21-12
「わんわんわんわん!」
──ネラ!?
嫌な匂いの緑の柱と共に地面から飛び出してきたのは、ビアンカの同僚であるネラだった。
彼は飛び出した勢いのまま、空中でくるりと器用に姿勢を整えると、ビアンカのそばに音もなく降り立った。
「……なーお」
──ビアンカか。すまない。しくじった。
ネラは確か、工場の警備面について貴族街側からアプローチするとか言っていたはずだ。
であれば貴族街にあるこの公園にいるのも頷ける。
しかし公園には貴族は住んでいないし、貴族街には野良の猫や犬も少ない。公園で何かをしくじるような事態になるとは思えない。
もっともそれを言うなら平民街側の警備を探していたビアンカが貴族街の公園に居るのもおかしな話になるのだが。
「わおん?」
「うなー」
ネラに詳しい話を聞いてみると。
彼はまず、貴族街での伝手を作ろうとしたらしい。その伝手を起点として、貴族街側から工場方面の監視網を構築しようとしたようだ。
なるほど中々に理にかなっている。猫は犬よりも五感や筋力に劣っているが、その分悪知恵は働く傾向にある。それはネラも同じだ。
そう考えたネラが最初のとっかかりに選んだのは、主人の友人から嗅いだことがある猫の匂いだった。
そしてどうやらその猫が、偶然にも貴族街でそれなりの顔役であったのだそうだ。その彼の協力を取り付けるため、ネズミの駆除の依頼を受けたらしい。
そしてネズミとやらの匂いを辿ってみれば、貴族街に張り巡らされた下水道へと辿り着いた。
「なあご……」
──私一人でも十分抑え込めると思ったのだがな。初撃は良かったのだが、地下から増援が出てきた。それがあいつらだ。あれ以上は増えてないから、おそらくあれで打ち止めだとは思うが、こっちの魔イナスイオ素ももう残り少ない。……情けない話だ。主人のようには、やれなかった。
言いながら、ネラが顎をしゃくった。
そちらの方を見てみると、緑の柱はすでに消えており、ブサイクな猫のような魔物が何匹かこちらへ走ってきているところだった。
嫌な匂いの元はこいつらだ。そして、ネラの話によれば、こいつらが貴族街の猫を悩ませているネズミなのだろう。
「うなあ!」
──ブサイクな猫のような、とは何だ。ブサイクな犬のような姿の間違いだろう。
「あおん?」
──いや、間違ってはいないが? どう見ても犬とは似ても似つかない。
「うーわんわんわんわん!」
──いや言ってる場合か! 何だあれ! ネズミ!? にしちゃ、妙にでかいぞ! 長老より大きいんじゃないか!? 魔物だろあれ! なんで街の中に魔物がいるんだ!
壮年の犬が騒ぐ。耳もぺたりと寝てしまって、尻尾も後ろ脚の間に挟まってしまっている。
明らかに怯えている様子だ。
そしてそれは仔犬も同じであるようで、こちらは声を出すことさえ出来ないようである。
先ほどまでの余裕のある態度はすっかりどこかに吹き飛んでしまった。
無理もない。
彼らがもしこの王都から出たことがないのであれば、下手をすれば魔物を見たことさえないかもしれない。
ビアンカもこの王都に来てから街なかで、マルゴーの敷地の外で魔物を見たことはない。おそらく外から魔物が入ってこないようなシステムが構築されているのだろう。
まあマルゴーの屋敷の庭になら、突然魔物が現れた事があったが。あと魔物と区別がつかないような人間もたまに主人の前に現れたりしたが。
「わおーん」
──心配はいらない。君たちは知らないかもしれないが、街の中に魔物が入ってくるというのは地方ではよくある話だ。そうした魔物は基本的に魔物の領域から追い出された個体だから、あまり強くない。人間の子供でも始末出来る程度だ。あのくらいの数なら、すぐにでも片付けられる。
「わうわうわう!」
──人間の子供に魔物なんて倒せるわけないだろ! 何のために人間に傭兵って仕事があると思ってるんだ!
傭兵とは魔物の領域に逆に入っていく人間たちの事だ。生存競争に負けた雑魚ではなくて、生存競争に勝った方を相手にする、言わばスペシャリストの事である。
以前、故郷のマルゴーで魔物の領域に入り込んだ子供を保護した事があったが、つまりああいう事だ。
もっともビアンカたちの主人は美しいので、魔物ごとき何の脅威にもならないのだが。
そしてそれは、主人に可愛がられているビアンカたちにも言える事だ。
「可愛い」とは「美しい」に似た言葉で、主に「美しいがまだ小さい」者に対して使われる言葉だということはわかっている。
世界一「美しい」主人に「可愛がられて」いるわけだから、ビアンカとネラの美しさも世界基準で相当なレベルであるはず。
ならば、あの程度の敵は大した脅威ではない。
「わふーう」
──まあ、あの醜いネズミが猫と犬のどちらに似ているかは今は置いておこう。ネラ、まだやれるな?
「なーご」
──当然だ。地上に戻って、私の魔イナスイオ素も少しは回復出来た。この辺りは魔素だけでなく魔イナスイオ素も少しは散布されているからな。お前と2匹ならば、今度こそ完全に抑え込めるはずだ。
ビアンカはネラの横に立ち、迫りくるネズミたちを睨む。
「わん」
──そこで見ているがいい。少年。そして壮年。マルゴーに仕えれば、この程度の魔物など全く問題にならないくらいの力が手に入るのだという事を教えてやろう。




