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いつぞやにアングルス領に行く時に使ったマルゴー家の馬車に乗り、お出かけだ。
馬はあの時の馬のようだ。御者は違うが、マルゴー家に仕えている専属の御者である。
案内のクロードは馬車の客室に同乗している。彼も馬車を操るくらい出来るらしいが、家宰の彼がそんな仕事をするようなことはない。
行き先はすでに御者に伝えてあるらしい。
客室には他に私の世話係であるディーがいる。
クロードがひとりいれば私の世話も御者も護衛も全て余裕でこなせるのだが、何事も出来ればいいというものではない。
表向きは深窓の令嬢である私には、表向き女性の世話係が絶対に必要だし、御者と護衛とエスコートを全て1人でやるわけにもいかない。十徳ナイフなどのいわゆるマルチツールは便利かもしれないが、栓抜きとナイフとドライバーは同時には使えないのだ。同時にそれらが必要になる事態というのもちょっと考えづらいが。
「マルゴーに赴任された騎士様はご高齢の方です。おそらく、先代のお館様か現国王陛下と同年代でしょう。王立学園生を危険に晒した事で責任を取られたというお話ですので、長期に渡る忠勤で責任者の立場まで上りつめられたような方かと」
警察で言うと、現場からの叩き上げで署長まで上り詰めたノンキャリアといったところだろうか。ドラマなどでそういうキャラクターはよく見たが、実際にいたのかは知らないが。するりと思い出せるという事は、前世の私は警察とは縁がなかったのだろう。
さておき、そんな苦労と努力の人をこちらの都合で左遷させてしまったというのは本当に申し訳ない。
実際に悪いのは謎の結社のオッサンたちなのだが、それを明かさない事で責任をかぶせたのは私たちマルゴーだ。
「ご高齢でいらっしゃるなら、本人ももうこれ以上の栄達は望んでおられないかもしれませんし、出来ればこのマルゴーでのんびりと余生を過ごしていただきたいですね……。
そのために私が出来る事はすべていたしましょう」
「報告書を読んだ限りでは、お嬢様に責任は全くないと思いますが……。お優しいのは良いことですね。過ぎたる慈悲は相手を堕落させますが、相手方も叩き上げの騎士様であれば堕落の心配はないでしょう」
クロードが騎士に敬称を付ける必要は本来は無い。
形式上、国に仕えている騎士とマルゴー家に仕えているクロードでは明確な上下関係がないからという理由もあるが、騎士階級と貴族家の家宰では家宰の方が立場が上だからだ。それが辺境伯という大貴族の家宰であれば、下手な男爵などよりよほど大物になる。
にもかかわらず様を付けて呼んでいるのは単にクロードの性格だ。
もしかしたら客人待遇──丁重に扱うよそ者、という感じなのかもしれない。
クロードと話しながら、馬車に揺られてしばし南下する。
街道の状態はあまり変わらないが、景色からは少しずつ緑が少なくなっていく。山から人里に下りて行くかのような感覚だ。領都がいかに辺境にあるのかがうかがえる。
駐在騎士が滞在しているのは領境にある町らしい。
栄えているかどうかで言えば、屋敷のある領都の方が栄えているのだが、周囲の環境を考えると多少規模は小さくても周りに自然が少ない方が過ごしやすい。
大自然の中で過ごす、というのも大切なことかもしれないが、毛皮を持たない人類では限度があるのだ。
駐在騎士もその目的を考えれば領都に駐在するのが好ましいと思うのだが、外から来た人がいきなり辺境のど真ん中に住むのは難しい。
いずれはそちらに移る事になるかもしれないとしても、試験運用に近い今は様子見で浅いところに駐在しているという事らしい。
「お嬢様。そろそろ窓からでも見えてくるでしょう。あちらの町に駐在騎士がおりますよ」
馬車の窓から前方を見る。
ただでさえ小さな窓の上、斜めに前方を見なければならないので相当近くなければ影も形も見えないが、確かにクロードの言う通り建物の列が見え始めていた。
「──町を囲う壁のようなものはないのですね」
領都は城塞のような外壁が街を囲っているが、あれは魔物に対する防壁だ。無ければ領域からやってくる魔物たちに蹂躙される。いや、されるだろうか。あの領民たちならされないような気もする。
とにかく、魔物対策で壁が建っている。
しかし、ここくらい南下すれば領域から這い出る魔物がやってくることはないし、居たとしても数はそう多くない。はぐれ魔物が出ても知れている。
町を全周囲う壁など、建造に気が遠くなるほどの時間とコストがかかるだろうし、いちいち全ての町や村でやっていられない。
「これ、ディートハルト。お前まで何をしている」
「今の私はディートリンデです、クロード様。訂正を」
反対側の窓からディーも外を見ていたようだ。確かに、主の私がしているからといって従者のディーまで同じ事をするのは褒められた行動ではない。
「……お前はディートハルトだろう」
「クロード様。ディートハルトなどという名前の者では、お嬢様の従者としてふさわしくありませんでしょう」
確かに。いや、言うほどそうかな。
「……まあいい。わかった。それもお前の忠誠心ゆえの事だと納得しておく。励めよ、ディートリンデ」
クロードが疲れたように言った。
この、面倒になると全部ぶん投げるような癖は私の父ライオネルに似ている気がする。付き合いが長いからお互いに考え方が似てきているようだ。
ディーも私と長く付き合うようになれば似てきたりするのだろうか。あるいは逆かも知れないが。
町に入って進んで行くと、道を歩く住民たちが馬車を見て脇に避ける。頭を下げている者さえいる。
馬車にはマルゴーの家紋があるし、それを見てそうしているのだろう。
これが敬意によるものか、恐怖によるものかはわからない。
王都から見れば、マルゴーの地はまさに地獄といった雰囲気であるようなのだが、それは別に領主が圧政を敷いているとかそういう話ではなく、単純に環境が苛酷だからという話だ。領主の手腕などは特に語られる事はないが、地獄であるマルゴーのさらに奥地に領都や屋敷を構えているという事実から、単純に恐れられている。
父は私が生まれる前にあったらしい魔物の氾濫を凌ぎ切った英雄であると言われているが、それも畏怖される理由のひとつになっているかもしれない。
領外からはそういう評価の父であるが、領民からどう思われているのかは実は私はよく知らない。ほとんど外出した事もないからだ。
この町の住民の様子を見る限りでは、何であれ統制はとれているようだが。
町を突っ切るように縦断すると、町の外れにそこそこしっかりした屋敷が見えてきた。
「あれが駐在騎士様の在所になります」
「なるほど。大使館のようなものですね」
「大使館……そうですね。中央からの駐在大使と考えれば、そのような呼び方もいいかもしれません」
「それにしても、随分と立派な建物のように見えますが」
私の実家や王都の別邸、王城や学園と比べれば犬小屋のようなものだが、一般常識と照らし合わせれば豪邸と言っていいだろう。とはいえ大きくしっかりしてはいるがそこまで豪華な装飾ではないので、貴族の屋敷という雰囲気はない。
駐在騎士が赴任したのはついこの間の事だろうし、赴任が決まってから建てたにしては早すぎるし建物にも年季が入っている。
「あれは元々あそこにあった宿屋を買い上げ、少々の改修をほどこしたものです。宿屋を経営していた者には対価に金銭を与え、近くに新たな宿を建設中です」
「宿ですか。なるほど」
その対価の金銭とかにも私の小遣いが使われているのだろう。
新たな宿を建てられるくらいだし、かなりの金額だったと思われる。
ここは領境の町の端だし、宿は確かに必要だ。
マルゴーだって魔物だけを食べて生きているわけじゃないし、領外との交流は必要である。
「新しい宿が建つまでの間は、旅の方はどうするんですか?」
「元の宿の経営者もそうですが、ひとまずは引き続き──大使館でしたか。あの館の一部を使用しております。駐在騎士様もご家族はおられないようで、お連れの方と2人きりですし、空いている部屋はいくらでもあるようですので」
その際の宿の従業員にも給料が支払われているとの事。私の小遣いから。
駐在する騎士という役は私の思い付きのようなものだったが、想像していた以上に人とお金がかけられている。当然の事ではあるが、少々考えが甘かった。
「さて。着いたようです。では参りましょう」