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朝食時。
私は前日に届けられていた手紙の内容を思い出した。
これは伝えておかなければならない。忘れないでよかった。
「そういえば、実家からハインツ兄様が査察に来るらしいです」
「さ、査察!? まさか私の仕事に何か不備でも……」
給仕の監督として食堂の隅に立っていた、執事のブルーノがうろたえた。
そういう風にうろたえられると逆に何かあるのではと思ってしまうので控えた方がいいと思う。
「いえ、ブルーノさんがどうとかではなく」
「では、私の査察でしょうか」
私の前のテーブルに朝食の皿を置きながらディーが言う。こちらは落ち着いている。
いつなんどき、誰に見られても何憚る事もないといわんばかりの堂々とした態度だ。あまりに堂々としすぎていてメイドとしてはどうなのかと思わないでもないが、まあ頼もしくはある。
というか、ディーの性別については兄にも内緒のはずなので、実は見られて一番困るのはディーである。
私の性別を知らない状態で、もし兄がディーの正体に気付いたとしたら、下手をすれば血の雨が降る可能性すらある。
この様子ならよほどの自信があるのだろうし、おそらくは大丈夫だろうが。
「いいえ、それも違います。兄は私の生活態度を見に来るようですね。学園を卒業すれば成人も近いですし、それに関連してお金の問題などでお父様にお願いしている件もあります。それらを踏まえ、マルゴー家の令嬢としてふさわしく成長しているかどうかをチェックしに来るというお話でした」
その結果如何によってはお小遣いの増額を再検討する可能性もある、と記されていた。
実家に送られた左遷騎士の世話代もあるし、増額が見送られるのは正直痛い。
が、査察自体は仕方がない。金銭を受け取る以上、自分にそれに見合った価値があるとアピールするのは当たり前の事だ。
ただ漫然と過ごしているだけで自動的に昇給していた時代とは違うのだ。いやそんな時代に働いていた記憶はないが。ないと思う。多分。
「ミセリアお嬢様の生活については、私の方から逐一報告は上げているのですが……」
「はい。存じています。ブルーノさんはよくやってくれていると思います。今回は、その報告の真偽を領主代行自ら確認する意味合いのようですね。そうすることで、領民の皆様の血税に対する責任をしっかりと取る事になるとか」
私としては、つい先般も仕事を得意な者にアウトソーシングしたばかりである。
それとは真逆な兄の行動だが、組織のトップとして部下の気を引き締める意味で抜き打ちで査察をするのは悪くないやり方だ。
特に王都とマルゴーでは物理的に距離も離れている。リモートで繋がる事も出来ない以上、たまにはこうして査察してやらないと、ブルーノたちも知らず知らずのうちに気が緩んでしまう事もあるだろう。
もっとも私が見ている限りでは、ブルーノをはじめ屋敷の使用人たちは私のためにまさに粉骨砕身働いてくれているようだが。
「そうとなると、私がしっかりやっているところをお兄様に見てもらわなければなりませんね。そうでなければブルーノさんの報告に間違いがあった事になってしまいます」
見てはいないが、そんなブルーノが報告書に私についての悪い情報を書いているとは思えない。
ならばそれに見合った私でいなければ、結果的に彼に嘘をつかせた事になってしまう。
それは彼を使う者として美しくない。
「お嬢様……」
ブルーノがうるんだ瞳で私を見つめる。
「お兄様の来訪は3日後です。ブルーノさん、歓待の準備を。領主代行として来るという事は、中央に対して正式に自分が次期当主であるとアピールする目的もあると思われます。ですのでそれにふさわしい対応をしなければなりません」
兄が来るまでは私がこの屋敷の女主人だ。
隙無く采配し、しっかり成長しているところをお見せするのだ。
◇
「ようこ」
「ミセル! 会いたかったよ! ああ! 相変わらず美し、いやますますその美しさに磨きがかかっていないかい!? なんてことだ! こんなの報告に無かったぞ!」
「ハインツ兄様、落ち着い」
「黄金とは! 世に存在する量が決まっているからこそ、何物にも替えられぬ価値がある!
それなのに、ミセルよ! お前はその黄金にも勝る美貌を、私の預かり知らぬところでかようにも増していようとは! これは神の定めた摂理に反する行為だぞ!」
「ダメそうですね。ブルーノさん、もう先にお茶の準備を始めてください。構いませんから。それとディー、グレーテルから借りた魔導具を発動させてください。これ以上はご近所様に聞かれては少々問題です」
「しかし! ああしかしだ! 愛するお前が神敵に堕ちてしまうというのなら、この私も共に堕ちようではないか!
たとえ艱難を与えられ、辛苦をこの身に刻まれたとしても、私は決してお前を離しはしない!
私は──」
最初こそ呆気にとられていたブルーノたちだったが、私が動じずに指示を出すとすぐに我に返って動き出した。
貴族の挨拶というものは長いものだ。
通常はその間にお茶の準備をし、ちょうどよい頃合いで出せるようにしておくものである。
いやあるいは、ちょうどよい頃合いでお茶を飲むために貴族も長々しい挨拶をしているのかもしれない。
兄のこれはその挨拶の代わりと言える。たぶんしばらく続くと思う。
次兄フリッツは仮面でも分かる通り、自己完結型の変質者だったと言える。いや私は変質者だとは思ってはいないが、何故か皆そう言っているので便宜上そうだとしておく。
それに比べると、長兄ハインツは差し詰め劇場型の変質者だろうか。
たいていいつも、私に会う時はこのように仰々しく騒ぎ立てている。
一旦落ち着くと普通の貴族然とした振る舞いになるので、もうそういうものなのだと思って慣れてからは適当に聞き流すようにしていた。
「──を共に誓いあおうじゃないかミセル!」
「あ、すみません何をですか? 途中から聞いていませんでした」
「ははは。なに、戯言だ。構わないよ。そういう抜けたところも可愛いなミセルは」
「ありがとうございます、ハインツ兄様」
どうやら落ち着いたらしい。
ハインツは満足すると急に落ち着くので、慣れるまではその落差に驚かされる事になる。
「さあ、こちらへ。お茶とお菓子の用意がしてありますので。夜は晩餐も準備していますが、本日他にご予定は?」
「いや、ないよ。あったとしてもミセルとの晩餐に勝る用事などないさ」
「用事がおありならそちらを優先して下さいね」
これがリップサービスではなさそうなのが兄の怖い所だが、さすがに領主の名代として来ているというのに妹と晩御飯を食べる事を優先したりはしないはずだ。
部屋に通し、しばしお茶を堪能しながら近況について話した。
父と手紙のやり取りはしているが、父はあまりマルゴーの近況について書いてくれないので兄の話は新鮮だった。こちらの近況も手紙に書いてはいるのだが、やはり父はそれを家族に話したりはしないらしい。
母にはそれとは別に手紙を書いており、返信も来ているのだが、そちらは身の回りのこまごました生活の相談などが主で領地の事については触れたりしていない。
「さて」
そうした、いわゆる世間話的な会話が終われば、いよいよ本題に入るのが貴族のやり方だ。
今回で言えば、兄による私の査察の話ということになる。
「ふっ。いや、そう身構える事はないよミセル。査察とは言っても家族の事だ。お前が十分、令嬢として、屋敷の女主人として成長しているらしい事はここまでですでに十分わかっている。まあ心配などしていなかったがね。むしろ今までの世間話こそ私にとっては本題だったと言ってもいいくらいだ。父──辺境伯閣下にもそう報告しておこう」
柄にもなく気を張っていたせいか、正直ほっとした。
しかし世間話が本題だったと報告するのだろうか。それはそれでどうなのだろう。父ならそれだけで全てを察しそうではあるが。
「しかし、だ。わざわざお前を王都の学園にやっている以上、ただ貴族令嬢として成長しているだけでは十全ではない。わかるね」
「はい。学業ですね」
王女と仲良くするという裏の目的があったとはいえ、名目上はマルゴー辺境伯家の令嬢が王立学園に通っているのである。
そこでもしっかりと結果を残しておかなければ、家の恥にもなりかねない。
「時に、今日は昼間から家にいるようだが」
「はい。ハインツ兄様の歓待のために学園に届け出を出してお休みをいただいております」
貴族であれば、どうしても外せない家の用事というのはままあるものである。
学園に通う子女の中には次期当主という立場の者も多くおり、それに付随する用事も少なくない。
ゆえに事前に届け出を出せば学園側もそれを考慮し、後日特別に補習の時間を設けてくれることになっている。
「そうか。よろしい。では明日はきちんと登校しなさい。私も同行する」
「えっ」
「学園にはゲルハルト殿下も在籍していらっしゃるのだろう? ああ、そうだった父上からミセル宛に手紙を預かってきたんだった。おそらくその件についても書かれているだろうから、後で読んでおきなさい」




