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謎の青年の恐ろしいところは、ただ魔素の量が多いという点ではない。
彼は私に自身の姿を見つけさせるまで、その魔素を完璧に隠蔽していた。それだけではなく、はじめの独り言らしき言葉も、どこから聞こえているのかが私にわからないよう偽装をしていたようだった。
普段、クロウに無駄な苦労をかけないよう、私は自分の力を抑えて生活している。
慣れてしまった今となってはほとんど意識することもないが、それでも完全に隠蔽しようとすればかなりの努力を強いられるだろう。
また、自分の声を相手に届けつつその方向だけは惑わせるというのも、言うまでもなく相当な技量を要する技である。ちょっとした思い付きで出来るような事ではない。
では謎の青年がそんな演出をした理由はと言えば、私にはひとつしか思いつかない。
その方が格好いいからだ。
鴨の水掻きという言葉がある。前世にはあった。
これは、一見して優雅にすいすい泳いでるように見える鴨であっても、水面下では必死に足で水を掻いているのだという意味の言葉だ。
あの青年がしていたのもそれと同じである。
一見、涼しげに私を見下ろしているようだが、登場当初は相当頑張っていたはずだ。
それに、それだけ頑張っていたにもかかわらず、わざわざ独り言に偽装して敢えて私に声を聞かせてみせたのも、格好つけていたからに他ならない。
何が言いたいかといえば、この青年は格好よさのためにはあらゆる努力を惜しまないという事だ。
つまり、物事の優先順位がはっきりわかっている人物なのである。
私自身がそうだからこそわかる。
そういう、確固たる信念を持っている人物は、侮れない。
「上から失礼する。貴様がティファレト──いや、ダアトだな。なるほど、珍妙な気配を漂わせている。
……ふむ。やはり、すでにケセドの力も奪っていたか」
ケセドって誰の事だろう。
知らない名前だが、私が知らない事をこの青年が知っているのは確かなようだ。もうこの時点で一通りの事情通であることが確定である。
明らかにただの格好つけマンではない。やはり、彼が黒幕で間違いない。
私はさらに警戒度を上げた。
「……初対面の女性に対して貴様などと呼びかけるとは、色々事情には明るいようですが、どうやら礼儀作法はご存知ないようですね」
とりあえずジャブを放っておく。
言葉での攻撃にしたのは、相手方にまだ戦闘の意思が見られなかったからだ。
たとえいかに怪しく、警戒すべき相手であっても、先に殴りつけるような行為は貴族としてよろしくない。
「ふっはっは。面白いことを言うな。初対面なのはその通りだが──女性だと?」
その瞬間、ガン、と硬いものと硬いものが激しくぶつかりあったかのような音がした。
鳴らしたのは私だ。
正確に言えば私と目の前の青年だ。
初見の相手に「女性ではない」と言い切られたのは初めてだった。
いや初見かどうかにかかわらず、最初から知っている相手以外に看破された事自体が初めてのことだ。
その事に動揺してしまい、どうしたらいいか一瞬思考が乱れ、面倒だからナイナイしてしまおうと無意識に判断し、攻撃を仕掛けてしまったのだ。
先に殴りつけるような行為は貴族としてよろしくないと言ったかもしれないが、どちらが先に殴ったのかなど目撃者が居なければ証明出来ないのだ。初撃で始末してしまえば同じ事である。と、私はそこまで無意識で判断したらしい。
無意識であった上に咄嗟の行動だったので、攻撃としては随分と雑なものだったと思う。単に固めた魔力を相手にぶつけただけだ。技術も何もあったものではない。私が自分自身で誰かを攻撃する事に慣れていないせいもあったかもしれない。
ただ、無意識で慣れていないがゆえに、手加減もまた全く出来ていなかった。
しかし、青年はそれを完璧に防ぎきってみせた。あの音は私の攻撃が青年に防がれた際に鳴った音である。
「……さすがは、と言ったところか。並の果実ならば、今ので潰れて中身をぶちまけていた」
トマトかな。
いやトマトは果実ではなく野菜だったか。確かどこか国の裁判では最終的に野菜という事で決着していたはずだ。でもあの国はピザも野菜の分類に入れてしまうような国だしな。学術的な分類に関しての信頼度は低い。
と、そのように余所事を考える余裕が出てくるくらいには私も落ち着いてきた。
ガードされてしまったものの、一発ぶん殴って多少なりともスッキリしたからだろう。
「それだけの力があるのであれば、こちらも食いでがあるというもの。
──そうそう、名乗るのを忘れていたな。我が名はケテル。この世全てを統べるべくして生まれた、神の中の王だ。故に、この世のあらゆる者には我に対する貢献と奉仕が義務付けられている。それは貴様も例外ではない。
その存在、余さず我に献上せよ。【貪り喰らうもの】」
青年──ケテルの姿が再び白く塗り潰される。
そのあまりに濃すぎる魔素の昂りは、私にも聞き覚えがあるワードを彼が口にすると同時に、確かな指向性を持ってこちらに向かってきたのだった。




