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その日はデスペル侯爵邸に泊めてもらい、翌朝出立することになった。
「本当は我が夫や我が子たちにも顔繋ぎをさせてやりたかったが……あいにく皆留守にしていてな。その間は私が家を守らなければならんから、同行も出来ん。すまないな」
「いいえ。お気遣いありがとうございます、お義姉様」
「しかし、会えなくて逆に良かったかもな。ミセルがここまで美しいとなると、うちのバカ息子どもが会えばどうなってしまうかわからん。ミセルに一目惚れなんかして、婚約者に婚約解消を迫ったりしてな! ははは!」
「またまた、ご冗談を」
いやいや冗談ではない。
それでは私はまるで悪役令嬢ではないか。いや婚約解消を突きつける方だからヒロインの方か。どっちでもいい。いやどっちも嫌だ。
親戚内で修羅場とか勘弁願いたい。
プリムラの冗談はさておくとしても、婚約者がいても他に心奪われる者が現れれば婚約解消をすることもあるのか。
王都で世話になった王家の御者は、今は恋人と結婚して幸せな家庭を築いていると聞く。
彼の心にあった真実の愛と比べると、貴族の恋愛のなんと薄情なことだろう。
まあ貴族と平民では結婚に対する意識も違うし、母は父一筋とか惚気ていたので全ての貴族がそうだというわけでもないのだろうが。
「この辺りまでは、私が嫁いだこともあってマルゴーの威光も届いている。その紋章が馬車にあれば不届き者に襲われる事はないだろう。
だが、ここから先はそうもいかない。野盗や平民なんかではマルゴー家など知らない者もいるはずだ。護衛はいるようだが、十分気を付けるようにな」
フラグともとれる伯母の忠告に礼を言い、私たちはデスペル侯爵邸を後にした。
◇
「──女と金目の物を置いていきな! 命が惜しかったらな!」
やだ、私のフラグ回収能力高すぎ。
デスペル侯爵領から出て、いくらもいかないうちにこれである。
インテリオラ王国はその国策から上層部に優秀な者が多い事もあり、基本的に裕福で平和だ。犯罪件数も他国に比べて驚くほど少ない。
しかし犯罪者も貧困者もゼロというわけではない。
いくら国が富んでいるからと言っても、働かなければ落ちぶれてしまうのは当たり前の事だし、働きもせずに落ちぶれた者が取る選択などだいたい決まっている。
そう滅多にあることではないのは確かだ。だから伯母も念のためというくらいのつもりで忠告してくれたのだと思うが、そういう時に限って当たってしまうのがフラグというものである。
「へへへ。その紋章、お貴族様だな? なら金も持ってんだろ。女もな」
「無礼な! 貴様らのような不届き者にくれてやるものなど何もない!」
アインズが叫び返したのが聞こえる。
防音処理された馬車の中にいる私たちには状況がよくわからない。犯罪者らしき者たちもアインズも無駄に声が大きいのでかろうじて会話は聞き取れるが。
カーテンを開けて外を見ようとしたが母に止められた。
「ミセル、はしたない真似はおよしなさい」
〈……どうしますか、奥様〉
くぐもったような御者の声が客室内に響く。御者台と客室で会話できるようにしてある魔導具の効果だ。
走行中の馬車は結構大きな音がするので、防音処理された客室内と御者の間で会話をするならこれを使うしかない。
今は走行中ではないが、堂々と客室を開けて会話するわけにもいかないので、これがあってよかったと言える。
「そうねぇ。貴方で対処できそうな相手なの?」
〈こいつらがマルゴー領民でないのなら、ですがね〉
マルゴー領民が野盗化したという話は聞いた事が無かった。
マルゴー領では政策として、落ちぶれた、いわゆるドロップアウト組に対してのセーフティネットも完備されているため、重犯罪者というのはほとんど出ない。
軽犯罪ならときどきあるが、それで捕まった者はもれなく軍に入れられる。身を持ち崩して自活出来なくなった者も同様だ。何しろ領軍は常に魔物と戦っているため消耗が激しい。人員はいくらいても足りないのだ。
そしてひとたび軍に入れられれば、その厳しい訓練によって強制的に更生させられてしまう。強制入隊者は決められた期間従軍しなければ自由除隊が認められないが、更生のおかげか期間が過ぎても除隊しない者が多い。除隊ではなく二階級特進によって軍を去る者の方が多いくらいだ。だからか。
他領では傭兵くずれが野盗化する話も聞いた事があるが、マルゴーでは傭兵の仕事はいくらでもあるため、そういうケースもこれまでなかった。民間人を襲うよりも魔物を襲った方が実入りが良いという現実もある。襲うべき民間人がそこらの魔物より強いからかもしれない。
人同士で呑気に奪い合っていては生きていけない。それがマルゴーなのだ。
マルゴーの民にとっては、野盗や強盗の類など、すぐそばに命の危険がないからこそ出来る甘えた職業なのである。
生粋のマルゴー人である御者にとってもそれは同じで、そんな奴らに後れを取る事などありえないという自信が言葉から透けて見えた。
「とりあえず、様子を見ておいてちょうだい。御者の貴方が騎士様を差し置いて野盗を追い払ってしまっては、彼のメンツも立たないでしょう」
〈へい、わかりました〉
御者と話している間にも、アインズと野盗のやり取りは続いている。
「近くの街で忠告されなかったかよ? この街道は危険だってな! 護衛たった一人で通り抜けようなんざ、ちょっと見通しが甘えんじゃねえか? がははは!」
「私の鎧の文様を知らぬと見える! これこそ王国騎士の証! 王国騎士を敵に回して、無事で済むと思っているのか!」
相手が知っているか知らないかは別として、マルゴー家の馬車だと言えばもしかしたら相手は引くかもしれない。
ここはもう隣の領ではないが、マルゴーの名が届かぬほど遠くというわけでもない。紋章は知らないとしても、賊もマルゴーの名前くらいは知っている可能性はある。
しかしアインズはそれを言おうとしない。
貴族の馬車である事は否定しないが、王国騎士という自分自身の身分を盾にして威圧しようと試みている様子だ。あまりうまくいってないが。
おそらく、こちらの素性を不用意に明かさないようにしようという配慮だろう。
彼が偽名を使っている、という情報さえ知らなければ、これほど誠実な騎士もいないのではないだろうか。
本当に、彼はいったい何者なのだろう。
〈……奥様、何か変です〉
しばらく様子を見ていると、御者が何かに気づいた。
「変? 何がかしら」
〈賊とは違う気配がします。最初は賊が伏兵を隠してんのかと思ってたんですが、どうも毛色が違う。賊は素人に毛が生えた程度ですが、隠れてる奴らはそれなりに訓練を受けたプロだ。賊がそいつらを意識してるようにも見えないし、こいつは別口の襲撃者かもしれねえです〉
街道で野盗に襲われる事自体あまりないのに、その上襲撃のバッティングときたか。盛り過ぎではないだろうか。
私は伯母の立てたフラグの強さに戦慄した。さすがはマルゴー出身者。強いのは戦闘力だけではないのか。
「うるせえ! 王国騎士がなんだってんだ! お前ら、やっちまえ!」
野盗のリーダーらしき男の号令の直後、カンカンと馬車に何かが当たる音がした。たぶん矢だろう。
野盗のくせに矢代が捻出できるとは驚きだ。もしかしたら賊としてそれなりに成功を収めた団体なのだろうか。
しかし普通の矢ではマルゴーの馬車を傷つける事は出来ない。
この馬車は魔物の領域に生息しているイビルトレントの幹から作られている。
イビルトレントとは動く樹木のような魔物で、刺突に対する高い耐性を持っているのだ。
その代わり炎には弱いのだが、そこは外側に塗られた塗料で対策されている。塗料には炎耐性を持つアースリザードの血が使われている。
「──何だ!? 馬に矢が刺さらねえ!」
「──馬車にもだ! どうなってやがる!」
どうやら野盗は馬に攻撃し、こちらの逃走手段を奪うつもりだったらしい。馬車に当たったのは流れ矢だったようだ。
馬には特に何の仕掛けもしていないが、トレントも貫けないような矢ではおそらくあの子の筋肉を抜く事は出来まい。
ただでさえマルゴーの馬はそこらの魔物よりも強い上に、あの子は特別に成長しているようだし。
「馬鹿野郎! 御者だ! 御者を狙え! 馬がいようがなんだろうが、操る人間がいなけりゃ馬車は走れねえ!」
野盗のリーダーがそう叫ぶ。
何を言っているのだろう。馬車や馬にも通用しないような矢が御者に通じるわけがない。
「──馬鹿な!? 飛んでくる矢を素手で掴み取っただと!?」
ほら見なさい。
「あー、騎士様。ご覧の通り、馬車の方は大丈夫ですんで。こっちは気にせず対処しちゃってください」
「かたじけない! では──覚悟しろ! 無法者ども!」
御者の言葉を受けて、アインズが野盗に斬りかかって行った、ようだ。
見ていないのでわからないが、アインズの語尾が徐々に小さくなっていったので多分間違いない。
しかし、馬や車体に矢が刺さらなかったり、御者が素手で矢を掴み取ったのを見ていたにしては冷静である。まるで驚いている様子が無かったのが少し気になった。
大使館の近くでそういうシーンを見ていたのだろうか。あのあたりには魔物はあまり出ないらしいが、まったく出ないわけでもないだろうし。
つい先日などは馬の速度に驚いていたのだが、早くも慣れたのであれば頼もしい限りだが。




