22-61
あの日。
世界の法則が、魔イナスイオ素と腐ラスイオ素に支配された日。
世界はたしかに、一皮剥けた。
その結果、世界は──何となく、ちょっとだけ美しくなった。
ゴブリンという魔物がいる。
という魔物、とは言っても、そう呼んでいるのは人間だけで、実際はどういう名前の種族なのかはわからない。もしかしたら彼らなりに自分たちを表す名前があるのかもしれないし、無いのかもしれない。
ただひとつ確かなのは、彼らは私たち人間から見て非常に醜いという事だ。
何と言っても、肌が汚い。
食生活も、睡眠時間も、衛生状態も、何もかもが足りていないのだろう。お肌のケアなど考えたことすらないに違いない。
世の人々が悩まされる、ありとあらゆる肌トラブルを全て詰め込んだかのような、そんな肌を持つ魔物。
それがゴブリンだ。少なくとも、私にとってはそういう認識だった。戦闘力とか繁殖力とかはよく知らない。子供でも倒せるということと、子供が小遣い稼ぎに狩っても絶滅しないことくらいは知ってる。
そんなゴブリンの肌が、少し改善されたのだ。
もちろんそれでも不摂生な人間よりも肌が汚いくらいであるが、少なくとも肌トラブルによる疾病にかかったりはしない程度には綺麗になった。綺麗になることと美しさは必ずしも同一のものではないが、美しさと清潔さが密接な関係にあることもまた間違いない。
同様の事が他の魔物たちにも言える。
肌についてはオーガでも同じ傾向が見られ、またコボルトなどの毛皮を持つ魔物に関しても、その毛並みに脂や土埃、糞尿の汚れが付きにくくなった。
魔物たちでさえそれである。
では人間種はとなると、当然それ以上の変化があった。
まず、最も変化が大きかったのは魔大陸の人々だ。
獣人とは言いつつバレンシア以外は普通の人間とほとんど変わりが無かったのだが、彼らに獣のような耳や尻尾が生えてきたのだ。
これにより魔大陸は全土にそれなりに大きな混乱が巻き起こったが、ほとんど全ての人々に変化が起きたためか、いずれにせよ受け入れるしかないとして表向きはすぐに騒ぎは沈静化した。
一部、変化の起こらなかった家族もあったようで、そうした者たちは大多数の人々に白い目で見られる事になったようだが、まあ人間とはそういうものなので仕方がない。異端を恐れるのはヒトも獣人も変わらないということだ。
なぜか、インテリオラ王都に帰った『悪魔』にもネズミのものらしき耳と尻尾が生えていたのには驚いた。まあ元々本人は孤児だったとのことなので、もしかしたら何らかの形で魔大陸と縁があったのかもしれない。
当然ながら、ベッドで養生しているベルナデッタ嬢にも猫耳と尻尾が生えていた。また、それとそっくりな毛並みの耳尻尾がクロウにも。
バレンシアだけならばともかく、幼いベルナデッタやクロウの耳を隠すのは大変だ。あと『悪魔』のも。
なので逆転の発想で、ミセリア商会から獣耳付き髪飾りや尻尾型アクセサリーを売り出すことにした。
売上や採算は気にしない。目的は利益ではないからだ。
とりあえず宣伝という名目で、従業員の中から手当と引き換えにそれら商品を身に着けて生活する希望者を募ったりした。けっこう大勢応募してきたので、全員採用した。
おかげで獣人が目立たなくなった。
今はバレンシアも耳と尻尾を丸出しで生活している。いや尻尾はスカートの中だが。
またインテリオラ王国やオキデンス地方の辺境からは、エルフと名乗る者たちが現れた。辺境と言ってもマルゴー地方ではなく、もっと平和な辺境のことだ。平和な辺境ってなんだ。それもう立派な地方都市では。いやマルゴーも立派だけど。
エルフの彼らが言うには、彼らはずっと、彼らの里にある御神木なる樹を信仰の拠り所として生きてきたらしい。
しかしある日突然、その樹が罅割れ、砕け散ってしまったと言う。
その異常な事態にエルフたちは、ひとつの時代が終焉した事を悟り、このままではエルフという種も滅びゆくのみだと察し、ヒトらと共に生きることを選んだ、らしい。
あと標準的な人間たちに関してはそれほど変化はなかったのだが、種族全体が美しいエルフや、愛らしさがブーストされた獣人たちのお陰で人類種全体の平均値が上がったので、そういう意味では世界と共に美しくなったと言える。
そして私たちは、と言うと。
まず、ミセリア商会の経営は順調だ。
前述の獣耳、獣尻尾アクセサリは意外なことにそこそこ当たり、すでにイニシャルコストは回収し終わり、引き続き事業として継続しても問題ないくらいの売上は出している。
また美容用品についても、学会で正式に魔イナスイオ素の存在が認められた事で商品に箔がつき、売上が倍増していた。
商品開発部長のクロウは、魔イナスイオ素を人工的に制御する世界初の機構を開発した技術者としても評価され、商会の仕事の傍ら研究者ともコンタクトを取り、忙しい日々を過ごしている。
その妹のベルナデッタはクロウの助手をしたいと言うので好きにさせている。本当に助手として役に立っているのかは知らないが、特に文句は出ていないのでいいのだろう。
時々、獣耳商品のマスコットキャラとして営業に出てもらい、お小遣いを渡している。
『悪魔』、『死神』、アマンダは、表向き商会の警備部として働いている。
学会で魔イナスイオ素が認められてからは産業スパイめいた不審者も増えてきたので、工場周辺の犬や蛇を上手く指揮して情報の漏洩を防いでいると聞いている。聞いているのだが、何を言っているのかよくわからない。なんだ「犬や蛇を指揮」って。本当に真面目に働いてるのかな。
インベルとユスティアは王都のマルゴー家の別邸に詰めている。使用人兼護衛と言ったところだ。ブルーノの部下として、それなりに他の使用人たちとも上手くやっているらしい。サクラやフィレやヴァラなど、馬たちの世話もしてくれるので助かっている。
ジジとドゥドゥはミセリア商会の営業部に就職した。商品のモニターとして、その持ち前の美しさでユーザーたちを魅了している。
驚くべき事に、ここに『教皇』も混じっている。彼は普通に男の格好をしているのだが、何故か女性用の商品の販促に携わっており、しかもそれなりに成果を出しているらしい。どうなってるの。
また、その営業部の活躍の影にはヘレーネのイラストの力も一役買っている。
エーファにも経理部で活躍してもらっているし、あの学園で彼女らのような友人を得ることが出来たのは私にとってとても幸せなことだったと言えるだろう。
それから何を考えているのか、マルゴーの領主である父ライオネルがお母様を伴って旅に出てしまったらしい。
何でも、若い頃に出来なかった冒険をしたくなったのだそうだ。
領主代行であるハインツから、もし見かけたら領地に帰るよう説得してほしいと手紙が来た。
正確に言うと私がその事実を知ったのはグレーテル経由で王城から情報が来たからだが。ハインツの手紙には他にも私に対する賛美の言葉が長々と書き連ねてあったので、途中で読むのをやめた。
未だ兄たちは父に比べれば2人で一人前くらいの実力であるらしく、2人ともしばらく領地からは離れられないようだ。その統治に伯母夫婦や駐在騎士ヨーゼフ、その部下アインズも力を貸してくれているという。
あるいはフィーネも卒業したら手伝う事になるのかもしれない。あの子、貴族令息フィーニスとして卒業するわけだし。
『餓狼の牙』は私の両親の旅に護衛として付いていったそうだ。もし暇なようなら商会の専属護衛として雇ってもよかったのだが、父に雇われているのならその方がいいだろう。こちらは犬と蛇で間に合っているし。それ言うほど間に合ってるのかな。
「──例の新事業ですけれど、認可が下りましたわ。我らがミセリア商会が次に殴り込みをかけるのは、喫茶店業界です」
「外食産業は競合する商会が多いのでは」
「問題ありません。うちの資本力があれば木っ端な商会など鎧袖一触ですわ」
そしてユリアはなんと、事業企画部の部長としてミセリア商会に入社していた。
実家の商会を継ぐ前に、うちで修行をするということだ。お友達待遇というか、完全にコネ入社だが、能力自体は高いので別にいいかと思っている。ていうか、いずれ辞めてタベルナリウス商会に戻るんだよなと思うとちょっと憂鬱になる。事業広げるだけ広げてすっぱり辞められると困るんですけど。
「あ、じゃあさ、王室御用達マークとかも付けましょうよ。まだ私の分の枠結構余ってるのよあれ」
あと、グレーテルも何かいつも私の執務室にいる。とくに雇っているとか仕事をしているとかという感じではないのだが、王族年金的な謎の収入で毎日遊んで暮らしているようだ。なんだそれ。
「コラボレーション的なブランドを付与するというのはいい案ですね。女神教公認マークも付けましょうか」
シェキナは女神教巫女及び聖シェキナ神国の元首の座を辞してサンダルフォンに丸投げし、今は一介の神官として女神教から正式にミセリア商会に派遣されている。
宗教オブザーバーとかいう役職だ。
何をする役かと言うと、我が商会が教義に反する行ないをしていないかどうかを監視し、是正するということらしい。とは言え、彼女は私が何をやっても肯定しかしないので、まあ名誉職である。教義とは一体。
そして、話し合う私たちにディーとバレンシアが紅茶を淹れてくれる。
その紅茶を飲み、胸元と足元にぬくもりを感じながら、なんとなくいい感じの時間が流れているな、と息をつく。
私が一番好きな時間だ。
ふと窓を見ると、そこには世界で二番目か三番目に美しいグレーテルと、大陸で三番目か四番目に美しいシェキナ、国で四番か五番目に美しいユリアとディー、そして獣人の中ではおそらく一番美しいバレンシアの姿が映っていた。
そして何より、宇宙で一番美しい私の、緩みきった顔。
その顔を見た瞬間、私ははっきりと自覚した。
今度こそ、自分の初恋が完全に終わったのだと言うことを。
なぜならこの時、私は新たな恋をしたからだ。
かつて恋した、ひとりきりの部屋で鏡に映っていた私。
その美しい私に別れを告げ、私は窓に映る、友人に囲まれて緩んだ顔の、美しすぎる私に改めて恋をした。
第一話の冒頭にありましたように、初恋と同時に失恋をした主人公。その主人公が新たに恋をしたところで完結としたいと思います。
突然な感じがあるかもしれませんが、実は22章は最初から最終章のつもりで書いておりました。
若干強引に色々風呂敷をたたみ始めた感もあったことと思います。
こちらの作品は、もう本当に毎日書いたものを投稿みたいな自転車操業的執筆をしておりましたので、全体的に「なんだそりゃ」って感じだったと思います。申し訳ありません。謝りはしますが、別に反省はしておりません(
元々、そんな感じでだいたい一年くらいやろうかな、と考えていました。
最期にひとつ。
宇宙怪樹の果実ですが、個人的に好きな果物の桃とマンゴーで迷った結果マンゴーにしました。
理由はふたつあります。
ひとつは、マンゴーが仏教やヒンドゥー教で神聖な果物とされていること。
リンゴを駆逐して全部マンゴーにしてしまう辺り、旧約聖書に別の宗教が殴り込みかけてくる感じがダアトでもあるお嬢っぽいかなと思ったのでそうしました。
もうひとつは、お嬢の故郷がマルゴーだから。語感が似てるのでなんとなく。
あ、あと男の娘が主人公のお話で桃とか言われたらサブリミナルなナニカで妙な気分になってしまう読者様が出てきてしまったらちょっと困るなという配慮からです。
みっつあんじゃねえか。
以前から言っておりますように、リアルのお仕事がちょっとキツくなって来ておりますので、続編、短編、新作などはしばらく難しいかもしれません。
具体的に言うと、会社でなんか3階級くらい特進させられそうだったところをギリギリ回避して2階級特進に抑えたみたいな状況です。死にそうだったのを何とか致命傷で済んだ、みたいな。いや済んでないんですが。
とは言え、執筆して誰かに読んでもらうという行為は、一度やってしまうと決して抜け出せない、えも言われぬ快感がありますので、たぶんまたそのうち何か書いて投稿すると思います。どちらのサイトに投稿するかはわかりませんが。
またどこかで、何らかの形でお会いする事もあると思います。
その時はぜひ、よろしくお願いします。
あと、私のツイッターアカウントも忘れないで下さい。新作とか改稿再投稿、その他連絡事項などはあちらで告知します。
今考えているものですと、例えば「名探偵おねぇちゃん」の文字数制限なし版短編とかですかね。即オチ短編でシリーズ化するのも面白いかもしれません。
一年間お付き合いいただき、ありがとうございました。
 




