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イブダー竜騎士団長、アブドルは絶望に暮れていた。
汚されし楽園、地上。
かつてイブダー王国の、いや全ての竜人、竜族の始祖らが繁栄を謳歌していた、祝福の地。その地が汚され、始祖らは地下の世界に逃げ延びた。
言い伝えにはそうあった。
その言い伝えの地に、アブドルは立っている。
しかし、いくらなんでもこれは、あまりに酷すぎないだろうか。
鱗を刺す冷気は、ただ立っているだけで体力を、生命を奪い、遠く禍々しい天井より降りしきる黒い水が、その冷たさを加速する。
そしてその黒い水に晒され続けた大地もやはり黒く淀んでおり、その淀みの下には、まるで焼け焦げたかのような奇妙な色の土や岩が顔を覗かせている。
竜人や竜族がどうの、という話ではない。
こんなところで、一体いかなる生物ならば生きていけるというのか。
しかも竜王イブダーはこの地にアブドルたち竜騎士団を放り出し、セトのトンネルを封印してしまったのだ。
あれはトンネルという名前こそついているが、物理的な穴というわけではない。ただの穴では、いかに完全に封じたところで魔素の流入を防ぐ事など出来はしない。
セトのトンネルとは、偉大なるトゥルバの力によって地下と地上の境界を曖昧にし、そこに強引に道を作成する神の御業だ。イブダー王国にはその残滓が伝えられているに過ぎない。
しかし物理的な穴ではないとは言え、邪悪なる魔素もまた物理に縛られるものではない。
侵食と侵略。それこそが魔素の本質。
直接的に穴が開いているよりは遥かにマシではあるが、トンネルの残滓を辿り、魔素は大空洞に滲み出してくる。イブダー王国の環境に負担をかけているのがこれだ。
物理的な存在ではないのだから、物理的に押し通る事は出来ない。
ひとたび封印されてしまったトンネルは、知覚することさえ出来なくなってしまうのである。
もはや帰ることすらままならない。
帰還のための合図は本国に向け何度も出しているが、全く何の反応もない。
イブダー竜騎士団には選択肢はなかった。
戦うしかない。戦って、結果を出すしかないのだ。
僅かに滲み出しただけの量でさえ、あれだけ王国に貧しさを強いていた魔素。それが空間に隙間なく敷き詰められているのがこの汚されし楽園である。
しかし、この地においてもしっかりとたくましく生きている者たちがいた。
騎竜に似た朴訥な雰囲気の、四足歩行の毛の生えた獣に牽かせた箱に乗る、尾の無い者たち。
一見して大して戦闘力は無さそうであるが、この氷結地獄で普通に行動しているだけでも驚くべき事だ。
これこそが、魔素に対応するということ──いや、魔素に汚染されきってしまったということなのだろう。
ならば、いかに戦闘力がなさそうに見えても、あれらは竜王国の敵だ。
アブドルは配下の竜騎士団、その小隊長らに命じた。
手分けしてあの尾無しの者どもを狩るようにと。
あの程度の実力なら、栄えあるイブダー竜騎士団なら同数以下でも対処可能だ。
そう考え、信じて送り出した頼れる部下たち。
しかし。
冷たく凍り、もはや物言わぬ骸。
頼れる部下たち、だったもの。
駄目だった。
まともな戦いにすらならなかった。
竜騎士たちは尾無しに負けたのではない。環境に負けたのだ。
では、だとしたら、どうすればいいのか。
数を揃えても意味はない。
環境は全ての者に等しく降り注ぐ。
環境を変える事は出来ない。出来るのなら先祖がとっくにやっている。
「『……こんなところで、どうやって戦ったというのだ。ダムアの竜騎士たちは……』」
というか。
「『……いや、待て。竜王陛下がおっしゃるように、ダムアがすでに地上を制圧しているのだとしたら……』」
どこにいるというのか、ダムア竜騎士団は。
この地獄のような地上のどこに。
確かに、ダムア竜騎士団は強かった。
持って生まれた体格の差。与えられた栄養の差。装備の質の差。
どれかひとつなら努力で覆す事が出来たとしても、全てが揃った相手には多少の努力で勝つ事は出来ない。
しかしいかに強かろうと、竜人は竜人に過ぎない。
あの尾無しのように、この環境で生きていけるとは思えない。
しかもダムア竜騎士団からの連絡が途絶えてから、すでに数ヶ月が経過しているのだ。
イブダー王国で療養しているダムア竜騎士団の残党は、地上についてこんなに酷い状況だとは言っていなかった。
むしろ、魔素が濃いせいで万全には戦えないものの、見たこともない植物や生物が織り成す景色は美しいし、食糧も味が濃いし、何としても制圧したいと言っていたくらいだ。
ダムアの連中の目がどうかしているのでなければ、この光景を美しいとは言わないだろう。
食糧については不明だが、こんな地獄で生み出された物を口にしたいとはとても思えない。
「『……最初からこのような状況ではなかった、のか? もしや、ここ数ヶ月の間に美しい自然がこんな事になってしまった?
だとすれば、ダムア竜騎士団は……もしや……この環境の激変に巻き込まれ、1人残らず滅び去ってしまったのでは……』」
この仮説が正しいとしたら、竜王イブダーはとんでもない思い違いをしていた事になる。
アブドルは青ざめ、伝令に本国への合図を命じた。
しかし、伝令からの報告はそれまでと変わらないものだった。
すなわち、応答なし。
竜王イブダーは本気で、地上を制覇するまで竜騎士団を戻すつもりはないらしい。
アブドルは絶望に暮れていた。




