4-8
魔境と呼ばれる北の果て、マルゴー。
そこに聳える辺境伯家の屋敷は、口さがない者たちの間で時に「魔王城」などと呼ばれる事もある。
魔物が跋扈するマルゴー領において、王がごとく振る舞う辺境伯一族を揶揄して言った言葉だ。
魔王城の地下にある牢では、実験用に捕らえられた魔物が夜な夜な鳴き声を上げている、なんて噂もある。
もちろんそんな噂は嘘っぱちである。
しかし、全てが間違っているわけでも、まったく根拠がないわけでもなかった。
なぜなら、マルゴー辺境伯の屋敷には確かに地下牢があり、そしてここ最近は連日そこで男の悲鳴が響いていたのだから。
もちろん、実際には外に音が漏れるような事がないよう対策されているのだが。
◇
「……よう。今日は……随分と早いじゃねえか……クソ野郎ども……」
「なんだ。まだ元気じゃないか」
屋敷の地下の独房の前に立ち、ハインリヒが中を覗き込むと、そこに繋がれているみすぼらしい男が呻いた。
この男がここに運び込まれたのはハインリヒがマルゴーを発つ前の事だ。
あれから連日拷問を受けていたにしては元気が良すぎる。まだ自分から話しかける気力が残っているとは驚きだ。
「言っておきますが兄上。僕は手は抜いてませんよ」
「俺もこの手の仕事は慣れちゃいねえが、まあこちらの坊ちゃんに叱られない程度にはうまくやってたつもりですぜ」
ついてきたフリードリヒとユージーンがそう答えた。
ルーサーは眉をしかめている。学園で非常勤治癒士に扮してミセルの護衛をしている彼だ。明らかに治せそうにない傷を負っているにも関わらず、鎖で繋がれ放置されたままのこの男の姿は見るに堪えないのだろう。
ライオネルは来ていない。さすがに領主である彼は、自ら現場に来るほど暇ではない。
「ユージーン殿。無理に私に敬語はつけなくてもいい。いずれ、父の跡を継いで辺境伯になる。その時には私も貴方たちと良好な関係を築きたい。どうか、父にしているように気さくな態度で接してくれないだろうか。名前も呼び捨てで構わない」
「……そう言うんなら、そうさせてもらうが……。いいのか? アンタの弟君は様付けを要求してきたが」
そんな事をしていたのか。
マルゴー家の次男ともあろう男が情けない。
「もしかして、それで僕の事をフリッツ様って呼んでるのかい? あれはジョークだよジョーク。ユージーン殿は真面目だなあははは」
仮にフリードリヒが本当にジョークのつもりで言っていたとしても、いかに父親の知己とは言え、平民の傭兵であるユージーンの立場であれば従わないわけにはいかない。
見る限りではそれほど険悪な雰囲気ではないので、ユージーンとしてもジョークとわかっていながら敢えて付き合ってくれていたのかもしれないが、こういう悪ふざけは貴族として褒められた行為ではない。
フリードリヒはその実力こそ、ハインリヒに迫るかもしれない才能を秘めてはいるが、このように対人関係においてはやや問題を抱えている。次男である事の気の緩みだろうか。
「まったくお前は……」
「……楽しそうで何よりだがよ……、クソども……。そんな話を、俺に聞かせちまっていいのかい……? 今の話だけで、ここがどこで貴様らが誰なのか、わかっちまったぜ……? まあ、ここがどこなのかは、元々わかっちゃいたがな……」
掠れた声で牢の男がうそぶく。
ユージーンは普段、フリードリヒの事を様付けで呼んでいるようだし、今さっき呼んだ「坊ちゃん」はこちらの事を探られないようそうしていたのだろう。今日までの拷問の間はそうやってお互いの名前を呼ばないようにしていたのかもしれない。
さすがは父の友人だ。粗暴に見えてそつがない。
しかし、もはやそんな心配は必要ない。
「まだまだ元気なようだが……。フリッツがもういいと言うのであればいいんだろう。
──名も知らぬ男よ。残念だが楽しい楽しい自由時間は今日で終わりだ。さあ、私を受け入れろ。【支配】──」
◇
「──男の名はディアボルス。ただしこれは結社内でのコードネームのようなものらしく、本名は男本人も知らないようです」
地下牢で尋問を終え、ライオネルの執務室に戻って聞きだした内容を報告する。
ハインリヒの【支配】にかかれば、どれだけ拷問に耐えようとも何の意味もない。
【支配】はその名の通り、対象の行動の一切を支配してしまう強力なスキルだが、その実あまり使い勝手がいいとは言えない。
相手が抵抗に成功すれば無駄に疲れるだけで終わってしまうし、抵抗を突破したとしても効果時間はほんの数分もない。
尋問であれば、その間に聞くべき事をすべて聞き出す必要がある。さらに場合によっては、その後尋問内容を全て忘れるように命じるか、自害させる必要もある。
もし時間内に終わらせられなければ、次は1日待たなければならない。同じ対象には続けて発動できず、できるようになるのは24時間後だからだ。
これは抵抗された場合でも同じクールタイムが必要とされる。
あの男、ディアボルスが地下牢に運び込まれた時にはハインリヒはまだマルゴーに居たが、あの時【支配】をかけなかったのは抵抗されたら時間の無駄になると考えたからだ。
それなら、王都にミセリアに会いに行っている間に弟たちに痛めつけさせ、抵抗する力を奪っておいた方が効率が良い。
「自分の名前も知らないだと? どういう事なのだ」
「そのあたりはディアボルス自身もよくわかっていないようで……。どうも、孤児だった所を結社に拾われたらしく、結社によって育てられたようですね。男にとっては名前ではなく番号で呼ばれるのが普通で、名前としてディアボルスというコードネームを貰ったのも成人してからという事です」
「……なるほど。かなり年季の入った組織のようだな」
「その結社ですが、アルカヌムと名乗っている事と、22名の幹部による合議制で運営されているらしい事以外は不明です。幹部のはずのディアボルスも結社の目的についてはよくわかっていない様子でした。幼い頃から結社で育てられたのなら、そのように教育というか、洗脳されている可能性もありますね。
ちなみにああ見えて、まだ40代も半ばという若さでした」
実際は孤児であるディアボルスは自身の正確な年齢を知らず、あくまで数えた年からそう推察しているだけのようなので、もっといっている可能性もあるが。
「何? 私より年上と言われてもおかしくないくらいに見えたが……」
「ええ。我が一族が老いにくく、また父上が特に若づくりである事を差し引いても、奴の老け顔は異常なレベルです。そんな事例、聞いた事がありません」
そう言うと、じろり、とライオネルに睨まれた。
ハインリヒとしては褒めたつもりだったのだが。
「……異常に老化が早い男、か。結社とやらでそういう人体実験でも受けていたのか?」
「わかりません。ディアボルスの覚えている限りでは、そういう事はないようでしたが……」
「まあ、考えても仕方がない。それより、そのアルカヌムとやらの真の目的はわからずとも、あの魔物の泉を利用して何をしようとしていたのかくらいは知らないのか?」
「幹部と言ってもディアボルスは実働部隊の指揮官といった感じの立場らしく、詳しい事までは……。ただ、泉を利用した実験では、本来は魔物の生成ではなく空間移動が目的だったようです。生物を泉に通すと今のところ例外なく魔物化してしまうので、実験としては失敗だったようですが。
アングルス領での騒ぎは、要は実験にかかった費用の回収ですね。
魔物を生み出す技術という意味では確立されているので、その技術をメリディエス王国に売って結社の活動資金を得ようとしていた、といった事情のようです。結果的にそれも失敗して、顧客であるメリディエスからクレームが来たので、実働部隊が後始末に回った、と」
人工的な魔物の領域の作成とその制御についてはマルゴーの研究機関でも研究されている。
しかしこちらはあくまで小型の領域としての魔物の泉しか再現できておらず、2つの泉を介する事で生物を魔物化させるなどという技術は実のところ全く未知のものだった。
まさかマルゴーよりも魔物の研究が進んでいる組織があるとは、と内心戦慄したものだったが、そもそもの目的が違っていたのなら理解も出来る。
マルゴー家は空間移動などには興味がないので、そのような研究などしたことがなかったからだ。
距離があるなら馬を鍛えて走らせればいいだけである。何なら身体を鍛えて自分で走ってもいい。
「……謎の結社と言っても予算は必要か。それはそうだろうな。何が目的なのかは知らんが、夢だけでは食ってはいけんからな……」
世界一の傭兵になるという夢を諦めて一辺境の領主を継いだらしいライオネルが言うと説得力がある。
ハインリヒの夢は最初から祖父や父のような立派な当主になることなので、いまいちよくわからない。
もっとも、父が夢を諦めたのは金銭的な理由ではなく、祖父に殴られて連れ戻されたからだと聞いているが。
「ただ、ディアボルス以外の幹部が話していたのを聞いたところによれば、異界の扉を開いて秘された知識をどうこうするとかしないとか……。空間移動の研究もその足掛かりのためとかなんとか……」
「……全く要領を得んな……」
「ディアボルス本人もよくわかっていないようでしたので、これ以上は聞けませんでした。
ただ、それに関連してか、かつてアルカヌムが我が領に間者を放った事があったようです」
「何?」
「間者のコードネームはエレミタ。隠密行動に特化した訓練を受け、幹部にまで上り詰めた男のようです。ディアボルスの推測になりますが、おそらく我が領に侵入したエレミタは仮面の貴公子──フリッツと交戦して倒されたのだろうと」
「……聞いていないぞ。なんだそれは。フリードリヒを呼べ」
「すでに呼んであります。──フリッツ、入りなさい!」
ハインリヒが呼んでも、しばらくフリードリヒの気配は扉の外でモタモタしていたようだった。
しかし少しすると、ユージーンとルーサーに抱えられるようにして入室してきた。まるで囚人だ。ミセルの兄ともあろう男が情けない。
「……フリードリヒ、呼んでもいない時はノックもせずに入ってくるくせに、今日は随分と奥ゆかしいようだな」
「いえ、違うんです父上。聞いて下さい」
「もちろんだ。お前から話を聞きたいがために呼んだのだ。さあ、話してみろ。以前に秘密結社アルカヌムの密偵と戦ったそうだな」
「ですからそれが、違いまして……。その、僕が戦ったのはそんな妙な連中ではなく、単に得体の知れない男で……」
「それはそうだろう。その時点で正体が知れていたら秘密結社の密偵として問題だ。で、お前はなぜ、我が領に侵入した不審者について報告しなかった?」
先ほど、地下牢でハインリヒが問い詰めてもフリードリヒは答えなかった。
しかし領主である父に聴取を受ければさすがに答えないわけにはいかない。
マルゴーは危険の多い領地だ。
そのため領軍などの規律も一際厳しく定められており、一部は領軍以外で公的地位にあるものにも適用されるものもある。
フリードリヒは領で公職についているわけではないが、領主の一族となればミセルのように病弱などの特別な理由がない限り、生まれながらに公的地位を持っている。
であれば、ここでも答えないようなら、最悪の場合実子と言えど謀反を疑われ処罰される事もある。
そして観念し、ぽつりぽつりとフリードリヒが語ったところによれば。
確かに数年前、正体不明ではあるものの、謎の男と交戦したらしい。
相手は相当な手練れであったらしく、領内の警備をすり抜けてマルゴー家の屋敷にまで到達したらしい。
そこでたまたま屋根に登っていたフリードリヒが賊と遭遇し、交戦するも、あと一歩のところで取り逃がしてしまった、ということのようだ。
フリードリヒが報告しなかったのは、取り逃がした事を叱られると恐れた事と、その時拾った仮面をこっそり悪用していたから、らしい。
「……取り逃がした、だと」
「……申し訳ありませんでした、父上。あ、取り逃がしたと言っても、致命傷となる傷は負わせています。僕もあれから隠密技能を伸ばしていますが、その後の消息は掴めませんでした。ですがあの手傷で逃げ切れたとは到底思えず、もうとうに死んでいるものかと……。
それでその、仮面については……」
「そっちはもうよい。お前が妙なアイテムを使って変装しているらしい事は報告が入っていた。拾ったものなら、好きにしろ。ああ、ただし今回新たに拾った方は研究所に提出しておけよ。
それよりハインリヒ、あの男は、間者はフリードリヒと交戦して倒された、と言ったのだな?」
「はい。間違いありません。少なくとも、結社内部ではエレミタはすでに死亡したものとして処理されているようです。遺体も戻ってこなかったと言っていましたから、実際に死亡を確認したわけではないようですが」
「であればフリードリヒの言う通り、すでに死んでいると見るのが妥当か……。仮に生きているとしても、組織にも帰らず、しかも何の報告もしておらんなど理由がわからんしな」
アルカヌムでもフリードリヒでも死体を見つけられていないというのは不気味だが、事件が起きたのはこのマルゴーの地だ。
瀕死の状態で命からがら逃げ出した挙げ句、危険な領域に足を踏み入れて魔物に食い散らかされた、という可能性は十分にある。
「しかし、それで隠密技能を磨いておったのか。目立ちたがり屋のお前にしては妙だと思ったわ」
「いえ、それもありますが、目立つためには直前まで隠れていた方が効果が大きいのではと考えた次第でして──」
「……おいおい、大丈夫かこの家。まともなのは長男だけじゃねえか」
「……仲間だと思われるから話しかけないでくれない? あとユージーンは知らないだろうけど、長男もわりとまともじゃないから全然大丈夫じゃないよこの家。下手したらお嬢が一番まともかもね」
「……お前まさか、金で……」
「……人聞きが悪いな。まあ仮にそうだとしても、僕は品性までは売り渡す気はないけど」
ルーサーが何やら妹を褒めているらしい気配を感じながら、ハインツは報告を続ける。
「それから、ディアボルスが使っていた謎のスキルですが、あれに関しては──」
ちょっと考えたのですが、面倒なので1日は24時間、時刻もだいたい地球と同じという事にしました。マジカル時計も開発されています。




