1-5
馬車を飛ばし、アングルス領に到着した時は、まだギルバートは戻っていないようだった。
私たちがマルゴーを出た時には彼もすでに発っていたが、どこかで追い越してしまったらしい。
何しろこちらは馬がたいそう頑張ってくれた。
おそらく私の美しさが馬の心を動かしたのだろう。
かつて洗礼の際に確認した瑣末なスキルの中にあった、【鼓舞】とかいうスキルの名前が一瞬脳裏をよぎった気がしたが、それもほんの少しくらいは影響しているのかもしれない。
「……なるほど、すげえなこりゃ。領主サマが外に出したがらねえわけだ」
「……ああ。普通の馬が、あの距離をあの速度で休まず走破するなど、異常としか言いようがない」
ユージーンとレスリーがそう呟いているのが聞こえた。
外に出したがらないと聞こえたあたりで、もしや私の性別に気付いたのか、と思ったがどうもそういう雰囲気でもない。
おそらく種族の違う馬さえ魅了してしまう私の美しさに改めて気付き、その価値に慄いているのだろう。
「でもアフターケアはちょっと雑みたいだね。この馬、しばらく休まないと走れそうにないよ。ていうか生きてるのが不思議なくらいだ」
ルーサーが馬に治癒魔法をかけながら言った。
美しい私の為に頑張り過ぎるあまり、限界を超えて走ってくれたようだ。馬には感謝しかない。
「しばらくはこの領都を中心に行動する予定ですから、お馬さんにはゆっくり休んでもらいましょう」
馬を宿に預け、部屋を取った私たちは、まずは斥候のサイラスと合流する事にした。
ルーサーの先導でサイラスの潜伏先に向かう。
一応、私は自宅を出てからはフード付きのローブで目立つ顔と髪を隠している。街なかを歩いても騒がれる事はない。滲み出る美しそうな雰囲気までは隠せないが、人というのは普通はそこまで他人を気にして生きていない。道端ですれ違った人物がローブから美しさを滲みだしていたとしても、いちいち気にする事はない。
サイラスは主に食料品を扱う商店で日雇いの荷物運びとして働いているようだった。
サイラスには父が払った報酬とは別に、私が個人的に出張手当も支給しているのだが、この場合、彼が日雇いで稼いだお金というのはどういう扱いになるのだろう。別に取り上げようなどとは思っていないが、別途確定申告が必要になるのではないだろうか。まあ、この国の租税については詳しくないが。
「……どういう事だい。まさかお嬢まで来るなんて」
ルーサーの後ろから顔を出した私を見てサイラスが眉をひそめた。
サイラスも私をお嬢と呼ぶようになっている。様付けよりは仲が良い感じがするので嫌いではない。
「ま、お嬢もライオネル閣下の血を引いていなさるって事だな」
「病弱って設定はいいのかい?」
設定て。
その通りではあるが。
「なに、正体がバレなきゃ問題あるめえ。実際のところはたいそう元気なようだからな。それどころか、閣下が表に出したがらない理由はむしろ逆だろうぜ」
病弱の逆と言うと、元気が良すぎるということだろうか。あまりピンとこない。美しすぎる自覚ならあるが、美しさは別に病弱設定と競合しないだろう。むしろ儚さの中にしか見い出せない美しさもある。とはいえ、そちらの属性は残念ながら私にはないことくらいわかっている。儚さの中に美しさを見い出すには修行が必要なようだ。
「ま、お嬢がいいならいいや。ちょっと待っててくれ。仕事辞めてくる」
サイラスは軽くそう言うと商店の店主に話をしに行った。
あまりに気軽な退職願だが、日雇いなどそんなものなのかもしれない。
むしろ宣言して辞めていくだけ真っ当な方だろう。
現代日本でさえ、何も言わずに突然消えるアルバイトの話があったくらいだ。
程なくして戻ったサイラスと合流し、一行は一旦宿に戻った。
落ち着いて情報のすり合わせと整理をする場所が必要だ。
「ルーサーから概要は聞いてるな。全員でここに来たって事は」
「ああ。俺たちの、いやお嬢の手で泉から溢れた魔物を片付ける」
「そこは別に皆様の手でいいのですが」
片付けるとか言われても、見た事も聞いた事もないのに出来るわけがない。
「そう言うなよ。実際に手を下すのはそりゃ俺たちだろうが、今の俺たちはお嬢の手足だ。なら、お嬢の手で始末を付けるって言っても過言じゃあるまい?」
だからと言って、とは思うものの、何かあった時に責任を取るべきなのは雇い主である私なのは間違いない。
ならばとりあえずはそれでいいか。
失敗したら私が謝ればいいし、うまくいったら彼らの手柄にしておけばいい。謝って済む失敗ならいいのだが。
魔物の泉とやらがどれほど危険なものなのかはわからないが、彼らも傭兵なのだし、いかに父に恩があり、報酬を貰っているからと言っても、まさかその娘の為に命をかけたりはすまい。
そんな彼らが首を突っ込む私を止めないということは、そこまで危険な事でもないのだろう。
要はノウハウがあるかどうかだ。
魔物と接する機会の少ないアングルスの人々にとっては大事でも、魔物の領域と隣り合わせで生活している彼らにとっては日常の延長に過ぎないというわけだ。スズメバチ駆除みたいなものである。
「よおし。じゃあ、そのつもりで話をするぜ。まず問題の泉だが、こいつはこの領都の南にある雑木林の中で見つかったらしい。ここ最近ゴブリンなんかの低級の魔物がよく見つかるようになったらしくてね。治安の良い領都の近くでハグレの魔物が現れるにゃあ、数が多すぎるってんで、騎士団が付近を調べてみたら……ってわけだ」
「ゴブリンが徘徊を……。それは、かなり危険なのでは」
ゴブリンと言えば確かに魔物としては弱い方だが、それでも曲がりなりにも魔物である。
訓練を受けていない成人男性くらいなら、腕の一振りで死に至らしめる程度の膂力はある。
私も護身の訓練のため、領軍が捕獲してきたゴブリンと屋敷の庭で戦った事があるが、あれはなかなかの迫力だった。
醜悪な造形だったが、生に対する執着心や人間を食べたいという食欲など、純粋な感情はある種の美しささえあったと言える。
ただ方向性は違えども私の美しさには敵わなかったので、私に見惚れて動きを止めている間に細剣で突き殺した。種族の壁を超えて魅了してしまうとは、やはり私の美しさは世界一らしい。控えめに言っても。
人型の魔物の命を奪う事について抵抗感があるかと思ったのだが、意外となかった。たぶん、ゴブリンと言えど下手に躊躇って苦しみを長引かせてしまうのは美しい行ないではないと感じたからだろう。
私の訓練のために虜囚となって連れてこられた憐れな魔物である。私の手で速やかに引導を渡してやるべきだと思ったのだ。
前世の事はそれなりに覚えてはいるが、自分自身の事についてや、知り合いなどの顔や名前はまったく思い出せていない。
それゆえか、前世で一般的とされていた倫理観を引きずるような事はなかった。
「いや、お嬢がどのゴブリンを思い浮かべてんのか知らないけどね、もしマルゴーのゴブリンを想像してんならちっと違うぜ。マルゴーのゴブリンは瘴気に当てられ過ぎて変質してっからね。普通のゴブリンだと、まあ人間の子供くらいのものを想像してもらえばいいかな」
「では人間の子供が徘徊を……。それはそれで問題があるような気がしますが、でも人間の子供くらいの魔物がそこらを歩いていたら、すぐに倒されてしまうのではないですか?」
「子供だって木の棒を振りまわしてりゃ大人も容易に近付けないし、十分危ないぜ。つっても鎧着込んだ騎士にとっちゃ何て事もねえし、普通は騎士が出て来て終わりだ。ただのハグレならな」
聞いた限りでは、それほど脅威には思えない。
一般的なゴブリンが人間の子供程度だというのなら、ちょっとやんちゃな子供と同じくらいの戦闘力がある私でも対抗出来るだろう。何しろマルゴーのやんちゃな子供は、家の仕事の手伝いの合間に小遣い稼ぎに徒党を組んでゴブリンを狩ってくる事もある。マルゴー産のゴブリンをだ。
「それでは、今日は一晩宿でお休みして、明日の朝からその雑木林を探索してみましょう」
「そうだな。サイラス、その林だが、騎士団が見張ってたりは」
「一応な。つっても、領民には林に近付かないようにって通達が出てるし、騎士たちが見張ってるのは林に入ろうとする方じゃなくて林から出てくる方だが」
しかし、いくら何でも林の全周を見張っているわけではあるまい。
雑木林のさらに南はすぐに国境である。
そちら側に魔物が出ていく分にはアングルス領はそこまで困らないだろうし、国境付近に騎士を張り付かせるのは余計な摩擦を起こしかねない。
街からかなり遠くなるが、雑木林の南側は警備が手薄なはずだ。
宿で一泊したのち、私たちはその雑木林に向かった。