5-2
馬車が屋敷──というか宿屋──の前に止まると同時に、玄関の扉が開いた。
たまたま誰かが出てきたというわけではなく、私の訪問を告げる先触れでもいたのだろう。
馬車の扉も開かれ、先にクロードが下りる。
そして私もクロードの手を取り、馬車から下りた。
「ようこそいらっしゃいましたな。マルゴーの姫君。ワシがマルゴー駐在を拝命した騎士、ヨーゼフ・エクエスです」
宿から出てきた、全身鎧を着た初老の男性がガシャリと音を立てて私の前に跪いた。
駐在騎士だからといってずっとこんな格好をしているのだろうか。
このマルゴーの地は王都よりも北にあるため気候も暖かい。ずっとこんな格好をしていては蒸れてしまって大変だと思うのだが。
とはいえ、可哀想な人を見るような目で見ていても仕方がない。
「初めまして、騎士様。私はマルゴー辺境伯が長女、ミセリア・マルゴーです。よろしくお願いします」
スカートの端を摘み、その中で足を折り曲げて軽く会釈をする。
「さあ、お立ちになって下さい、騎士様」
初老の騎士を立たせると、宿の中へ入れてもらう。
初老の騎士が先を歩き、もうひとり、おそらくクロードが言っていた連れの者らしき騎士が、恭しく私の手を取ってくれる。
それを見てクロードが片眉を上げたが、特に何か言う事は無かった。
騎士の所作に、淑女に対する労わりが込められていたからだろう。
もうひとりの方の騎士は中年の少し手前、くらいの外見だった。
父が若づくりしている──とハインツが言っていた──事を考えると、だいたい同じか少し若いくらいの年齢だろうか。
その眼差しには見覚えがある気がする。
駐在騎士に同行しているという事は王都から来たという事である。マルゴーの関係者ではない。
そんな彼に見覚えなど無いはずなのだが、どこで会ったのだろう。
記憶の隅に引っ掛かるような感じなので、ここ最近会ったわけではないと思う。
特徴のない顔であるためか、本当に思い出せない。
これで美しかったりすれば絶対に忘れないのだが。
「──私の顔がどうかしましたか、姫様」
ぼうっとしていると騎士から話しかけられた。
しかし姫とは。
ここはマルゴーだから間違ってはいない。しかし王族のいる王都で騎士がそんな言い方をすれば不敬罪で処分されてしまう。王都から来た騎士が初対面のはずの私にそういう言い方をするのは少々違和感がある。
「……いえ、申し訳ありません。そういえばお名前をうかがっていないな、と」
「ああ、こちらこそ申し訳ありません。私はあくまでヨーゼフの補佐ですので、紹介させていただくほどの者ではございません。私の事は、そこの者、とでも呼んでいただければ」
そんなわけにいくか。
そこら辺に者どもがどれだけいると思っているのか。
マルゴーの馬車から、家宰クロードのエスコートで下りてきた私だ。
この光景を見ていた住民たちには私がマルゴーの令嬢であると知れ渡った事だろう。
ここで「そこの者」などと呼べば、先ほど馬車に頭を下げていたような人々が一斉に振り向くことにもなりかねない。
それにこの騎士がヨーゼフの補佐だとすれば、巻き込まれて左遷されたという事だ。
元をただせば我が家のせいである。
となれば彼もまた、私の責任において生活を保障するべきだ。
「そうはまいりません。詳しくは申し上げられませんが、こちらの騎士様には私──我がマルゴー家から援助をさせていただく事になっております。
どうかお名前をお教えいただけませんか」
私がそう言うと、騎士は小さく「やはりお優しい方だ」と呟いたように聞こえた。
この言い方からすると、騎士と私はやはり以前にどこかで会っているようだ。
別に私は優しいわけではない。
私が優しさを発揮するのは、私の知り合いと、私が責任を負うべきだと思った相手と、あと美しい者に対してだけだ。
この騎士がここに左遷される前にそのいずれかに該当したとは思えないので、騎士が私を優しいと判断した心当たりがない。
たまに気まぐれで施しを与えたりもするかもしれないが、そういうのは優しさとは言わないだろう。
「失礼いたしました。私はアインズ・イドラーと申します」
何となく釈然としないものを感じるが、とりあえず騎士は名前を名乗ってくれた。
やはり聞き覚えがない。
クロードが一瞬目を細めたのが気になる。が、ここで問いただすわけにもいかない。
「──ミセリア様、何かありましたかな」
入口近くでもたついていたせいで、先を行くヨーゼフから声をかけられてしまった。
私はアインズを促し、急いで宿に入った。
「失礼しました。何も問題はございません」
◇
「さて。マルゴー辺境伯家の長女であらせられるミセリア様が参られたということは、ワシの処遇が決定したという事でよろしいか」
さほど豪華なわけでもなく、形だけ整えられた応接室のような部屋に通されると、ヨーゼフがそう言った。
ここも元は宿の一室だったのだろう。ソファやテーブルはちゃんとしているが、どこか質素な印象を受けるのは壁や天井のせいだろうか。
さておき、私はヨーゼフの言葉に首を傾げた。
処遇とはどういうことだろうか。
傍らに立つクロードを見ると何やら頷かれた。
何が、と思ったが、そのまま見つめても何も言ってくれない。
仕方がない。わからない事は聞くしかない。
「申し訳ありません。おっしゃる意味がよくわかりません。処遇とは、どういう事でしょう」
私がそう聞くと、ヨーゼフは目をぱちくりさせた。
「……ワシがこちらに赴任したのは、懲罰的な意味合いが強い。もちろん、その事に否やはありませぬ。
どういう事情があったにしろ、王立学園の学生たちを危険な目に遭わせてしまったのは間違いのない事実。ならば、その責任は取らねばなりませんからの。
聞けば、懲罰内容をマルゴー領へ駐在する事とお決めになったのは、あの時被害に遭われた貴族の子女のどなたかだとか。そして貴女もそのひとり。
であれば、貴女がここに参られたのは、他ならぬワシにその責を全うさせるためなのでは」
そういえば、マルゴー送りをそのように解釈しているような節があった気がする。
私としては、謝罪の意味も込めて手元に置いて養う程度のつもりだったのだが、問題が起きてしまったのは確かだし誰かが責任を取らねばならず、責任を取る以上は誰もが納得する罰でなければならない。
ちょうど、騎士団上層部のそういう思惑と私の狙いが一致していたので口を出してそういう流れにしてしまったが、処分を受ける本人がどう思うかとかは配慮していなかった。
これは失態だ。
「……申し訳ありません、ヨーゼフ様。そういう事ではないのです」
私は私の考えを彼に語って聞かせた。
もちろん、あの襲撃犯の狙いが私や『餓狼の牙』だったことや、襲撃犯を攫ったのが我が兄であることは言わない。
ただそこを伏せると私が援助する理由が消滅してしまうので、適当にぼかして伝えた。
「おお……なんという……」
その結果、ヨーゼフはソファから立ち上がり、私の前に再び跪いた。
「ミセリア・マルゴー様。このヨーゼフ、慈悲深い沙汰に感謝いたします……!」
あの辺りをぼかしてしまうと、もう私が純度100%の慈悲の心で援助を申し出たようにしか聞こえなくなってしまう。
何しろ私は被害者だし、責任を取って懲罰を受ける騎士を援助する合理的な理由がないからだ。
跪かれて感謝されても、このマッチポンプとしか言えない状況に落ち着かない気分になってくる。
助けを求めるようにクロードを見るが、受け入れろと言わんばかりに再度頷かれてしまった。彼にはこうなることがわかっていたらしい。
父は「諦めるのも貴族の務め」みたいな事を言っていた。
私も諦め、とりあえず状況を受け入れる事にして、ヨーゼフをソファに座らせて今後の話をする事にした。




