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「うちに地下牢なんてあったんですね。知りませんでした」
マルゴーの領民は基本的に人間に対しては温厚なので、あまり重大な犯罪などは起こらない。
領外から来た者が悪だくみをしたとしても、悪事が明るみに出る頃には首謀者や実行犯は事故などで魔物の餌になっていたりする。
そのため牢屋が必要な事態というのがまずあまりないのだ。
しかしマルゴーは王家とタメを張るほどには古い家だと聞いた事があるし、歴史があればそれなりに色々あったのだろう。
「私は何度か入れられた事がありますよ。案内しましょうかお姉様?」
フィーネがきらきらした目でそう提案してきた。
私のために何かできるのが嬉しくて仕方がない、と言った様子だ。可愛い。
何度か自宅の地下牢に入れられた事がある令嬢というのはなかなか聞き捨てならないワードだが、可愛いのであまり気にならない。
「だめに決まっているでしょう。あそこは強情な分からずやを連れていく場所です。ミセルは良い子なので行く必要はありません」
しかし母が妹を制した。
妹は不満げに唇を尖らせていたが、止められて当然である。どこの世界に地下牢を見たがる令嬢がいるというのか。
私もちょっと興味があっただけで、別に積極的に見たいわけではない。
きっと今のように目をきらきらさせて案内してくれるだろうフィーネを見られるという意味では見学も悪くないが、それは別に地下牢でなくてもいいことだ。
「フィーネの案内というのも心惹かれますが、確かに牢屋を見ても仕方がありませんしね。
それよりお母様。私、他に案内して欲しいところがあるのですが」
「あら。どこかしら。お母様でも案内できる所ならいいのだけれど」
「私! 私もいますよ!」
母なら知っているかもしれない。フィーネはどうだろうか。フィーネもマルゴーの兄妹の例に漏れず、基本的に興味のないことには一切関わろうとしない子なので、知らない可能性は高い。
「少し前、王都からマルゴー駐在騎士として赴任してきた方がおみえかと思います。その方の人事には私も無関係ではありませんでしたので、その後どうしていらっしゃるのかと……」
「ああ。そうだったわね。駐在騎士様にかかる経費は貴女の予算から出ているのだったわね。
そういうことなら確かに、スポンサーとして視察が必要でしょう。私も場所は知っているけれど……。案内はフリッツに頼むといいわ。あの子の方がよく知っているから。
明日にでも行って来るといいわ」
私の小遣いから便宜を図ってもらえるようにお願いはしたが、それでスポンサーということになってしまうのだろうか。
というか騎士は本来公務員だし、公務員にスポンサーがいるというのもなんというか不正の匂いしかしない。
とはいえそれは前世の感覚での話であって、この地方の統治者たる領主一族に連なる者の財布から予算が出ている、という意味では公的資金と言えなくもない。実際私の小遣いの出所は税金だし。
「私も行きます!」
「貴女はだめです」
「どうしてですか! フリッツ兄様だけずるいです!」
「貴女にはお勉強があるでしょう。それが終わるまで遊びに行くのは許しません」
いや私も遊びに行くわけではないのだが。
「フリッツ兄様だって昔は真面目にやってなかったって剣の先生が言ってましたよ!」
「それでもきちんとお勉強や鍛錬をして、今はちゃんとお父様のお手伝いをしているでしょう」
「嘘です! 今もちゃんとは出来てないってお父様が言ってました! フリッツ兄様はポンコツです!」
「ポン──、フィーネ貴女、どこでそんな言葉を!」
私かな。
何かの時にフィーネの前でそんな言い方をした事があった気がする。ただその時は別に特定の誰かを指して言ったわけではなかったと思う。
「ポンコツ兄様なんかより私の方がずっとお姉様のお役に立てます!」
正直、ポンコツ具合で言えばフィーネもなかなかのポテンシャルを秘めているので、フリッツとどっこいな気もする。
特に、ついさっきまで説教をされていたというのに、さっきの今でこんな発言をしてしまうあたりはさすがにポンコツ兄様の妹と言えよう。
我が兄妹たちはそこが可愛いのだが。
「……わかりました」
母が静かに言った。
「わかっていただけましたか」
フィーネは笑顔でそう言うが、たぶん笑っている場合ではない。
「仮にも目上であるお兄様に対して、フィーネがどう思っているのかという事が、よく、わかりました。
貴女にはお勉強の前にお説教が必要なようですね。今日の残りの予定は全てお説教に置き換えます。自由時間はありません」
「そんな! どうして……!」
どうしてなのか。
たぶん、それをわかるようにするために説教されるのだと思うが。
私はディーが淹れた紅茶を飲みながら、世界で二番目か三番目の美少女がこんこんと説教をされる様を眺めていた。
実に贅沢なお茶請けだった。
◇
夜中。
すでに皆は寝静まっており、屋敷は静寂に包まれている。
当然私も眠っていたのだが、ふと部屋の扉が開く気配がして目が覚めた。
「──お姉様。お休みですかお姉様。お休みならば仕方がありません。ですが私がこうしてお声掛けしてもまったく目を覚まさないとなると、もしや何らかの呪いの類を受けているのでは。もしそうだとしたら大変です。ここは呪いを解除するために祝福の──」
部屋に侵入してきたのはフィーネのようだ。
フィーネは私のベッドから少し離れた場所でぼそぼそ言うだけで、とても寝ている者を起こすために声をかける気があるとは思えない。
幸い私は部屋に侵入された時点で気が付いたが、起こす気がないのなら呪い云々は方便だろうし、フィーネは何のために入って来たのだろう。
「……こんな夜中にどうしたんですか? まさか今まで叱られていたのですか?」
だとしたらさすがに可哀想だ。
慰めてやるのも吝かではない。
「ぴっ! お、起きていらしたんですかお姉様……」
「ええ、まあ。それより、私に何か?」
夜更しはお肌の大敵だ、とはよく聞く話なので、出来ればこのまま眠りたいし、フィーネも寝かせたい。よもや私が宇宙一から転落するなど考えられないが、夜更しのせいで可愛いフィーネが世界二位か三位から転落してしまう事などあってはならない。
「お、起きていらっしゃるなら残ね──いえ好都合です。
お姉様、私はお母様に叱られました」
「ええ。見ていましたから知っています」
「お母様は言いました。お姉様と遊んでいいのはお勉強が終わってからだと。そして今日は自由時間はなしだと」
「そうですね」
私はちらりと壁際にそびえ立つ振子時計を見た。
この世界の技術では、魔法的なサムシングを利用してもまだ時計の小型化には成功していない。前世ではアンティークでしか見かける事が無かったような、大きなのっぽの真新しい時計が堂々たる姿でそこに鎮座している。
その暗闇の中、魔法の力で浮かび上がる文字盤によれば、すでに日は跨いでいる。
つまり母の言った今日とは昨日だ。
「今日のお勉強はすでに終わっていますし、日も跨いでいますので失われた自由時間も復活していると言えます。なので、私がお姉様と遊べるのは今だけです」
「いえ、日を跨いでいるのなら今日のお勉強はまだということになるのでは。その理屈だと、必ずどちらかは満たせないことになりますが」
「それはお母様でも同じこと。お母様にとっても、私を止めるに十分な難癖は付けられないということです!」
そんな事はない。
フィーネが満たさなければならないのは「その日の勉強を終わらせる事」と「自由時間に説教を受ける」の両方であった。
日付が変わった事で、そのうちの「自由時間に説教を受ける」はすでに終わったとしても──この分だと新たに追加される可能性が大だが──「その日の勉強を終わらせる事」が満たせていないのは明らかだ。
日付が変わる前ならば、その日の勉強というのは終わっていたのかもしれないが、それを持ち出すなら今日の「自由時間に説教を受ける」という命題がまだ終わっていない事になる。まあ母も寝ているだろうし、今説教してくれと言われても困るだろうが。
母が「どちらかを満たせば遊んでもいい」というつもりで言ったとは考えられない。
事は勉強と説教なのだし、常識的に考えて貴族令嬢の義務と罰だと言い換える事もできる。ならばどちらか一方でいいはずがない。
そう諭してやってもよかった。
しかし、妹にこうも期待を込めた瞳を向けられてしまうと、どうにも強く言う気が失せていく。
せっかく久しぶりに帰ってきたのだし、たまには妹の我が儘に付き合うのも悪くない。
説教は母の仕事だ。
なんなら、後で一緒に叱られるのもいいだろう。
「──はあ。仕方がありませんね。今日だけですよ」
「やった! お姉様大好き!」
「それで、どこで遊ぶんですか?」
「はい! お昼にお姉様も行きたがっていた、地下牢です!」
そんな話だっただろうか。
私が行きたいのは駐在騎士の所であって地下牢ではない。
もしかして駐在騎士は地下牢に入れられているのかも、とも一瞬思ったが、さすがに王家との繋がりを結び直そうというこの時期に、そんな謀反上等な事をするはずがない。
たぶん、フィーネに案内できそうなのが地下牢だけだからだろう。
しかし付き合うと言ったのは私なので、ここは素直に案内してもらうことにした。
時々とは言え、領主の娘が何度も入っている地下牢だ。
たぶん、実際は地下の空き部屋とかそんな事だと思う。
フィーネを制するコルネリア




