3-12
「クソが! 何なんだ貴様は!
だが、なるほどな! これほどの実力なら同志がやられたのも頷ける!」
素手で剣をいなされたオッサン仮面が悪態をつく。
一方悪態をぶつけられた兄は涼しい顔だ。
「君、さっきからそればっかりだけど、もしかしてク──ええと、排泄物とか好きな人なの? それか下半身が好きとか?
ちょっとレディたちの教育に悪いから、少し黙っていてもらえないかな」
まったくだ、と思いながらユールヒェンたちを見やる。
私やグレーテルは厳密に言えばレディではないので構わないかもしれないが、彼女たち生粋のお嬢様には少々耳によろしくない言い回しだろう。
それはそうと、兄はオッサン仮面の同志とやらをやってしまった件について否定しなくてもいいのだろうか。もう忘れているのかもしれない。
2人の兄は父とも私とも似ておらず少々ポンコツ気味なところがあるが、それもいいアクセントになっていて好ましい。何しろそれらの欠点以外は完璧なのだ。
「抜かせ! ──ちっ。仕方がねえ」
オッサン仮面はそれまでの猛攻をぴたりとやめると、バックステップで距離をとった。
「剣の軌道を読まれていなされるってんならよ。読めてもいなせねえ斬撃を入れればいいってわけだ」
そう言いながら目を閉じ、精神を集中させた。
オッサン仮面を中心に周囲の魔法の力が集まっていくのが視える。
私は愕然とした思いでその光景を見ていた。
馬鹿な。
敵の目の前で急に瞑想を始めるとは。
オッサン仮面は勝負を捨てたのだろうか。
しかし相対するはヒーローである兄。ちゃんとわかっていた。
フリッツ仮面は隙だらけに見えるオッサン仮面に殴りかかったりはせず、警戒した様子で身構えている。
「──くっ! ただの変質者かと思っていたが……これほどの使い手だったか! 何という魔力密度だ……! 動けん!」
さらにそれっぽいセリフまで呟いていた。
兄がオッサン仮面のどの辺りに変質者要素があると判断したのか不明だが、もし仮面の事を言っているなら特大ブーメランですよお兄様、と思わないでもない。
ただそれっぽいだけでなく、隙だらけのオッサンに攻撃しない理由付けもばっちりだ。
魔力密度とかいう設定で動けなかったから攻撃できなかったというわけである。
周りを見回してみると、兄だけでなくグレーテルやユールヒェンたち、さらには強化プードルやユージーン仮面まで動きを止めている。
もしかして設定ではなく実際に存在する摂理なのか、と一瞬思ったが、きょろきょろする私には特に動きを制限されている感覚はない。
しかし私は【威圧】や【支配】、認識阻害が効かないらしい疑惑もある。
オッサン仮面のこれがそれらのスキルと同じ源からきている可能性はゼロではない。
もしや、これ本当にヤバいやつなのでは。
そう思ったが、私一人で出来る事などない。今は見守っているしかないし、何も異変を感じないせいでどうにも危機感のようなものが湧いてこない。
しかしいずれにしろ、オッサンに魔力が集まっているのは確かだ。
その収束していく魔力の粒が、オッサン仮面の構えた剣を黒く光らせる。
「くぅ!」
空気がビリビリと振動し、その圧力をまともに受けている兄が呻いた。
ただ見ているだけのグレーテルたちもつらそうな表情をしている。
確かにオッサンの剣から禍々しいオーラが発せられているのは感じる。が、私にはそれもそよ風程度のものにしか思えない。
なんというか、本能的に、格下が粋がっているようにしか感じられないのだ。
私が異常なのか、それとも周りが大げさなのか。
「──これならどうだ! 食らいな! 【魔道士殺し】!」
オッサンが漆黒の光をまとわせた剣を振り下ろす。
空振りか、と思ったがそうではなかった。
剣にまとわりつく漆黒の光は巨大な斬撃の形を取り、兄に襲いかかった。
「──【──】!」
兄が何かを叫び、黒い光に飲み込まれた。
「……クソが。そのレベルの障壁をノーチャージで組みやがるか。マジどうなってんだ貴様……」
剣を振り下ろしたポーズのまま、オッサン仮面が苦々しくつぶやく。
その視線の先ではフリッツ仮面が体中から煙のようなものを立ち上らせながら、両手を前に突き出していた。
その両手の指が何本か、妙な形に曲がっているのが見えた。
もしや折れてしまったのか、と一瞬思ったが、兄はすぐに指を伸ばすと軽く両手を振って姿勢を楽にした。
どうやら自分で曲げていたようだ。
ニンジャやオンミョウジの印のようなものだろうか。
かっこいいので後で教えてもらおうと思う。
「──そりゃ、チャージに時間がかかるようなバリアなんて咄嗟の時に使えないだろ」
「……しかもノーダメージかよ。魔法防御無視攻撃だってのによ……。クソが、1人じゃキツいぞこいつは……」
一時はヤバいのではと心配になったが、やはり次兄の敵ではないらしい。
オッサン仮面の大技を防ぎきったというのにフリッツ仮面にはまだ余裕が見える。
「さて。あまり遊んでいてもなんだし、そろそろ片付けるとしようかな。さっき君が使ったスキルについても、結社とやらについても聞きたいことがあるし、生け捕りにさせてもらう」
「ハッ! 生け捕りだと? 舐められたもんだなァおい。さすがにそこまでの実力差があるとは思わんがな」
オッサン仮面は嘲笑した。どこか安心した風にも見える。
ただ殺すだけなら兄も慣れているだろうし今すぐにでも出来るだろうが、生け捕りとなると相当な実力差が必要だ。オッサン仮面の見立てでは兄と自分の間にはそこまでの差はないと考えているのだろう。
相手に殺すつもりがないのなら逃亡の目も見えてくる、というわけだ。
「……今は、ね。でも……」
兄は何事かつぶやくと急にうずくまった。
「……なんだ?」
明らかな隙だが、オッサン仮面は警戒して動けない。
見ている私たちも何が起こったのかわからない。
一方、強化プードルはオッサン仮面の剣の威圧感から解放された事で再び暴れだし、ユージーン仮面、ルーサー、フランツとの戦闘を再開していた。
戸惑う私に向け、兄が叫ぶ。
「ぐわー! な、なんて強い攻撃だー! このままでは、やられてしまうー! こんな時、応援してくれる誰かがいれば、それが力になるというのにー!」
聞いた瞬間、私は察した。
やはり、兄はヒーロームーブをやりたくて舐めプしていたのだ。
私と違って本物のヒーローショーを見たことがなく、本物のヒーローである兄がそれらのお約束を知っているとは思えないので、恐らくこうしたアトモスフィアはヒーローたちの魂に刻まれた根源的な何かなのだろう。
かたわらで呆然としているグレーテルの手を取る
「鏡仮面が力を求めています。さあ一緒に応援しましょう!」
「……えっ? 応援? ごめんなさい、ちょっと貴女たちが何を言ってるのかわからないのだけど」
「ですから、応援です。鏡仮面を応援するんですよ」
こういうのは1人でやっても仕方がない。
観客、いや助けてもらう善良な市民全員でやらなければ。
決して1人で叫ぶのが恥ずかしいからとかそういう事はない。
「さあ、ユールヒェン様たちも!」
「……わ、わたくしも?」
「そうです! 聞こえませんでしたか? 仮面の貴公子様が貴女の力を求めているんですよ。応援せずしてどうするというのです!」
「あ、そ、そうですわね……! わたくしの応援が、あのお方のお力になれるのでしたら……!」
ユールヒェンが決意を固めるように胸の前で拳を握りしめた。
取り巻き令嬢たちも釣られて目に光が灯り始める。
「はい、じゃあみんなで一緒に応援しましょう!
頑張れー! 仮面の貴公子スペクルム様ー!」
脳裏に【煽動】や【演説】のワードが流れていく。
私の言葉に続き、グレーテルやユールヒェンたちも兄を応援した。
「頑張れー! 鏡仮面ー!」
「が、頑張ってくださいまし! 仮面の貴公子様ー!」
「仮面の貴公子様ー!」
ともに叫んでいると、いつかのように【超美形】、【美声】、【魅了】、【鼓舞】、【応援】、【指揮】、【共鳴】などなどのワードが浮かんでは消えていく。
すると私たちの応援が届いてか、フリッツ仮面が力を漲らせて立ち上がった。
「……おほー! きたきた……なんか、前より上昇幅大きいような……まあいいか!
──結社の手先よ! 貴様の野望もこれまでだ!」
叫ぶが早いか、兄は突然姿を消した。
「……ああ? なっ! 消えただと!? なんだ、何が起きて──」
ついてこられていないという様子で呆然と展開を見守っていたオッサン仮面だが、姿を消した兄に驚愕してきょろきょろと辺りを見回した。
が、その時にはすでに兄は彼の真後ろに移動していた。
「──これで、チェックメイトだ」
「がっ……!」
兄の手がぶれ、オッサン仮面はその場に崩れ落ちた。
これは伝説の首トン、かと思ったが、兄の手は拳の形をしていたので普通に後頭部を殴打して気絶させたものと思われる。
敵はあれだけ派手に立ち回ったというのに、ヒーローの必殺技が回り込んでぶん殴るだけとか地味にもほどがある。
まあ、現実なんてそんなものなのかもしれないが。
それに生け捕りにするとか言いながら大技繰り出して殺してしまっても問題だし。
若干の消化不良感があるが、まあまあかっこよかったので今回は許すことにした。
次回があれば出来れば私にプロデュースさせてほしい。
「これは危険だからね。僕がいただいて、もとい預かって、もとい、拾っておこう」
兄は倒れ伏すオッサン仮面の仮面を剥ぎ取り、懐に入れた。
ただのオッサンと成り果てたオッサン仮面の素顔はやはりオッサンだった。歳は前世のイメージだと40前後くらいに見える。今世ではあのくらいの年齢が一番わかりづらい。たぶん、実年齢は80から150くらいの間の歳だと思う。
「……さて。あとはあのコボルトフィッシャーだけど……。あっちも終わったようだね」
兄の言葉にユージーン仮面たちの方を見てみると、まさにプードルが崩れ落ちるところだった。
倒れたプードルは微動だにしない。完全に死亡したようだ。
兄がこちらを片付けてすぐに決着がついたということは、ユージーンたちもやはり手を抜いていたらしい。兄の活躍を食ってしまわないように調整していたということだ。手の込んだ演出である。手の込んだ手抜きとはどういうことだろう。
「……なんか途中から急に弱くなったっつうか、お嬢またなんかやりやがったな……」
「……おい、聞こえるよ。一応、正体隠してるんじゃなかったの」
「……おっと」
ユージーン仮面とルーサーが話しながらこちらへ歩いてくる。仲直りは出来たようだ。
強大な敵にともに立ち向かうという熱いシチュエーションがわだかまりを溶かしたのだろう。舐めプしてたくせに、と思わないでもないが、やらせではなく演出なので問題ない。
「こっちも終わってたか。今度こそ逃さずに済んだみてえだな。さすがはフ──スペクルム様だぜ」
「……ホントに隠す気あるの? 今度こそって……」
ルーサーが目を眇めてユージーン仮面を見ている。
しかし安心してほしい。
今度こそ、の意味がわかるのはルーサー以外では私だけだし、私は口外するつもりはない。ヒーローのプライベートを暴くのはマナー違反だからだ。
フランツやグレーテルに「後ほど」だの「おいおい」だの言ってしまった気がするが、それはきっと未来の私が美しい脳細胞を閃かせて何とかしてくれるはずだ。




