4-7
学園が休校に入り、その翌日には私たちは王都を発った。
そしてその日の夕方にはマルゴーに着いていた。
ちょっと馬を応援してやるだけで、数日はかかる旅程が半日に縮む。
ならばやらない理由はない。日程が短くなるという事は、それだけ経費も削減できるという事だ。
他に用事もあったにしろ、兄は領民の血税への義理だけで私の様子を見に来たのである。ならば少しでもその経費を削ろうと努力するのもまた、領主一族としての務めだ。
幸い、治癒士であるルーサーも護衛として同乗していた。
人間に効くのかは見た事がないので知らないが、馬を癒す事にかけては彼の腕が一流である事は知っている。
ハインツは、半日で慌ただしく終わってしまった馬車の旅に少し不満そうではあったが。
まさかその日に帰宅するとは思っていなかったのか、出迎えには誰も出てこなかった。
仕方がないのでルーサーを連れて兄と共に父の執務室に向かった。
「……もう帰ってきたのか。早すぎはしないか? 休校に入ったのは確か今日からだろう」
ノックをして部屋に入ると、父が驚いていた。
兄は入室の許可を貰う前に扉を開けていたようだが、いいのだろうか。
次期辺境伯だし、それが許されるほど父に信頼されているのかもしれない。
「はい。お馬さんが頑張ってくれましたから」
「……馬に何かしたのか? まさか、最近妙に馬車馬が元気だったのは──」
「──超回復、という現象でしょうね。あれだけ消耗した状態から回復すれば、何ヶ月もの訓練にも等しい成果は出るかもしれません。今回馬車を曳いていた馬も、もう外には出せないでしょう」
ライオネルの言葉にハインツが答えた。付いてきたルーサーも肩を竦めている。
「……この事は」
「お嬢様が他に馬車でお出かけとかしていないんなら、僕ら『餓狼の牙』とここにいる方々くらいしか知らないと思いますね」
「……なるほどな。人間ならば、あれだけのバフを受けた状態で長時間活動するのは命取りだと判断できる。しかし御者に従うしかない馬ではそうはいかん。限界を超えて働かされた結果、本当に限界を超えて成長してしまったというわけか」
私の応援によって、馬が限界を超えて成長してくれたらしい。
それは別に悪い事のようには思えない。成長出来ないよりは出来た方がいいはずだ。
「何を得意げな顔をしているミセル。あんな無茶、普通の馬では耐えきれんぞ。くれぐれもマルゴー産の馬以外にはむやみに、あー応援とかをするでないぞ」
「ご安心くださいお父様。お馬さんも言われずともご自分のお仕事を全うされているのですから、よほど急いでいる時くらいしかあえて応援などいたしませんし、そもそも急ぐ時にはマルゴーの馬以外は使いません」
マルゴーの馬は速い。
この世界、馬と言うのは普通に軍需物資である。そのため他領に輸出などはしていない。
しかし見た目に変化は無くとも、マルゴーの馬が優れている事は領民の誰もが知っている。他領からはよくある身内びいきと思われているらしいが、実際速い。
「……というか、馬に限らずやたらめったら応援とかして欲しくないんですけどね。フォローも大変なんで」
ルーサーが疲れたように呟いた。
彼にはいつも馬を癒してもらっているので感謝している。
◇
旅の埃──と言っても半日分だが──を浴室で落とし、自室で寛いでいると、私の帰宅を知った母と妹がやってきた。
「お帰りなさい、ミセル。王都での生活にはもう慣れましたか?」
「お手紙でお知らせしている通りです、お母様。お友達も増えてきましたので、楽しく過ごしています」
自分でも言った通り手紙でやり取り自体はしていたものの、母の姿を見るのも声を聞くのも久しぶりだ。
柔らかく微笑む母には変わりがないようで安心した。
「お姉様! お帰りなさいませ! もうずっとマルゴーにいるんですよね!? 永遠に!」
その母の身体が急にずれたと思ったら、母を押しのけて妹フィーネが詰め寄ってきた。
「ただいまフィーネ。いえ永遠にはいませんよ。一ヶ月ほどで王都に戻ります」
なんでそんな極端な事を考えたのか。
「そうなんですか……。せっかくずっと一緒に居られると思いましたのに……」
「仮に私が永遠にマルゴーにいるとしても、2年後にはフィーネも学園に通うのでしょう? そうしたらその時に離れ離れになってしまいますよ」
「そうでした! つまり、後2年我慢すればお姉様と王都の屋敷で2人きぐぇっ!」
妹が急に、カエルが潰れたような声を出し、私から一歩距離を取る。
何事かと思えば、母に首根っこを掴まれて引っ張られたらしい。
「──フィーネ。お母様を突き飛ばすだなんて、それが栄えあるマルゴー家の令嬢のする事かしら。貴女のお姉様がそんなはしたない真似をしているところを見た事があって?」
「ぐっ……ぐっ……ぐるぢい……」
フィーネの、世界で二番目か三番目に美しい顔が青黒く歪んでいく。
この状況こそ貴族の令嬢にはあるまじき事態だと思うが、マルゴーにいると割とよく見る光景ではある。
もっとも、理由なく誰かを突き飛ばすなど美しくない行動をしたことがないので、私はこんな折檻は受けた事がない。
妹にも美しくない行動は慎んでもらいたいし、ここはしっかり叱られておいてほしい。何度叱られても懲りずに暴走する辺りが、マルゴーでこの光景を良く見る所以ではあるが。
「──申し訳ありませんでした。お母様、お姉様」
解放され、こんこんと説教を受けて項垂れるフィーネが可愛い。
普段はイケイケなところばかりを目にしているせいか、私の兄妹たちはこうして萎れている時が一番可愛く見える気がする。
普段イケイケな子が萎れていると可愛い、ということは、フィーネと二番目か三番目を争うグレーテルも萎れていればより可愛らしく見えるかもしれない。
これは一考の価値がある。学園が再開したら、なんとかグレーテルが叱られるような事態にならないものだろうか。
「お姉様? 今、他の女の事を考えておいでではありませんでしたか?」
ぐりん、と顔だけをこちらに向け、フィーネが言った。説教中にそんなことをすると、また母の怒りのボルテージが上がってしまうが。
「いいえ? そのような事はありませんが」
「……本当ですか?」
「はい。私がフィーネに嘘をついた事がありましたか?」
実際嘘ではない。グレーテルは男なので。
ただし、私は嘘はつかないが、フィーネが勝手に勘違いしている分には敢えて訂正したりもしない。
お姉様、と呼ばれるがままにしていることなどがそうだ。
「それならよろしんぎっ!」
フィーネの頭の向きが母の手によって強制的に戻された。
「フィーネ、貴女いま自分が叱られている最中だっていう自覚はあるの? ドクトゥス侯爵夫人にもっと厳しくするようお願いしておきますからね? まったく、ミセルは数週間でお墨付きを貰ったって言うのに貴女と来たら……真面目にやっていたのはミセルと一緒に指導を受けていた間だけだって言うじゃないの」
「お、お言葉ですがお母様。お姉様と同じ水準を求められても、そんなの無理に決まってます!」
「誰もそこまで求めてはいません。私は今、やる気の話をしています」
「まあまあ、お母様。フィーネは他にも魔法や剣術でも頑張っているのでしょう? きっと毎日忙しくて大変なのですよ」
剣や魔法については私にも一時教師はついていたが、どの指導も数週間足らずで終わってしまった。
たぶん、表に出る事のない私に長く教えても意味がないからだろう。
フィーネはもう何年も指導を受けているので、私が彼女と同じくらいの年だった頃よりずっと忙しいはずだ。
「……ミセルはちょっと家族に甘過ぎますね。まあ、いいでしょう。今回はミセルに免じてこのくらいにしておきますが、次は地下牢に入れますからね」
「はい! もうしません!」
うちに地下牢なんてあったのか。
王都に出るまで14年余り、ほとんど屋敷からも出た事がなかったが、そんな施設があるだなんて全く知らなかった。
◇◇◇
ライオネルの執務室からミセリアが退室し、入れ替わるようにフリードリヒがやってきた。
フリードリヒは帰ってきたミセリアに会いに行きたいようでそわそわしていたが、その前にやるべき事がある。
「──それで、何か分かりましたか?」
さらにフリードリヒを追うようにユージーンが入室したところで、ハインリヒがそう訊ねた。
「いや、何も喋ろうとはせん」
ライオネルは息をついて答える。
ハインリヒが訊いたのは、今この屋敷の地下牢に入れられている、結社とやらに所属しているらしい謎の男についてだ。
ハインリヒが王都に発ってから、男はフリードリヒとユージーンによって連日拷問にかけられていた。
「兄上が帰って来たのなら、さっさと済ませてしまいましょう。僕も暇ではありませんので」
「……お前はミセルに会いに行きたいだけだろう。今頃はコルネリアとフィーネが会いに行っている。お前まで行くと面倒な事になる。我慢しろ」
「すいやせん、ハインリヒ様がお帰りになられたら、何かありますんで? 正直、あれだけ拷問しても一向に口を割らないんじゃ、誰が何しても同じなんじゃあ……」
ユージーンが訝しげにそう言った。ルーサーも同じような顔をしている。
しかし、この2人と長い付き合いのライオネルだからわかったことかもしれないが、2人の間に妙なぎこちなさというか、壁のようなものを感じる。
何か、信頼関係が揺らぐような事でもあったのだろうか。仕事上問題ないのであれば構わないが、旧友としては少々気になるところだ。
「ああ、兄上のスキルについては話してないんですね。いいんですか?」
「ん? ああ、彼らであれば構わない。これまで話さなかったのも隠していたわけではなく、単に機会が無かっただけだ」
「まあ、お子さんたちは揃って出来が良いって話なら何度も聞きましたがね」
「おいユージーン!」
ユージーンは口が滑ったとばかりに肩を竦め、ルーサーも苦笑している。
一方、思わぬ方向から褒められたハインリヒとフリードリヒは柄にもなく照れているようだった。
「そんな事はどうでもいい。それで、フリードリヒ。今なら行けそうか?」
「え、ああ、はい。兄上のスキルが通るであろう程度には弱らせてあります」
「そうか。ならば、無駄と知りつつ拷問を続けてきた甲斐はあったな」
「それで、その、ハインリヒ様のスキルってえのは……」
改めて尋ねるユージーンに、ライオネルは少々の勿体をつけて答えた。
それが何であれ、我が子の才能を誇れる機会は貴重である。
「──ハインリヒはこうした尋問に実に適したスキルを持っているのだ。【支配】というんだがな──」
素直で可愛らしい妹が再エントリーです。
次回はハインリヒ視点です。




