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問題だらけの授業参観を終えた後も、ハインツは数日は王都の屋敷にとどまっていた。
何度か登城していたようだし、ゲルハルトと仲良くするとか、その父の王太子と顔を繋ぐとか、そういった諸々も含めて次期辺境伯としての足場固めに邁進していたようだ。
具体的に何をしているのかはわからないものの、「社交も腕力で解決できれば楽なのにね」と呟く兄を見る限り、相当に面倒なお仕事らしい。絶対にやりたくない。私は三男でよかった。
特に騒ぎは聞こえてこないので、その間ハインツが劇場型の暴走をする事は無かったようである。
となるとやはり、兄が暴走するのは私に関わる時だけということだ。
あの悪癖には相応に恥をかかされたが、それでも敬愛する兄である。
早くマルゴーに帰った方が兄のためなのでは、と思う気持ちと、そう考えるのが少し寂しい気持ちがせめぎ合う。
そんなある日の事。
食事の席でハインツが言った。
「そうだ、もうあと数日で休暇だったね。私もそれに合わせて領に帰る事にするから、一緒に帰ろうか、ミセル」
「え? すみません、何をおっしゃっているのかよく意味が分かりません。誰の休暇なんですか? 私が関係しているんですか?」
「ははは。相変わらず、抜けているところも可愛いなミセルは。もちろん君の休暇だよ。私も王都でするべき事は終えたから、一緒に帰る事が出来るよ」
私に休暇なんてあったのか。
いや私にというか、学園が休みになるのだろうか。
そんな話は聞いていない。
困惑する私の表情を見て、ハインツはちらりと私の傍らに控えるディーの方へと視線をやった。
ディーが一礼する気配がし、話し始める。
「ハインリヒ様。恐れながら、発言をお許しください」
「ああ。頼むよ」
「王立学園の長期休校ですが、先日我々従者の控室にも連絡が参りました。ハインリヒ様を学園にご案内した日であったと記憶しております」
あの日か。
普通に考えれば従者たちの主人である私たちにも同じ日に通達が回っているはずだ。
しかし私は聞いた覚えがない。
あの日は確か──
「──大自然の織りなす芸術に見とれていた日ですね……」
「はははは! 窓の外の景色でも見ていたのかな。でも、詩的な表現で余所見を誤魔化そうとしてもだめだよ。お前の学業については成績表と査察でよくわかっているが、ホームルームであろうとも先生の話は真面目に聞かなければいけないよ」
「ええ。全くお兄様のおっしゃる通りです……。今、それを痛感しています……」
まさかハインツから「人の話を聞け」などと言われるとは思ってもいなかった。なかなかの屈辱感である。が、まさに兄の言う通りなのでぐうの音も出ない。
どうやらもうあと数日で私はマルゴーに帰る事になるらしい。
◇
「え、帰るの……?」
「ええ。帰るみたいです」
翌日、学園へと向かう馬車の中でグレーテルに長期休校中の事について話すと、そんな驚きと共に反応があった。
「王都に近い領の貴族ならともかく、国境近くの遠い領地に実家がある子女は長期休校中でも王都の屋敷に残ったままだったりするから、完全に油断してたわ……。そうよね、貴女馬車で王国縦断したこともあるのよね……」
馬車での長旅というのは、あれでかなりの体力を消耗する大仕事である。
体力のある成人男性ならともかく、女性や子ども、老人などはその長旅に耐えられない場合もある。
そのため、どうしてもという理由でもなければ、領を跨ぐような遠出は出来るだけ避けるのが通例だった。
もっともそれは王国の一般的な国民の話で、マルゴー領の領民は比較的体力に恵まれているので隣の領くらいなら子供がお使いに出かけたりもしているのだが。徒歩で。
私とて貴族家の生まれとは言えど、やんちゃな子供程度の体力はある。
馬車を飛ばして一日で王国を縦断する程度造作もない。まぁあの時馬車を飛ばしてくれたのは私ではなくユージーンだが。
とにかく、そうした安全面での理由もあって、長期休校でも里帰りしない学生は多い。
王立学園への入学は強制というわけでもないため、学園に通っている学生は立地的に言っても元々王都に居を構えている者が多い事もある。
「……お休みに入ったら毎日お茶会出来ると思ってたのに……」
「いえ仮に帰らないとしても、毎日お茶会をしたりはしませんが。お腹がたぷたぷになってしまいますし」
グレーテルはまさに絶望といった顔をしていたが、会えないと言ってもほんの一ヶ月程度の事だ。
もちろん私も宇宙で二番目か三番目に美しいグレーテルの顔を毎日見られなくなるのは残念だが、そのくらいは我慢してみせる。
私としては代わりに同率二位か三位の妹の顔を毎日見られるし、きっと一ヶ月なんてすぐだろう。
「大丈夫です。一ヶ月なんてすぐですよ」
「……そうね。そう思う事にするわ」
それから、グレーテルの他にもクラスメイトたちに長期休校中の帰省について伝えた。
多くは病弱な私の長旅を心配してくれたが、兄が同道する事を知ると何かを悟ったような顔で納得していた。あの人物が最愛の妹を危険な目に遭わせるはずがないし、マルゴーには何か特別な技術でもあるのだろう、という事らしい。当たり前だがそんなものはない。マルゴーを何だと思っているのか。
ユールヒェンは特に興味もなさそうだったが、マルゴーが北の果てにあることは気にしているようだった。仮面の貴公子ことフリッツたちが北に去って行ったのを覚えていたからだろう。
とはいえ王都に実家がある彼女が敢えて北の辺境に向かうには、手段も親の許しも得る事は出来ないだろうが。
「そういえば、うちの不肖の兄には挨拶はしないの?」
「ゲルハルト学生会長閣下先輩にですか? なぜ?」
彼とも仲良くしておくのが好ましいのは確かだが、その仕事はすでにハインツが替わってくれている。私が敢えてやる必要はない。
「なぜ、って……。貴女、釣った魚には餌はあげないタイプなの?」
「釣りはやったことがないのでわかりませんが……」
私の美貌ならおそらく、水辺に立っているだけで無限に魚が寄ってきて釣りどころではなくなってしまうだろう。夜中のイカ釣り漁船かな。
「ま、貴女がいいならいいけど別に。じゃあ兄には私の方から伝えておくわね」
「よろしくお願いしますね」
「伝えるのは出立してからになると思うけど。面倒な事になるとアレだし」
「タイミングについてはお任せします」
とはいえ、ゲルハルトもすでにハインツから聞いている可能性もある。
自分が近々領地に帰る事くらいは話しているはずだし、その時に妹を連れていく程度の事なら話しているかもしれない。
いずれにしても、学園が長期休校に入るなら里帰りしてもしなくてもゲルハルトと会う機会は少なくなるだろうし、あまり重要な事でもない。
帰り際、医務室に寄ってルーサーにもその事を伝えた。
「ああ、聞いてるよ。学園も休みになると非常勤の僕も収入無くなるし、僕もマルゴーに一旦戻るつもり。実は護衛としてハインリヒ様に声をかけてもらってるんだよ。一応、久々の傭兵の仕事ってことになるかな」
「ハインツ兄様とは会った事がないとおっしゃってましたが、いつの間に……」
「ああ、まあね。僕がここで働いている事はマルゴーの旦那──ライオネル卿もご存知だし、僕の事は聞いてたみたい。昔の誼みって事で、収入が無くなる僕を憐れんで雇うように言ってくれてたってとこかな」
なるほど。父と旧知の仲であるというコネを使って、兄に仕事を貰ったということだ。
人当たりの良さもあるし、ルーサーはそういうところは抜け目がないというか、そつがない。
そんなルーサーを欠いた『餓狼の牙』はちゃんと仕事が取れているのだろうか。
いや、初めは斥候のサイラスと魔法使いのレスリーが出稼ぎに行ったんだったか。自ら出稼ぎに出たという事はそれなりに当てもあったのだろうが、どうにも心配になる。何せリーダーのユージーンがあんな──いや、よそう。
「……しかし、たった一ヶ月収入を失うだけで立ち行かなくなるとは、ルーサー先生はどういう金銭管理をしておいでなのですか? やはり、私からの特別手当がもっと必要なのでは」
「ちょっと、その、お金で男を釣るみたいな言い方はやめなさい? 僕が教えこんだと思われると普通に殺される気がする……」




