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アインズの掛け声や野盗らしき者の叫び声が断続的に聞こえていたが、しばらくすると「割に合わねえ! 退くぞ!」という声と共に静かになった。
そのままさらに少しの間、誰も何も言わずに黙っていると、客室内のディーが「野盗の気配はもう無いようです」と呟いた。
そしてそのディーをマイヤが睨む。余計なことを言うなという目だ。
外の状況が全く分からない私には助かるが。
しかし、この防音処理がなされた客室内に居ながらにして、外の状況が気配でわかるのか。様子を見るに、おそらくマイヤもわかるのだろう。侍女や従者に必須の能力なのだろうか、気配察知。
一方で母は動じていないというか、ずっと表情もポーズも変わらない。
さすがの胆力である、というよりは、たぶん私同様に外の気配とかはわかっていない。だからこそ、マイヤは余計な情報を与えたディーを睨んだのだ。
「野盗の気配はもう無いのに御者さんと騎士様が動こうとしないのは、先ほど御者さんが言っていた別の団体がまだ潜んでいるから、でしょうか」
「御者さんではなくトーマスです。自分の家が世話をしている者の名前くらいはきちんと覚えておきなさい、ミセル」
「あ、そうですね。申し訳ありません」
彼はトーマスと言うのか。
元々、一生日蔭者として生きる運命を背負って生まれた三男の私だ。
たまたま国王陛下と祖父の歪んだ嗜好が一致していたせいで、王家にグレーテルのような者が生まれてしまい、陽の目を見る事になったが、本来なら屋敷から出る事さえなかった。御者を使う事も生涯無かったはずである。
当然、御者の名前も聞いた事がなかったのだが、細かい事でいちいち言い訳するのも美しくないので素直に謝っておいた。
こういう事も含めての、今回の挨拶回りなのだろう。
一般的な貴族の令嬢として押さえておくべき事を教えてもらうのもその一環だ。
外ではなおもしばらく、静寂が続いていたようだったが、やがて痺れを切らしたようにアインズが声を上げた。
「こちらが油断し、出発しようとしたところで仕掛けるつもりなのだろうが、それはあり得ない! 時間の無駄だ! そろそろ姿を現したらどうだ!」
この言葉にはさすがに私と母はびくりとした。
何しろあまりに何も起こらなさすぎて、客室内で油断して弛緩しきっていたからだ。
何なら、別の団体がいるというトーマスの読みも気のせいだったのではと思い始めていたくらいである。
びくりとしてしまった事を誤魔化すために無意味に扇子を開閉したり、まったく乱れてもいない前髪を気にするふりをしてみたり、私と母がそんな事をしている間にも状況は進む。
「──気付かれてたかぁ。まあ、ただの騎士にしちゃ、やるようだったしな。そっちの御者も気付いてたっぽいのは誤算だったが、音に聞こえたマルゴー辺境伯が雇ってるような奴だし、そりゃタダの御者じゃあないわな」
野盗のボスより数段野太い声が響く。
渋い。声だけ聞いていれば。
「一応言っとくが、俺たちの目的は馬車の中にいるお嬢様だ。外側の護衛や御者には用はねえ。金もいらねえ。お嬢様1人を素直に差し出しゃ、そのまま行かせてやる」
客室の中で顔を見合わせる。
たぶん私の事を言っているのだろうが、正確に言うと私は男なのでお嬢様ではない。
マイヤとディーは使用人だ。
母はギリギリいけるだろうか。
いやいやさすがにもう無理──
「──あいた!」
扇子でぺしりと額を叩かれた。
「何か要らない事を考えていたでしょう」
「濡れ衣です、お母様……」
「お嬢様は素直なところも魅力のひとつですからね」
ディーがフォローしてくれる。いやこれフォローなのか。援護射撃が私に当たっている感じがする。
「そんなことより、お客様は私をご指名のようです。これは出て行った方がいいですよね?」
「いいわけないでしょう。ここで大人しくしていなさい。
──トーマス。新しく現れた者どもはどうですか? 貴方と騎士様で何とかなりそうですか?」
母が問いかけると、トーマスのくぐもった声が響く。
〈……いや、奥様。こいつは……どうでしょう。あっしも本職じゃあねえもんではっきりした事は言えませんが、ちときついかと──〉
「──おい、御者さんよお! 余計な事はすんじゃあねえ! 俺たちはお嬢様が必要だってだけで、別に積極的にてめえらを生かしてやりたいわけじゃねえんだからな!」
トーマスが魔導具を使っている事を見咎められてしまった。
トーマスたちが太刀打ち出来ないかどうかはともかく、敵がなかなかの実力者であるのは間違いないようだ。
何となく私たちも黙ってしまい、場が静寂に包まれる。
「……やっぱり、出て行った方がいいのでは」
ずいぶんと居心地の悪い静けさなのだ。
たぶん外ではアインズやトーマスと新規の方々が睨みあっている状態なのだろうが、それが見えない馬車の中では一体何待ちの時間なのかと不安になってしまう。
いや、新規の襲撃者からすれば私待ちなのだろうが。
そう思って小声で提案してみたが、母に却下された。
「……絶対に駄目です」
母も小声だ。
先ほどまでは普通のトーンで会話していたので、普通に会話しても外までは聞こえないのだろうが、何となく小声になってしまう。
「……ここは私がお嬢様の身代りに」
ディーも小声で言った。
母とマイヤはしばし私とディーを見比べていたが、やがて首を振った。
「……服装がね。こんなことなら、ディートリンデにミセルと同じドレスを着せておくのだったわ」
ディーの着ているお仕着せは一般的に言えばかなり上等な部類に入るのだが、それでもあくまで使用人としてはの話だ。
馬車の外観から想像される貴族家の令嬢の物としては少々弱い。
「わ、私がお嬢様のお召しになった服を!?」
「……いえ、同じデザインの服を着せるというだけで、お嬢様の服を貴女に着せるわけがないでしょう。身の程をわきまえなさい。そもそも背丈や体格が違います。あと声を抑えなさい」
興奮したディーはマイヤに叱られていた。
確かに、ディーは女装しているが、身長は普通の少年程度にはある。女性としては高めだと言える。
私は何故か背が伸びないし体格も華奢なままなので、ディーに私の服を着せるとぴちぴちになってしまうだろう。スカートはつんつるてんだ。足が見えてしまう。
そういえばディーは脛毛の処理はきちんとしているのだろうか。
しかし、身代りが無理ならやはり私が行くしかない。まあ、身代りが可能だったとしても私がそれをよしとしたかはわからないが。
「ディー、ちょっとどいてください。出ます」
「ダメですお嬢様」
客室の扉側にはディーたち使用人が座っているので、彼らがどいてくれないと私が出られない。
居酒屋で通路側に座っている人にどいてもらうような要領でジャパニーズ・チョップを繰り出しながら通ろうとしたが、ディーがどいてくれない。それどころか対面のマイヤと手をつなぎ私の移動を阻止しようとする始末である。
「ミセル、座りなさい! はしたないですよ!」
母も後ろから私のドレスの端を引っ張る。
中腰で立っている格好のことだろうか。
確かに美しくはないが、馬車の天井が低いのだから仕方がない。
「はしたないということはないでしょう。馬車を下りる時はどうしたってこうなってしまうはずです」
「下りるなと言っているのです!」
「ですが、外にいらっしゃる方は私をご指名です」
「指名されたらホイホイ出て行くのですか貴女は! 何をされるかわからないのですよ!」
それはそうだが、逆に言えばそれだけである。
しかし私を差し出さなければ、外の彼の言い草からすると他の皆の命はおそらく失われてしまう。
そうなれば私ひとりではどうにもならないし、それなら初めから出て行った方が合理的だ。
「お嬢様! いけませんお嬢様!」
「どいてくださいディー。私なら大丈夫です」
と、馬車の中ですったもんだをしていたのが外から見えたのか、どうか。
いや見えるはずはないから、おそらく私がごそごそしていたせいで馬車が不自然に揺れていたのだろう。
ともかく、それを見たらしい新規襲撃者の首魁が声を張り上げた。
「揉めているようなら後押ししてやる! まずはそこの御者を殺す! そうすりゃちったあ素直になるだろう!」
飛来する矢すらも掴み取る動体視力と運動能力を持つトーマスを遠距離で仕留める手段があるというのか。
疑問ではあるが、もしもあったとしたらそこでトーマスの人生は終了だ。それは許容できない。
私はディーとマイヤを押しのけてでも外に出ようとした。
そこでアインズが何かを叫ぶ。
「──くっ! 仕方がない! その存在を現世より切り離せ! 【隠遁窟】!」
馬車の外で、魔力が集束していくのを感じる。
何度か見た事がある、結社の幹部が使うスキルに似た感じだ。
同時に悟る。
このスキルもまた、私にはおそらく通じない。
しかし、通じはしないまでも、何となく私に
そしてスキルが発動し。
「──うん? あら?」
中腰ジャパニーズ・チョップ・スタイルで私はひとり馬車の外にいた。
ジャパニーズ・チョップのチョップは箸のチョップスティックじゃなくてモンゴリアン・チョップのチョップです。
人混み抜ける時とか「チョトスミマセン」って呪文と共に手をこう、やるじゃない? あれ。
正式名称なんて言うのかな。
※「手刀を切る」と言うらしいですね。読者様から教えていただきました。ありがとうございます。




