22-15
前世において、たまに耳にした話がある。
猫というのは、たとえ人に飼われていようとも狩猟の本能を持つ動物なのだと。
それゆえに飼い主を主とは考えず、あくまで自分に獲物を献上してくれる子分であると考える向きがあるらしい。
そんな我が道を行く猫様であるが、王者とは言え猫様にも一抹の優しさはある。
甲斐甲斐しく自らの世話を行なう子分に対し、時に狩りの獲物を分け与えてくれる事があるという。
朝起きたら枕元に黒光りするGが置いてあった、というエピソードは有名だ。
うちのネラはそういう、猫らしい我儘とも言える側面はあまり見られず、大人しく従順な気性をしている。おそらくは犬であるビアンカと兄弟のようにして育ったからだと思われる。
しかしやはりそこは猫。自分自身の本能に逆らう事は出来なかったようだ。
ビアンカが子分の仔犬を飼って欲しいとやってきた少し後に、何やらやり遂げたような誇らしげな表情でネラも屋敷に帰ってきた。ちょうど、父から聖シェキナ神国の極寒地獄の件について聞いたころだっただろうか。
具体的にネラが何をしたのかはよくわからないが、帰ってくる少し前くらいに虫の羽音のような感覚がすうっと消え去っていったので、おそらく与えられた自由時間を使って存分に狩りをしたのだろう。
言われなければ気付かないと言うか、羽音が消えて初めて「そういえばうるさかったかも」と自覚出来たくらいなので、小さなネラに見合った小ぶりな獲物であったに違いない。
ただし、ネラは身体は小さくともその秘めたる力は大人顔負けだ。
口先ばかりで実力が微妙とはいえ、結社の幹部の生命を爪の一閃で刈り取るくらいの実力はある。
おそらく、獲物があまりに小さかったために、原型を留められなかったに違いない。
私に恵んでくれないのはそのせいだろう。
ですよね、とネラに笑いかけると、ネラは猫らしくなく前脚を顔の前で振りながら「そんなわけない」と謙遜していたのがまた可愛らしかった。
なお、ネラが誇らしげな顔をしていたのは狩りが上手くいったからではなく、工場の警備に役立つ警戒網の構築が上手くいったからだったらしい。
なんでも、友達の猫たちによるネットワークを作り上げる事が出来たのだそうだ。
まあ言っても自由気ままな猫たちであるし、それ自体にはそこまで期待は出来ないが、ネラもビアンカと同じく友達が出来たようで何よりである。
「そういえば、聖シェキナ神国の皆さんは大丈夫でしょうか」
「ああ、なんか今超寒いらしいねあっち。ザマァだわマジで」
自らの爪にヤスリをかけ、息を吹きかけながら『教皇』が笑う。
彼は私やグレーテルに感化されてか、最近は美容に興味を持ち始めたようで、こうして我が商会のアイテムを使い自分の美に磨きをかけている姿をよく見かける。それについて、ディーやジジたちと情報交換などもしているようだ。つい先日も化粧品が肌に合うかどうかのパッチテストをしたりもしていた。
聖シェキナ神国なんて不幸のどん底に落ちればいい、とでも言わんばかりの邪悪な笑みは、彼自身の中性的な美貌も相まって非常に凄惨な印象を周りに振りまいていた。アマンダは眉をひそめていたが、これはこれで美しいので私は別にいいと思う。
『教皇』がこうまで聖シェキナ神国を悪し様に言うのは、何でも以前、あの国でかなり苦汁をなめさせられたからであるそうだ。例の結社の命で行なっていた内偵、というか潜入作戦でのことであったらしい。
潜入ということなら、それは辛くて当たり前である。仮に上手くいっていたとしても工作員は常時相当なストレスに晒され続けなければならないし、上手くいかない事があればその苦痛は何倍、何十倍にもなるだろう。
であれば、別に聖シェキナ神国の人たちが悪いわけではない。
その苦痛は結社という組織が、何らかの利益を得るために必要なコストだと判断しただけの話で、それを『教皇』に強いたのは結社側の理由に過ぎない。もっと言えば、そんな組織に所属する事を決めた『教皇』自身の選択の責任である。
まあ『悪魔』やアマンダらの話を聞いた限りでは、その選択の権利がそもそも構成員に与えられていたかどうかは甚だ疑問ではあるが。
そういうわけで『教皇』の悪態はまったくの逆恨み、八つ当たりの類のものなのだが、それはそれで悪の美学というか、わからせてやりたい系の憎らしさというか、そういう美しさがあったので、私は彼の言いたいようにさせていた。
ただ、私が言いたかったのは聖シェキナ神国の寒さのことではない。
「ええと、寒さもそうですが。竜騎士を名乗る方々がまたぞろ攻めていらした、という話を小耳に挟んだものでして」
これは先日、「顔を見に来た」とふらりとやってきた父に聞いた。
本当に挨拶のためだけに来たのか、と呆れてしまったが、美しい私の顔が見たいというのは当たり前の感情なのでこれは仕方がないことだ。
本来、父はこれを私に言うつもりはなかったようなのだが、その時点ですでに再侵攻していた竜騎士たちは死に絶えており、神国を心配した私が勝手に出かけてしまったりはしないだろうということで教えてくれたのだ。
確かに、今口に出したようにシェキナら神国の知り合いが心配なのは間違いないが、すでに敵も存在しないのにしゃしゃっていこうとはさすがの私も思わない。
まあ異常に寒いというのはたぶん私のせいなので、これについては責任感的なアレもあってちょっと気にかけているところではある。




