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足音を殺し、気配を殺し、吐息すら押し殺して私とフィーネは進む。
寝ている家族を起こさないためであり、見回りの警備に見つからないためである。
気のせいかもしれないが、王都に行く前よりも屋敷を警備する兵が多い気がする。
ただし彼らの注意は過剰なまでに屋敷の外に向けられており、中でこっそり行動する分にはその目を掻い潜るのはそう難しくない。
自宅の廊下だというのになぜこんな面倒な事を、と思う一方で、こうしていると見慣れた屋敷がまるで知らないアトラクションか何かになったかのようで不思議と高揚する気持ちも湧いて来ていた。
たぶん母には叱られる事になるだろうが、それを代償にしても構わないと思えるほどには楽しかった。
叱られてばかりの兄妹たちは、きっといつもこんな気持ちで馬鹿をやっているのだろう。
私が病弱であるという話は対外的な方便だ。
性別を知らない兄妹たちにもそのように説明されてはいるが、おそらく誰も信じてはいない。
しかし表には出られない何らかの理由がある事は察しているようだった。
それもあり、兄妹の中で私は常に腫れ物扱いだった。
もちろん悪いばかりの意味ではなく、触れて壊してしまわないよう大切に大切にされていたといった感じだ。
その事自体は感謝してもし足りないが、同時にほんの少しだけ、寂しさを感じてもいた。
これまであまり気にしてこなかったというか、仕方のない事だと諦めにも似た感覚を持ってきたが、この夜私は、諦めるのは早かったのかもしれないと思った。
私よりも少しだけお転婆な妹と、夜の屋敷を冒険する。
たったこれだけの事で、私は妹にこれまでにない親近感を感じていた。
初めて兄妹の輪に入る事が出来たような、そんな気がしていたのだ。
私が王都の学園に、つまり外の世界に出るようになった事をきっかけに、少しずつ兄妹たちとの関係も変わり始めている。
そんな風に感じた。
こっそりと屋敷を出て裏庭に回る。
地下牢への入口は裏庭にあるらしい。
ただの地下室かと思っていたが、入り口が本館とは別にあるとは意外と本格的だ。
元は地下倉庫とかそういうものだったのだろうか。
「……んう?」
「……どうかしましたか、フィーネ」
「……いえ……。今何か、違和感がありませんでしたか?」
裏庭に入ってすぐ、フィーネが立ち止る。
しかしフィーネの言う違和感とやらは私には感じられなかった。
「……気のせいでは?」
「……そんなはずは無い、と思うんですけど……。あの、本当にお姉様は何も?」
「……はい」
とはいえ私はこういう事にあまり慣れていない。
フィーネには気付けて私には気付けない何かがある可能性はある。
森で出会ったオッサン仮面の剣圧もそうだが、どうにも私は鈍感なところがあるようなのだ。
「……敏感なんですね、フィーネは」
「……!? あの、今のもう一度言ってくれませんか? 出来ればもっと近くで」
聞こえなかったのだろうか。
ただの感想だし別に大した事でもないので、聞こえなかったのならそのままでもいいのだが、何でもないと返しても、相手はかえって気になるものである。
それでモヤモヤさせ続けるのも気が引ける。
私はフィーネの耳元に口を近づけ、もう一度囁いた。
「……敏感なんですね、フィーネは」
「んひぃ……!」
「……あ。ごめんなさい。近すぎましたか」
「……ありがとうございます!」
何がだろう。
「……あれ? おかしいですね。見張りがいます」
フィーネに手を引かれるまま、私は裏庭の一角に小ぢんまりと建つ石造りの小屋を見た。
その小屋の前には歩哨がひとり立っているため、相手から見えないよう庭の木の陰に隠れながらだ。
「……本当に地下牢なら、見張りが立っているのは普通の事では」
「……普段は誰もいません。牢の中には盗まれるような物もありませんし、誰もいないので見張る意味がないんです。前に私が閉じ込められた時も、誰も見張っていませんでした」
「……閉じ込められていたのに、なぜ見張りがいないと知ってるんですか?」
「……スムーズに脱走出来たからですかね? てへ」
可愛い。
しかしなるほど。それは何度も地下牢にぶち込まれるわけだ。
下手をすると一晩で回数を稼いだ可能性もある。脱獄タイムアタックでもしてるのか。
「……理由は分かりませんが、見張りが居るのでは地下牢の見学は無理そうです。今夜の冒険はここまでのようですね」
「……そんな、お姉様」
私だって消化不良で残念だが、こればかりは仕方がない。
仮にあの見張りをどうにかして侵入できたとしても、それがバレれば見張りの彼は酷く叱責されてしまうだろう。何らかの責任を問われる事にもなりかねない。
マルゴー家の者として、さすがにそれは容認できない。
「……ね。フィーネ。私が王都に戻るまで、まだひと月もあります。きっとまた遊べる機会もありますよ。今日はもう戻って休みましょう」
「……でも、あの鬼──お母様が許してくれるとは限りません……」
そんな風に呼んでいるからでは。
「……その時は、私も一緒にお願いしてみます。だから今日はもう戻りましょう」
「……お姉様……。わかりました、お姉様がそうおっしゃるなら」
◇◇◇
ディアボルスはマルゴーにとってもアルカヌムにとっても最重要と言っていい人物だ。
もっともマルゴーにとっては参考人としてであり、アルカヌムにとっては封じるべき口としてだが。
ところでフリードリヒとユージーンは有能だが、少々気遣いに欠けるというか、配慮が足りないところがある。
ディアボルスをマルゴーへ引っ張ってきたのはお手柄だったが、その光景は不特定多数の人間が目にしていた。正確に言えば、仮面を付けた怪しい2人組が簀巻きにされた何者かを辺境へ運び去る様子を、だが。
その不特定多数からそうした情報を得るのはさして難しい話ではない。
正体不明の秘密結社であればなおさらだろう。
その簀巻きが何であったのかは確信が持てないとしても、時を同じくして活動中の幹部が消息を絶ったとなればどんな間抜けでも想像がつく。
自分がもしアルカヌムの幹部であるなら、何としても、余計な事を話される前にディアボルスの口を封じたいはずだ。
ハインリヒはそう考えた。
実際、しばらく前から領民からは見覚えのない貧弱な男たちの目撃情報が寄せられているという。
マルゴーにとってはそれこそ結社の別の幹部とかでもなければこれ以上の情報源は必要ないし、その怪しい男たちを捕らえる事に意味はない。
しかし、このマルゴーの地で正体不明の者たちが周辺を嗅ぎまわっているのはいい気分ではなかった。
ゆえにハインリヒは害虫駆除程度のつもりで、結社の関係者をまとめて誘き寄せ、すべて始末してしまおうと計画を立てた。
これは当主ライオネルも同意見であり、そのためハインリヒの作戦は決行の許可が下りた。
当然の事ながら、ディアボルスを捕らえてからは毎日裏庭には多数の警備兵を配置してあった。
ミセリアが王都に行ってしまい、末妹フィーネが大人しくなったのはちょうどよかった。地下牢に放り込むほどのお転婆をしなくなったからだ。
それもあり、家族の女性陣を裏庭から遠ざける事が出来ていた。
地下牢にテロリストが捕らえられているなど、知らないで済むのならその方がいい。
ハインリヒが帰領し、尋問した事で、ディアボルスの情報源としての価値は無くなった。
証人としてならばまだ価値はあるが、別に裁判を行なうわけではないし、裁判をするとしても証人など必要ない。ここはマルゴー家の支配する土地だからだ。
それに【支配】を使って証言させるわけにはいかないし、【支配】も使わずにあの男が証言などするとは思えないし、どのみち証人としては使えない。
ゆえに価値の無くなったディアボルスは餌として使う事にした。
屋敷の周りを嗅ぎ回るハエをまとめておびき寄せるための餌だ。
連日連夜、多数の警備兵に任せていた見張りをこの日だけ1人にしたのはそのためである。
突然見張りが減ったのを見れば、敵は怪しむはずだ。
しかし見張りが減ったのは次期辺境伯の帰領と一致しており、次期辺境伯には病弱だとされる妹が同行している。
引かされた警備兵はどこに充てられているのか。
病弱なその令嬢の護衛のために割かれているのではないか。
その可能性がある以上、たとえ罠かも知れないと思っていても、何らかの動きはみせるはずだ。
ミセリアのいる本館の周辺に警備を集中させているのは確かなので、実際全てが欺瞞というわけでもない。
罠としてセッティングした裏庭には兵士は1人しか置けない事になるが、罠などハインリヒとフリードリヒさえいれば十分なため、別に問題ない。
下手に探りを入れて警備を再び強化されても面倒なはずだし、やるのであれば使えるだけの全ての戦力を使い、玉砕も覚悟の上でディアボルスの暗殺に踏み切るはず。
そうして屋敷の敷地の外側に全神経を集中させていたハインリヒは、ついに不審な武装集団の接近を【感知】した。
「──かかったか。どの程度かはわからんが、あのディアボルスの話す内容が本当ならば大した相手でもないな。
久しぶりの実戦だし、出来ればミセルに私の格好いいところを見てもらいたかったが……。あの子を危険な戦場に連れてくるわけにもいかんし、それは仕方がないか」
「ああ、兄上はもうずいぶんとミセルにいいところを見せてませんしね。僕は先日たっぷり見せつけましたがね。……仮面越しだけど」
フリードリヒの得意げな言い様は腹立たしいが、本人も言っているようにその活躍はあくまで「仮面の貴公子」とやらのものだ。
ミセリアに直接応援してもらったとか自慢していたものの、それはフリードリヒに向けられたものではない。
「……言うほどいいところあったか?」
「……フリッツ様がそう思うんならそうなんじゃない? 彼の中では」
ユージーンとルーサーがフリードリヒに聞こえないよう話している。
どうも、フリードリヒの自慢は話半分に聞いておいた方がいいようだ。
そのフリードリヒが不意に訝しげな声を上げた。
「ていうか、あれ? ミセルの部屋に誰の気配も【感知】出来ないな。どこ行ったんだろ。トイレかな」
「おいフリッツ。言うまでもないが──」
「わかってますよ。さすがにトイレの中まで【感知】したりはしませんよ」




