22-20
マルゴーの北にある山脈。
その山脈を知らないマルゴーの民はいない。なぜなら、恐ろしい魔物たちは山脈の麓の森から現れるからだ。
森から魔物が溢れ、その光景を畏怖を持って見上げる時、その向こうには必ずその山脈がそびえている。
ゆえに、マルゴーの民にとってその山脈は畏れの代名詞でもあった。
まあ、代名詞とか言いつつ名前は特に付けられていないのだが。
「──そんな山脈の向こう側にまで派遣されるとはな。思えば遠くに来たもんだぜ」
「今更何言ってんだよ。ここ来るの2回目だし、単純な距離で言ったらもっと遠くまで行ったことあるでしょ」
何とはなしにユージーンが呟いた独り言を、ルーサーが律儀に拾った。
無視されるよりはいいのだが、いちいち独り言にまで反応していたらあのお嬢様の相手はさぞかし疲れただろうな、と思う。
ユージーンたち『餓狼の牙』は現在、マルゴー辺境伯ライオネルの命により、山脈を越えた先にある森と浜辺の偵察にやってきていた。
この地には数年前、北の魔大陸より獣人なる種族が侵入していたという前例がある。
その件の後、定期的に人を遣って監視をしていたのだが、その監視からマルゴー本邸へ緊急連絡が入ったのだ。
その連絡を受け、偵察にと送り込まれたのが『餓狼の牙』だった。
山脈を越えたり、その更に先に監視を置いたり、その監視と定期的に連絡を取るなど一昔前では考えられなかった事だ。
しかしそれも、魔王の早期討伐からの魔王誕生管理という、今代の辺境伯の功績により可能となった。
山脈の麓の魔の森は確かに恐ろしい場所だが、魔物の氾濫といった突発的な災害とそれに付随する魔物の生息域の変化などさえ無ければ、マルゴー領の軍事力ならば管理はそこまで難しい話ではない。
そして、それだけの力を持った領軍を育て上げたのもまた今代の辺境伯であった。
元々、マルゴー領軍は強い。
ユージーンが知る限りでは、おそらく人類の国家でこれに対抗しうる戦力は存在しない。
しかし、それも強大な力を持った魔物の個体の前では無意味だった。
強大な魔物とは、そう、魔王である。
マルゴーの歴史上、度々起きている事ではあるが、当時まだ一兵士であったライオネルはそれを自身の父の死を以て思い知った。
それ以降、ライオネルは自身と自身の軍隊の強化に努めてきた。
その結果、今代のマルゴー領軍は歴史上類を見ないほどの精強な軍へと成長したのだ。
北の魔大陸に対する備えとして、その監視体制を整える事が出来たというのは、まさにマルゴー辺境伯ライオネルの力があればこそである。
「……やっぱり、おかしいデス。みんな、魔力持ってマスね。アレじゃ、普通の人間みたいデス。どういう事なんでショウか……」
雑談をするユージーンたちと違い、真面目に監視をしていたバレンシアがそう零す。
独り言のようなトーンではあるが、ユージーンたちにも理解できるインテリオラ語で言ったということはこちらに聞かせるつもりがあるのだろう。あるいは独り言でもインテリオラ語が出てしまうくらい慣れたのかもしれないが。
バレンシアもまた、ライオネルにより『餓狼の牙』に同行する事を命じられていた。
最初の緊急連絡の中で、侵入者は話に聞いている獣人ではなく普通の人間のようだ、という報告があったからだ。その真偽を探るためには、獣人と人間を両方知る者が必要になる。
人間かどうかは監視員でも『餓狼の牙』でもわかるだろうが、獣人かどうかはバレンシアにしか判断できない。
そうして改めて偵察した結果、両者の判断は「人間にしか見えない」と「たぶん獣人のはず」というものだった。
北から船でやってきた点も踏まえ、最終的に「人間のような獣人じゃないかな」という結論に至った。これはすでにマルゴー本邸に報告が行っている。
現在はその獣人たちが山脈を越えないよう、監視を続けている状態だ。
もし越えようとした場合は、この狭い森にいる獣人たちは全て殺すよう命じられている。逆に、山脈を越えようとしない限りは監視に留めるよう言われていた。
「とりあえず、山脈に向かう様子はないな。気にはしているようだが。今はここに拠点を作ることを優先しているようだ。それと……おそらく後続を待っているのだろうな」
「お、連中、焚火作るのにいちいち魔法使ってるぜ。あんなもん魔導具でちょちょいとやった方が遥かに早いしコスパもいいだろうにな」
「必ずしもそうとは限らん。魔法を使う能力に秀でているのなら魔法でやった方が効率的だ。まあ、そうは見えんが」
目のいいサイラスが獣人たちの火起こしの様子を伝えると、魔法使いのレスリーが鼻で笑った。
バレンシアの言葉が確かならば、ほんの数年前までは自力で魔法が使えなかったはずの者たちだ。魔法を使う能力に秀でているとは思えない。それは本職であるレスリーの目から見てもそうなのだろう。
その分、魔導具を作る技術は優れているはずなのだが、敢えて拙い魔法を使って火を点けているのはおそらく、手に入れた魔法という力に酔っているせいだと思われる。そうでなければ危険な海を渡って侵略しようなどとは考えないだろうし、すでにあれだけの被害が出ているのに後続を期待したりはしない。
と、その時、突然バレンシアのメイドキャップがもぞもぞと動き、辺りをきょろきょろと見回し始めた。
あれはもしや耳を動かしているのか。だとしたら、何か彼女の感覚に引っかかる変化でも起きたのだろうか。
「──ああ、あれが新種の獣人さんなんですね。確かに、人間と見分けがつきません。魔力もちょっとは持ってるみたいですね」
 




