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「──ですが、名乗り以外に嘘を言っている様子はありませんでした」
クロードはそう続けた。
「では王国騎士である事や、3年前に転属になった事、自らヨーゼフ様に付いてこの辺境までやってきた事は本当なのですね」
「それはヨーゼフ様の口から語られた事なのでアインズ自身の考えと同じかどうかはわかりかねますが……少なくともヨーゼフ様の目から見て真実である事は間違いないでしょう」
偽名であるからか、騎士ヨーゼフは様付けなのにアインズは呼び捨てだ。礼儀正しいクロードにしては珍しい。
彼なら気に入らない相手でも、皮肉を込めて敢えて様付けで呼ぶかと思っていたのだが。
しかし、となると今言えるのは「少なくとも名前は嘘」という事だけである。
名前が嘘というだけでも十分問題だが。
偽名を名乗る完璧超人となると、もう怪しさしか感じられない。
偽名の騎士。
考えられる可能性は何だろう。
例えば、何者かの手引きでマルゴーを調べるために騎士団に入れられた、というのはどうか。
国の審査を偽名で通り抜けるなど普通に考えれば不可能なので、審査に関わる部署の人間が関与している可能性がある。
しかし王国騎士は王家に仕えているため、通常マルゴーまで来る事はない。
駐在騎士を言いだしたのは他ならぬ私なので、私がいなければ騎士がマルゴーまで来るような事はなかったはずだ。となるとマルゴーを探るために3年も前から騎士団に潜入するのは筋が通らない。
そしてそれは、仮に彼がマルゴー以外を調べる目的で騎士団に入ったと仮定した場合でも同じ事が言える。
なぜならその場合、今回わざわざ辺境送りに手を上げる理由がないからだ。
もしくは、決められた任務はないが、広く王国の情報を探るために騎士団に潜入していたエージェントだったとしたらどうか。
これまでは騎士団内部で国の中枢を探る任務に就いていたが、普通では潜入の難しいマルゴーにたまたま食い込めそうな任務が転がり込んできたので立候補した、だとか。
これが一番ありそうな気がする。
「ああ、それに加えて、ですが」
「はい、なんでしょう」
「お嬢様に対してアインズが漏らした、やはりお優しい方だ、という言葉も本心のようでした」
「えっ、あっ、そうですか……」
あれも聞こえていたのか。さすがクロード、地獄耳である。
しかし、これはめちゃくちゃ恥ずかしい。
例えるなら、そう、友達の母親が自分を褒めているのを家族に聞かれてしまった時のような、と言おうか。いや、そんな経験があったかどうだか覚えていないが。
しかし、どちらかと言えばプラス材料であろうその事実も、クロードは神妙な様子で話している。
「……お嬢様は、あの男の事をご存知無いのですよね」
「え? ええ。そうですね。どこかで見たような気はするのですが、明確に覚えがあるわけでは」
「となると……。お嬢様がどこかで無自覚にあの男に慈悲をくれてやり、あの男がそれを自身への好意だと勘違いし、お嬢様がマルゴー家の令嬢だと知ってこれ幸いに駐在騎士に立候補した、という可能性も考えられますな」
何それ怖い。ストーカーか。
いや仮にそうだとしても、偽名との関連性は全くない。
彼が何の目的で偽名を名乗っているのかはわからないままだ。
しかし、「偽名を使う完璧超人がストーカーをしている」という字面には言いようのない力を感じる。これが世に言うパワーワードか。
「お嬢様、今後もあの町へ視察へ行かれる機会があるかもしれませんが、くれぐれも」
「ええ、わかっています。ひとりで行くような真似はいたしません」
「いえ、そもそもおひとりで外出許可が下りる事自体あり得ませんが、随行者は十分吟味してください。この件については私の方からお館様に報告しておきますので」
「ご安心ください、お嬢様。いざという時には、このディーがお嬢様の身代わりに……」
「何を言っておるのだ。男のお前では身代わりなど──いや、何でもない」
クロードが言いかけて止めたのは、私も同じ男である事を思い出したからなのか、それとも今のディーを男扱いすると面倒くさくなる事を思い出したからなのか。
とりあえず、父への報告はクロードに任せる事にした。本人もそう言っているし。
もしかしたら報告の後説教が再開することになるかもしれないが、それは私にはどうにも出来ない。
屋敷に帰る頃にはもう今日という一日も終わりになる頃だろうし、報告だけで終わらせてくれる可能性もある。
私はこれでも父を愛する子であるし、私が言ったところでどれほど効果があるかはわからないが、あまり厳しくしないように口添えくらいはしてやったほうがいいだろうか。
「……クロード。お父様へのお説教の件ですが──」
「お嬢様も参加されるのですか?」
「いえそういうのは全然大丈夫です。心ゆくまでやっていただければと思っただけです」
どちらの立場での参加を誘っていたのだろうか。どちらにしても私が参加する理由はないし、下手な事を言って巻き込まれるのは勘弁してもらいたい。
これは父を見捨てたわけではない。
そう、諦めただけだ。
貴族は諦めが肝心。父の遺言である。
◇
数日後、私は母に連れられて馬車に乗っていた。
乗る際に確認したら馬はいつもの子だった。私が笑いかけると会釈をしてくれた。御者が「え、馬がなんで」と気味悪がっていたが、馬だって首があるのだから会釈くらいするだろう。人間だって礼儀のなっていない者はそんな事はしないので、逆に礼儀正しい馬がしたって問題あるまい。
馬車で向かうのはマルゴーの南に隣接する領地だ。
デスペル侯爵領。
父の姉、私の伯母が嫁いだ貴族の領地である。
社交界に出る、というほどではないものの、学園を通じて顔を知られ始めた私のために、少しでも後ろ盾を増やそうとしての行動だ。要はご近所様への挨拶回りである。
マルゴーの娘が嫁いだデスペル侯爵家ならば敵に回ることはまずあり得ないし、侯爵となれば大貴族。おまけに隣領。最初の挨拶先としては申し分ないイージーモードであると言える。
そう、私にはこの里帰りを利用して、こうして顔を売る仕事が与えられていた。
昨日父が言った、外出許可はあまり出せないという言葉も、何もクロードの説教から逃げるためだけの出まかせでもなかったのである。
「ミセルがお義姉様と会うのは初めてでしたね。お義姉様はちょっと個性的ですが優しい方なので、きっとミセルの力になってくれるわ」
母が微笑んでそう言った。
優しいなら良かった、と一瞬思ったが、個性的という点は気にかかる。人が人を評価する際、個性的という言葉がいい意味で使われる例は稀だ。
いい意味で個性的だというのなら、個性的などと曖昧な言い方はせずに素直に長所を言うはずだからだ。
ディーが何か言いたげに身じろぎをしたが、対面に座っているマイヤに睨まれて大人しくしていた。
馬車の中には私と母の他に、身の回りの世話役兼護衛としてディーとマイヤが乗っている。
マイヤはクロードの妻で、長らく私の世話係をしてくれていた女性だ。彼女はディーが私の専属になったことで手が空き、元のマルゴー家侍女頭の地位に復職していた。
◇
朝屋敷を出発した馬車は、昼過ぎには領境の町に到着していた。
ここから先はデスペル侯爵領に入るが、しばらくは町などはないらしい。
そのためこの町で早めの休息をとり、明日の早朝に出発する予定だそうだ。
町を預けている代官には私たちの事は伝わっており、この日は代官の屋敷に泊めてもらった。
数日前、前回来た時もそうすれば急いで帰る事もなかったのだが、あの時は急な訪問だったし、いかに主家とはいえそうほいほい泊めてもらうわけにもいかない。ヨーゼフは泊めてくれようとしていたが、あれはあそこが元々宿屋だからだ。
早めに休むと言ってもまだ日は高い。
せっかく来たのだし、駐在大使館に挨拶でも行こうか。
しかし、そう言うとディーに止められた。
「お嬢様。お忘れですか。視察の際には随行者を吟味するよう、クロード様に言い付けられていたはずですよ」
「視察ではありませんよ。ご挨拶です」
「問題の本質はそこではありません」
ヨーゼフの人となりはそれなりにわかったつもりだ。アインズも誠実な騎士に思える。
しかし、アインズは偽名を使い、しかも少なからず私の事を知っている。さらにストーカー疑惑もある。
護衛も無しで会いに行くのは確かに危険だ。
ディーはたぶん護衛としての訓練も受けている。しかし、本職の騎士に勝てるレベルかどうかはわからない。私もまったく動けないわけでもないが、所詮やんちゃ小僧の域を出ないだろう。
大人しく会いに行くのは諦め、代官に手紙を託す事にした。
所用で町に立ち寄ったが、訪問するほどの時間は無いので手紙にて失礼、といったような内容だ。
これを明日あたりにでも渡してくれればいい。
明日は早朝に出てしまうので、ヨーゼフが受け取る頃には私たちはもう町にいないだろうが。
と、思っていたのだが。
翌朝早く、出立のために代官の屋敷から出てみると、外でヨーゼフとアインズが待っていた。
「代官殿から聞きましたぞ。これからしばらく、挨拶で近領を回られるとか。見れば、ご婦人ばかりで護衛らしい護衛は付けておられないご様子。
もちろん、このマルゴー辺境伯領で過ごされてきたのですから、ご婦人とはいえ相当な手練れであるのでしょうが、頭の悪い野盗の類はどうしても見た目で判断してしまうもの。
よろしければ、こちらのアインズを共回りとして同行させてもらえませんか。威嚇程度にはなるでしょう」
「あら! 王都の騎士様ですね。でも、いいのでしょうか。辺境伯家がそのような私的な目的で騎士様を使うだなんて」
母がやんわりと断ろうとする。
「もちろん、よろしくありません。ですが、そこはそれ。どうにでもやりようはあるものです。
──騎士アインズよ!」
「はっ!」
「これよりしばらく、貴公に休暇を与える! 自由にせよ! ただし休暇と言えど、我ら騎士は国家に仕える剣であれば、領を跨ぐ移動に際しては主君に報告する義務がある!
駐在騎士である貴公であれば、その報告は現在マルゴー辺境伯家に上げるのが望ましい!」
「はっ!」
つまり、アインズは休暇をもらい自由に移動する。
しかし領を跨ぐ場合はマルゴー家に報告しなければならない。
だから一緒に付いてきて、その都度報告する。
そういう建前らしい。
別にいいのだが、休暇という事はその間のアインズは無給なのだろうか。誰が埋め合わせをするのだろう。
「──休暇中、この身に替えましても奥様と姫様はお守りいたします」
アインズが私を見ながら母の手を取った。姫様って私の事か。
「貴方のような凛々しい騎士様に、そこまで言われてしまっては断れませんわね」
「えっ。……よろしいのですか、お母様」
「……安心なさいミセル。お母様はお父様一筋です」
「……いえそういう心配はしておりませんが」
いい歳して何を言ってるんだこの母は。
と思った瞬間睨まれたので目を逸らした。
しかし、母は父やクロードからアインズについての報告を受けていないのだろうか。
受けていないのだろうな、たぶん。説教の時も、地下牢に入れられていた結社の重要人物については知らない様子だったし。
マイヤやディーは警戒するような視線をアインズに向けていたが、女主人たる母が受け入れたため口も挟めず、何も言う事は無かった。
こうして、挨拶回りの旅にストーカー疑惑のある騎士が同行する事になってしまった。




