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そして、夜。
晩餐も滞りなく終わり、兄が私室に──この屋敷は兄たちが学園へ通っていた時にも使っていたので、各々の部屋が今も残されている──引っ込んだ後、使用人としての仕事を終えたディーが私の部屋へ戻ってきた。
「……あちらのお屋敷でお見かけした事はありましたが……。なんというか、想像以上に騒々しいお方でしたね……」
主家の次期当主に対してこの言い様である。
こういった言葉の端々からも、ディーの忠誠がマルゴー家ではなく私個人にある事がうかがえる。
「ああ、昼間、兄が私と再会した時のことですか? そうですね。ハインツ兄様は時々あのような発作を起こされます。それ以外の時は落ち着いた大人の男性なのですが」
寿命が長いこともあり、私が物心ついた頃にはハインツはすでに大人だった。
なので私の印象は最初から大人の男性というものだった。
兄であるという意識はあるのだが、どこか、親戚のおじさんのような、一歩離れた血縁といった微妙な距離感を感じる事もある。
ハインツにとってはそれが不満なのか、時おりああして爆発するわけだ。
今回は私がしばらくマルゴーを離れている事もあって、いつも以上にハッスルしていたが。
「まあ、ある意味でマルゴー家らしいお方ではありますね」
「いえ、あれを基準にされてしまうと私としても困ってしまいますが」
まるで我が家が人格破綻者の集まりであるかのような言い方はやめてほしい。
ああいうのは一部の者だけだし、ハインツも普段はまともなので、割合で言えば彼も9割方はまともな人間だと言える。
仮面の貴公子フリッツも別に常日頃からコスプレしているわけではないし、こちらも普段はおおよそ常識人だ。
私は少々特殊だが、この溢れんばかりの美しさが多少の問題など全て塗りつぶしてしまっている。美しさの比重が大きすぎて、もはや99%はただ美しいだけの一般人であると言っても過言ではない。
つまり数学的に丸めて言えば、マルゴー家は常識的な人間の集まりであると言えるのだ。アラウンド常識人家庭である。
「……そう考えると、なんか明日も無事に終わりそうな気がしてきましたね」
「お嬢様。ご自分を騙すのはおやめ下さい」
「大丈夫です、ディー。我が家は真人間の集まりです」
「お嬢様。それはちょっと聞き捨てならないお言葉ですよ」
◇
普段は王城へグレーテルを迎えに行くマルゴー家の馬車だったが、この日は他にエスコートするべき人物がいたのでそれはしなかった。急なことではありつつも、元々は翌日も自主休講の申請を出していたので特に問題は無かった。
その王家の馬車とは学園前でかち合った。
私が迎えに来ないと思っていたグレーテルは驚き、学園に入る前ではあったが馬車を降りてマルゴーの馬車に駆け寄ってきた。
馬車や馬などが往来する道と言うのは、思っている以上に危険だ。
御者がちょっと手綱を緩めてしまえば、予期せぬ馬の行動で思わぬ事故が起きる事もある。前世において車道にいきなり飛び出すのと同じだと考えればわかりやすい。
それに自動車とは違い馬は生きている。当然、出す物も出すし、それは排気ガスなどという綺麗なものではない。
王立学園の前ともなれば清掃用の職員が常に巡回しているので、さほど汚れているわけではないが。
まさか王女をそのような外に待たせておくわけにはいかない。
私は兄に断って馬車を降りた。
「グレーテル。危ないですよ。馬車を降りてはいけません」
「貴女だって降りてきてるじゃない。ていうか、今日もお休みって話じゃなかった? だから私、うちの馬車で登校したのに」
「まあその、ちょっとありまして」
「ちょっと? まあいいわ。とりあえず、そっちに乗せてちょうだい。せっかく会えたのだから、一緒に登校しましょう」
「それがその、今うちの馬車は満席でして」
「どういうこと?」
「ええと、そうですね。では歩きながらお話します。たまには並んで歩いて登校するというのも悪くないと思いませんか」
「わからないでもないけれど、貴女忘れてない? 私たち、一応病弱設定なんだけど」
私は馬車の小さな窓越しに兄に頭を下げ、御者に告げて先に行かせた。
王家の馬車にも同じように指示し、無人ではあるが学園に向かわせる。馬車は簡単には方向転換できないので、一度学園の敷地のような広い場所に行く必要があるためだ。
本来ならば私は在学生として兄のエスコートをするべきだが、さすがに目の前の王女を蔑ろにするわけにはいかない。
兄も学園の卒業生であるし、勝手知ったる母校である。迷う事などない。
それにディーも付いている。彼女が案内してくれるはずだ。
そして私はグレーテルの手を引いて道の端に寄った。
現在、王女や貴族の馬車を前に、往来の全ての通行者が軒並み動きを止めていたからだ。未曾有の大渋滞が起きていた。
これは遅刻者も出るかも知れないな、と考えながら、グレーテルに事情を話した。
「お兄様って、じゃあさっき馬車の中に居たのが例の変態仮面の中身ってこと?」
「ああ、いいえ。あれとは違うほうです。今回のは一番上の兄ですね。次期辺境伯です」
「なんだ。じゃあ変質者ってわけじゃないのね」
「…………ええ、そうですね」
大丈夫。ほぼ真人間である。
というかフリッツも別に変態仮面ではない。
「ちょっと、その間はなんなの? 不安になるのだけど。次期辺境伯が変質者って、割としゃれにならないわよ」
「だいたい大丈夫です。おおむね問題ありません」
「ねえちょっと? 貴女わざと私を不安にさせようとしてない?」
グレーテルにくいくいと袖を引かれながら学園の門をくぐる。
「──君たち、隙さえあればイチャイチャしてるよね。一応事情を知る治癒士としては、徒歩通学みたいな無理はあまり見逃せないんだけど」
するとルーサーに声をかけられた。ちょうど出勤したところのようだ。
「おはようございます、ルーサー先生。すぐそこまでは馬車で来ましたよ。事情があって、少しだけ歩いているだけです」
「あら。教職員と言うのは普通は学生よりも早く出勤しているものなのではないの? 始業前に自主訓練をする学生もいるでしょう?」
「ご心配なく。そういうのは常勤の先生がきっちりやってくれているからね。むしろ非常勤の僕は、そんな先生の隙間を埋めるのが仕事だ。その時のために英気を養っておかなきゃならない。だからのんびりするのも仕事のうちなんだよ」
何でこんなに仲が悪いのか。
兄の来訪に際してルーサーに特にしてもらいたい事はないが、一応何かあった時のためにフォローしてもらおうとルーサーにもグレーテルにしたものと同じ説明をしておいた。
「──一番上の……てことはハインリヒ様か。僕は直接お会いしたことはないけど、話に聞く限りじゃ次期領主に相応しい人格者だそうだね」
「なんだ。そうなの。もう、不安になるような言い方しないでよミセル」
なぜ仲が良い私の言葉よりも仲が悪いルーサーの言葉の方を信用するのだろうか。これがウィンザー効果というものなのだろうか。
「……でも、スペクルム仮面とやらの中身の評判も、地元じゃ結構良かったんだよね。それでアレだからなあ……」
「え……」
グレーテルが顔を青ざめさせた。
何を言っているのだろう。ヒーローに中の人などいない。
しかし、方向性は違えどハインツとフリッツはその激情には似たところがある。
完全に否定しきれず、私は黙っているしかなかった。
「ちょっと、黙りこまないでよ!」
「……お兄様がたは、どちらもほぼ人格者です。きっと問題ありません」
「まあ、なんでもいいけどね。どう転んだとしても、今回苦労するのは僕じゃなさそうだし」
ハインツはゲルハルトとの個人的な繋がりを作りに来ただけなので──あとついでに私の学業の様子を見に来ただけなので──そうそう誰かが苦労するような展開になるとは思えない。
これで私がいじめられているとかならばやはり血の雨でも降るかもしれないが、今のところそういう気配は全く無かった。
時折思い出したように縦ロール令嬢のユールヒェンがつっかかってはくるものの、おしゃれした子犬がじゃれついてきているようで微笑ましさしか感じない。
それも例の野外学習以降は鳴りをひそめていた。
ルーサーと別れ、教室に向かう途中でディーと合流した。
兄がいないようだがどうしたのか。
そう尋ねると、学長室に案内しておいたと答えられた。
まあ、学生でもない辺境伯代行が学園に来たとなれば、一応来賓ということになる。
学園長が対応するのはそうおかしなことでもない。
それに学園長ならば、兄が在学中もこの学園にいたはずだ。
もしかしたら古い顔なじみといった関係でもあるのかもしれない。
そのディーとも教室前で別れ、グレーテルと2人で教室に入った。
「──あっ。お、おはようございますミセリア様! それに王女殿下!」
私たちの姿を認めたクラスメイトの少年が笑顔と共に挨拶をしてくれ、私もそれに応えた。
以前にはなかった事だが、野外学習以降、こうして幾人かのクラスメイトが話しかけてくれるようになった。
見学だったはずなのにフランツやルーサーを伴って森に救助に入って行ったと、そんな様子を見ていた学生がいたようで、そこから話が広がったらしい。
なんでも、類まれな魔法の才能を持ちながら、体が弱いためにそれを十分に扱えなかった深窓の令嬢とその親友のお姫様が、友人たちの危機を見過ごせずに無理を押して危険な森に入り、颯爽と事件を解決した、とかそういう事になっているらしい。
さらに令嬢を助けに現れた仮面の貴公子の噂も広がっていたが、一部の学生が「仮面の貴公子様は別に深窓の令嬢とやらを助けに来たわけではありませんわ」と否定するため、不確定情報としてこちらはいまいち人気が無かった。黄色い声を上げる女学生をその一部の学生が睨みつけるからという理由もある。
事件のあらましや顛末について聞かれる事もあるが、それは国の偉い人から口止めされているからと話さずにいた。
これは事実で、実際にグレーテルを通して王家からそのような内容の事を言われていた。
非公式とは言え王命ではあるので、いちいちグレーテルなど通さずともちゃんと言ってくれれば私も普通に従うのだが、グレーテル曰く、どうも彼女が王家におけるミセリア・マルゴー担当者みたいな立場になってしまっているらしい。
そんな、仲の良い子の言うことしか聞かない問題児のような扱いをされても困る。
この誤解はいつか解かなければならない。グレーテルに言っても曖昧に笑うだけだし。
「……別にいいのだけど、なんで私がミセルのおまけみたいな扱いなの? 別にいいのだけど」
アラウンドサーティー略してアラサーみたいな。アラジョー家庭。それがマルゴー。




