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ギルバートが言うには、である。
元々、このマルゴー辺境伯領にはアングルス家の正規の外交官が使者として来る予定だった。
しかしマルゴー家の弱み──私のことだ──に付け込む形で交渉を仕掛けようというのに、外交官だけを派遣するというのはさすがにないのではないか、例え政略目的だとしても、縁談を持ち掛けるのであれば親か本人が出向くべきではないか。
他ならぬギルバート本人がアングルス伯爵にそう主張し、伯爵の反対を押し切ってこのマルゴー辺境伯領へやってきた、という事らしい。
これで使者が若すぎた理由はわかった。
父が舐められていた訳ではないようだ。有利な立場でマルゴー家の力を借りたかった、という事から、マウントを取りつつもある程度はこちらの顔も立てるつもりだったのだろう。アングルス家の外交官とやらも、おそらくは当家で言えばクロードに匹敵するくらい信の置ける配下だったに違いない。
何に困っているのかはわからないが、普通は馬鹿にしている相手の力など借りようとは思わないだろうからだ。
聞いた限りではその外交官とやらに任せておいても外交上は問題なさそうである。
貴族同士の政略結婚などそんなものだ。
この若き次期当主が何を考えて単身乗り込んできたのかはわからないが、今頃アングルス伯はさぞや慌てているはずだ。
父の反対を押し切って、ということは出奔に近い形で出てきたのだろうし、護衛が居ないのもそのせいだろう。
確かに、貴族同士の交渉においては爵位を持つ本人か、その血縁者が直接当たるのが最も礼を尽くした態度であると言える。
しかし移動手段も発達しておらず、治安も悪いこの世界、やんごとなき身分の者がそうそう気軽に移動する事は出来ない。
そのための外交官であり、そのための家宰だ。主人の代わりに交渉をしたり、主人の代わりに領地や屋敷を取り仕切る使用人がいるのである。
これが若さか、と初々しい気持ちでギルバートを眺めた。
が、今世では私の方が若干年下だ。
上から目線で彼を見るのはあまり美しい行ないではない。
気を引き締めつつ、彼の父であるアングルス伯について考える。
マウントを取るためとは言え、嫡男の婚約者枠という一度しか使えない鬼札を切ったというのは相当な事だ。
これが普通の相手ならばまだいいが、私は病弱設定であり、子が産める保証はない。実際どう頑張っても産めないし。頑張る気も無いが。
マルゴー辺境伯に恩を売るつもりだったのなら、結婚した後に大っぴらに側室や妾を作るというわけにもいかないだろう。
だとすると、次期アングルス伯が後継ぎを作るのは絶望的ということになる。
ギルバートにも弟くらいはいるだろうし、最悪はそちらの子供から養子をとれば血を繋げる事も出来るが、他に兄弟がいれば大規模なお家騒動に発展しかねないし、かなりリスキーな選択になる。
そうまでしてマルゴー家の力を借りたいとなると、よほど困っているに違いない。
「政治は貴族の常であるとはいえ、大変に失礼な申し出でした。申し訳ありません」
「いえ、お話はわかりました」
ギルバートは項垂れている。
当家に対してかなり申し訳なく思ってくれているようだが、そこまでの事でもない。
むしろ、病弱な娘を次期当主が引き取ってくれると言うのは普通に考えればかなりの好条件だ。
「──それで、当家に力を借りたい、というのは、一体どのような内容なのでしょうか」
私がそう尋ねると、ギルバートは驚いたように顔を上げた。
しかし目が合うとすぐに顔を赤くして俯いてしまう。
話が進まない。やはり美しすぎるというのは罪だ。
「そ、それではもしや、縁談をう、受けて下さると……?」
ああ、マルゴー家が力を貸すという事は、向こうの要求を飲むという事になるのか。
ギルバートには申し訳ないが、それだけはない。
性別の問題もあるし、何より私の美しさはたった1人が独占していいものではないからだ。
しかし、若さゆえとは言えほとんど包み隠さず暴露してくれたギルバートには申し訳ないが、こちらの事情をすべて明かすわけにもいかない。
「いえ。……理由は申し上げられませんが、実は私は、どなたかと婚姻するわけにはいかない立場なのです。縁談の申し出はとても嬉しく思いますが、元よりお断りするつもりでした」
嬉しく思ったのは確かだ。
何であれ、自分が評価されるというのは嬉しいものである。
私の言葉に、ギルバートが目に見えて肩を落とす。
「ですが、次期当主でありながらこうして単身、危険な辺境までいらしたギルバート様のお姿には胸を打たれました。
私の立場では家としての援助は約束できませんが、私個人としてお手伝い出来ることがあれば……」
経済的な話なら、さすがに傾きかけた貴族の家を建て直すほどの金額は出せないが、ちょっとした商売を始めるくらいの金額なら私の小遣いからでも貸す事は出来る。
軍事的な話だともっと出来る事が少なくなるが、『餓狼の牙』はこの件の間私が自由に使っていい事になっている。
彼らの実力はかなりの物のようだし、彼らの協力があれば多少の問題は武力で解決できるだろう。もちろん我が領法の許す範囲内でだが。
「……いいえ、さすがにそのような。一方的に力を貸していただくわけにはまいりません。ただ、ミセリア様のそのお優しいお言葉は嬉しく思います。生涯忘れる事はないでしょう。
私としては、やはりその、お互いに助け合える関係になりたかったという想いが強いですが……」
またお会いしましょう、と、ギルバートは最後にそう言って、屋敷を辞していった。
困っているのは自分たちの方だろうに、馬鹿正直に事情を話し、病弱である貴族令嬢の今後まで慮ってくれるとは。優しいのは彼の方である。
私が彼に提案したのは、父から調べるように言われていた事もあるが、主には好奇心のようなものだ。
どうやら心根の美しさという点では、彼に一歩譲ってしまったらしい。
まだまだ精進が必要である。
◇
屋敷を出て行ったと言っても、ギルバートはすぐにアングルス領に戻ったわけではない。
アングルス領は遠い。
マルゴー辺境伯領からだと、インテリオラ王国の内地を南に縦断していく必要がある。
マルゴー辺境伯領が臨む、北方の魔物の領域から離れれば離れるほど街道なども整備されていくため、マルゴーの地から出てしまえば馬車ですぐだとは思うが、それでも危険な事に変わりはない。
ギルバートに出し抜かれた形になったアングルス伯が手配した護衛の騎士が、ここマルゴーに向かっているという話も聞いた。
それを待ってから帰路に就くのだろう。
ギルバートは現在マルゴー領都の富裕層向けの宿に逗留しているようだった。
そうこうしているうち、アングルス領に出張していたルーサーが戻ってきた。サイラスはまだ現地で調査を続けているらしい。
前回同様私的な応接室に招き入れ、ユージーンやレスリーと共に報告を聞く。
「──魔物の泉?」
「ああ。アングルス領で魔物の泉が見つかったらしい。あれが発生したとなると、最悪の場合は街ごと捨てる事にもなりかねない。それにアングルス領は隣国との国境線。魔物の領域からは遠い。騎士は精強らしいけど、対魔物戦は慣れていないだろうし。
そこでこのマルゴーの対魔物戦のエキスパートの力か、そうでなくてもノウハウくらいは手に入れたいと考えての事らしいよ」
「あの、申し訳ありませんが魔物の泉とはなんでしょうか」
寡聞にして知らない言葉だ。
屋敷から出た事がない私であるし、知らない言葉の方が多いのだろうが。
「ああ、そういや、この辺境じゃあいちいちそんなもん区別して呼んだりはしねえか。
魔物の泉ってのは、無限に魔物が湧いてくるポイントみたいなもんだ。淀んだ瘴気の渦みたいな見た目なんだがな。一定時間ごとに魔物が湧いて出てきやがる」
「すみません、よくわかりません。魔物が湧いて出てくるのは普通の事では?」
無限に魔物が湧いてくるからこそこのマルゴーは潤っているのであり、この国の盾として必要とされているのだ。
「いや、普通じゃないんだ。普通の地域は魔物がいきなり湧いたりしない。それはこのマルゴーが魔物の領域に面している、っつうか、魔物の領域に片足突っ込んでるからだ。
領域では確かに、お嬢の言った通り魔物が無限に湧いてくる。だからこそ、魔物の領域なんて名前を付けて普通の未開拓地と区別してるんだ。
だから魔物の泉ってのはつまり、言ってみれば小型の魔物の領域みたいなもんだな」
ユージーンはついにサマ付けが面倒になったらしい。
いつの間にか私の事はお嬢と呼ぶようになっていた。
しかしなるほど、である。
いかに私が世間知らずと言えど、魔物の領域の危険性くらいは朧げながら知っている。
それが普段は魔物などほとんど現れない平和な領内に、小規模とは言え突然出現したとなれば確かに大事だろう。
もしすでに何らかの被害が出ているとなれば、そして解決の見込みが立っていないとなれば、次期当主の後継ぎを諦めてでも何とかしたいと考えても不思議はない。
「ギルバート様、でなくて、アングルス伯爵が当家との繋がりを求めたのはそれが理由、ですか」
インテリオラの北の守りを一手に引き受けるマルゴー家以外に、体系だてて魔物討伐のノウハウを蓄積している家はこの国にはない。
人類国家が集まる大陸中央部、つまりインテリオラ南部の国境に面するアングルスではなおさらだろう。
「お。伯爵よりギルバートの名前を先に出すとは、お嬢はあの坊やが気に入ったのか?」
ユージーンがにやにやした顔で揶揄してくる。
「単にアングルス伯爵を存じ上げないので、直接お会いしたギルバート様を先に連想したまでです」
大変まっすぐな人物だったので気に入っているのは間違いないが、それはおそらくユージーンの期待しているものとは違うだろう。
しかし、魔物の泉か。
問題がマルゴーから遠く離れた地にあるとなると、これを辺境伯家の力で解決するのは難しい。マルゴー領軍はこの辺境の地から動かすことが出来ないからだ。
さすがに娘や娘婿の為となれば辺境伯も多少無理してでも手を差し伸べるだろうが、領地も遠く、さしたる繋がりもない現状では有り得ない。
ただ、それはあくまで普通の貴族であればの話だ。
あの父ならば、たとえフィーネの嫁ぎ先だったとしても、この辺境を放り出して軍を差し向けたりはしない。有り得ない事だが、私の嫁ぎ先だったとしたらなおさらだ。
おそらくこう言う。
その程度、自分で何とかしろと。それでもマルゴーの家に生まれた女かと。
まあ私は女ではないが。
もし私が普通の病弱な令嬢だったとしたら、この話を受けてギルバートと結婚していたかもしれない。
そうなればアングルス領は私の夫の領になり、その問題を解決するために妻の私が奔走するのはおかしくない。
であれば、だ。
決して有り得ない未来を体験する、というくらいの気持ちで、この件を私の手で解決してみるというのは、なかなか悪くない趣向なのではないだろうか。
一度それを思いついてしまえば、私がそうするように父に仕向けられていたような気さえしてくる。
何しろこの『餓狼の牙』は、マルゴーの屋敷の中で私の護衛をするには過剰に過ぎる戦力だ。
この件の間私の手足として使っていい、ということはつまり、気晴らしに彼らを率いてひと暴れして来い、という意味だったのではないか。
屋敷から出た事がないとはいえ、私にも多少の心得はある。何故なら私は戦う姿も美しいからだ。
もちろん父や2人の兄どころか、領軍の新米兵士とさえ比べるべくもないが、領内の一般家庭のやんちゃな子供程度の戦闘力ならあるつもりだ。
「お嬢よ、なんかわりとロクでもない事考えてねえか?」
「いいえ? 楽しい事しか考えておりませんが」
「じゃあロクでもない事で間違いないな。自分で気づいてるのか知らねえが、あんたそういう時の表情がオヤジさんにそっくりだぜ。あのダンナも、よくそういう貌して嗤ってたもんだ」
ユージーンを軽く睨む。
が、まあ悪い気はしない。
お節介かもしれないが、ここはギルバートに言った通り、私が個人的に手を貸してやるとしよう。
『餓狼の牙』は厳密に言えば私の力ではないが、借りている以上は今は私の力と言ってもいいだろう。
新しく事業を始める時に銀行などから資金を借りるのは普通の事だし、その事について「自分の力でやれよ」と難癖を付ける者などいない。
この世界に銀行があるのかどうかは世間知らずの私は知らないが。
聞けば、魔物の泉に関して最も厄介なのはその初動らしい。
泉自体は領域ほどの瘴気を持っているわけではないため、継続的に生み出される魔物の数は大した事はない。
しかし発見が遅れれば遅れるほど、すでに生み出された魔物の数が増えていってしまい、結果として大惨事を引き起こす可能性がある。
現在がどの段階にあるのか不明だが、新たに生み出される魔物以外を全て始末してしまえば小康状態へと持っていけるだろう。
そうすれば事態は終息と言っていいはずだ。
魔物の泉について私があれこれ質問している時点で嫌な予感がしていたらしいが、計画を話すとユージーンは苦笑いをして「ほらな」と言った。
追加の報酬を出すことで正式に『餓狼の牙』の協力を取り付け、外出の準備を整えると、使用人を呼び出掛ける事を伝えた。
こうすればこの使用人からクロードへ、クロードから父へ報告が行くはずだ。
本来なら直接伝えるのが筋なのだろうが、万が一にでも引きとめられたら困る。
おそらくは父も織り込み済みの事だろうとは言え、私の考え過ぎという可能性がないでもない。
しかしクロードにも父にも直接会わないのであれば、そうだったとしても止められる事はない。
私はユージーンたちを連れ、密かに屋敷を抜け出した。
屋敷から誰にも見つからずに抜け出すルートはユージーンが知っていた。昔取った杵柄、というか、祖父がまだ存命で父が自由だった頃に教えてもらった抜け道だと言っていた。
我が邸のセキュリティは大丈夫なのかとちょっと心配になった。