22-14
その日、イブダー王国を未曾有の大災害が襲った。
元よりセトのトンネルの影響で魔素が濃く、竜人や竜族たちが生きるには過酷な環境だったのだが、この日、世界が彼らに強いたのはそんな程度のものではなかった。
わずかに残されたトゥルバの加護をまるごと塗りつぶしてしまうかの如き、濃密なまでの魔素。
それに触れたものは一瞬で意識を奪われ、倒れ伏した。中にはそのまま全ての臓器が機能を停止し、死んでしまうものさえいた。
まさに生命を蝕む毒、その真の恐ろしさを見せつけるかのようであった。
しかしいかに恐ろしい魔素とは言え、何もないところから湧いて出る事など有り得ない。
ゆえに竜王イブダーは、この大災害は元より魔素が濃かったこの竜王国の特性によるもの、つまり、セトのトンネルの封印が破られたのではないかと考えた。
それも、こちら側の封は堅く閉ざしたままであるので、その封が破られたのは反対側、おそらくは地上側と呼ばれる方からであるはずだ。
その結果、実際にトンネルの封の周辺がどうなっているのかは確認が取れていないが、現時点で国中のほとんどが高濃度の魔素に汚染されてしまっているため、もはや知ることは不可能であった。
「『……さては、アブドルめ……。しくじりおったか』」
地上が魔素にまみれているのはわかっていた事だ。
しかしダムア竜騎士団はそれを押して、地上に何らかの橋頭堡を築いた。
ならば、イブダー王国も遅れを取るわけにはいかない。
そう考えて送り出したイブダー竜騎士団だったが、この王国の惨状を見る限りでは、どうやら失敗したようだ。
しかも、おそらくはダムア竜騎士団と争い、敗れ、トンネルの向こう側から封印を破壊されてしまった、のだろう。
想定されうる中でも最悪の結果だ。
一方的に命じておいて、しかも半ば封印から締め出すような仕打ちまでしておきながらこの評価では、当の騎士団長アブドルが聞いていれば何と思っただろうか。
しかし残念ながら、もうその機会は永遠に来ない。
そして幸運ながら、竜王イブダーが騎士団長アブドルに罵られる未来も来ない。
それはアブドルがすでにこの世に居ないからではなく、竜王イブダーの命運もまたここで尽きるからだ。
◇◇◇
「んー。トカゲの生態はよくわからんけど、多分ここが群れのボスの部屋、じゃねえか?」
地下の大空洞には資源が少ない。
また、植物の一部が光を発しているために視界が悪いという程ではないが、それでも地上に比べれば随分と薄暗い。
そうした事情がゆえか、地下の空洞に広がる街は全体的に質素と言うか、色味に欠ける印象が強い。
トカゲの革は種や個体によって様々な色合いがあるようだったが、さすがにそうした物は住居には使われていなかった。
「それっぽいな。なら、そこにいる、ガチャガチャした骨の装飾と派手な色の革を身体に貼り付けてるのがボスなのかな」
2人の天使は知る由もないことだったが、その竜人が身に付けていた装飾品に使われている骨は、かつてこの大空洞に竜人の始祖らが逃れて来た際、彼らに使役されていた偉大なる竜族のものであった。
そしてこの装飾品を身に纏う事を許されているのは唯一、竜王イブダーのみである。
「『──な、何!? 何だ貴様らは! どこから現れた!?』」
「どこから、って、別にどこでもいいだろ。お前に関係あるのかよ」
互いに全く違う体系の言語を話しているにもかかわらず、竜王イブダーと天使の男は会話が成立していた。
しかし、竜王イブダーはそれを不思議に思う事はなかった。というより、気が付かなかった。
なぜなら大空洞には言語がひとつしかなく、言葉が通じない知的生命体の存在など考えた事もなかったからだ。
いや、それ以前に竜人や竜族以外の知的生命体と会ったことさえ初めてだった。
「『気持ちの悪い姿をしおって……! 尾もないとは、一体どういう……あ、待て、まさか、貴様ら……地上の生物か……?』」
「いやいや、逆に何だと思ってたんだよ」
「一つ訂正しておくと、厳密には僕らは別に地上の生物ってわけでもないけどね。もっと上の……まあ言ってもわかんないか」
竜王イブダーはなおも喚き立てていたが、もう天使2人が相手にする事はなかった。
「ここが最後だよな。とっとと喰って終わりにしちまおうぜ」
「そうだね」
2人はここ、竜王城にやってくるまでに、すでに竜王国に住む竜人や竜族のうち、少なくない数を魔素によって侵蝕してきていた。
なお、侵蝕出来なかった竜たちはすでに死亡してしまっている。
竜人や竜族は本来、惑星由来の土着の神の加護を受けている者たちである。ゆえに外来の神由来のエネルギーである魔素によって侵蝕する事は出来ない。
この加護は強固であり、魔素そのものだけでなく魔素によって引き起こされた現象に対しても高い耐性を持つ程であった。
ただしそれも、あくまで加護の及ぶ範囲まででの事。
加護ごと塗りつぶせるほどの魔素の濃度と量を浴びせられては、到底無事ではいられなかった。
天使たちの実力であれば、ただ殺すだけであればそのようなコストをかける必要はない。
それでも敢えてそうしたのは、ここに来た目的が竜王国を滅ぼす事ではなく、その土着の神の力と眷属たちを取り込む事にあったからだ。
もちろん相手は魔素とは真逆の性質を持つ竜であるから、そう簡単にいくとは考えていなかった。眷属は割合にして1%も侵蝕出来ればいい方で、そのほとんどは死なせる事になるだろうと。
ところが実際に高濃度の魔素に浸してやったところ、何割かの竜は死なずに魔素に適応してみせたのである。
中には意識さえ失う事なく、そのまま新たな種──魔竜族へと変じた個体さえいたほどだ。
そうして南の大空洞最後の竜人、竜王イブダーをも掌握し、続いて北の大空洞も同様に制圧し、ついには原初の神、トゥルバの持つ全てのエネルギーをも支配下に置いた。置いてしまった。
受肉したるとはいえ、本来はエネルギー生命体とも呼ぶべき彼らにとってそれは──
 




