮面男の仮面を砕き、頭部に穴を開けていた。




