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残念だが仕方がない。
マルゴー良いとこ一度はおいで、と言い残し、ビアンカは諦めた様子で溜まり場を去った。
急進派や攫われた仔犬の場所は知りたいが、あの老犬や若い犬たち穏健派は教えてくれないだろう。
しかしビアンカも犬。
あの若い犬が仔犬が攫われるところを見ていたというのなら、若い犬の匂いを辿っていけばその犯行現場に行けるはず。
そしてそこからは、若い犬とは違う犬の匂いを辿っていけば、いずれ急進派の元へと行けるというわけだ。
工場の警備犬へのスカウトは急進派たちに対して行なう事にする。
その際もし攫われた仔犬とコンタクトが取れたなら、マルゴーの事を理解してくれなかった老犬には申し訳ないが、その仔犬にも選択肢を与える。もちろん、主人に雇われる場合の待遇についてしっかりと説明をした上でだ。
そうすれば、おそらく仔犬は頷いてくれるだろう。急進派もだ。
老犬たちは嘆いていたが、ビアンカは急進派がただ働きたいというだけで貴族に雇われているとは思えなかった。
穏健派が働かなくても生きていけるのは、平民街の人間たちが餌を恵んでくれるからだ。
しかし急進派のように貴族街に行ってしまえばそうはいかない。
貴族の中には平民のように野良の犬や猫に餌をくれる者もいるかもしれないが、貴族というのは平民ほどには優しくない。特に王都に住まう貴族は領地からの税収のような不労所得が無いため、働かなければ生きていけない立場にある。例え犬や猫と言えども働いていない者に安易に施しを与えるような事はしないのだ。
自分にも他人にも厳しい者たち。それが王都貴族だ。
であるなら、急進派たちが得る日々の糧は、その働きぶりによって左右されていると考えていいだろう。
そしてそれは、少なくとも働かずに平民に恵んでもらう分よりもよほど良い物であるはずだ。
老犬の話にあった、急進派の「働かずに食う餌は美味いか」という言葉はおそらくそういう意味だ。労働の対価として貴族から得られる餌のほうが上等である、という。
そうだとすれば話は簡単だ。急進派たちが雇われている貴族よりも良い条件を出してやればいい。
主人は元々、人間の警備員を雇うつもりでいた。
人間たちの普段の生活を見ている限り、人間というのは犬と比べて生きるために必要なものが多い。
犬と違って毛皮が無いので服や鎧が必要だし、犬と違って牙も爪も無いので戦うためには武器が必要だ。
しかも、人間たちの食事は犬のものより手がかかっており、量も多い。
これは裏を返せば、人間を雇うのと同じコストで犬を雇えば、その差の分だけ犬は贅沢を出来るという事である。
ビアンカは老犬たちが見えなくなるところまで離れると地面に鼻を寄せ、匂いを辿り始めた。
◇
若い犬の匂いを辿り、それから仔犬と急進派らしき犬たちの匂いを辿り、ビアンカは貴族街の中のちょっとした広場のようなところへやってきた。
高級感のある大きな屋敷が建ち並ぶ貴族街において、この一画だけは人が住んでおらず、緑が多い。確か、公園とか呼ばれている場所だった。
こうした場所が作られている理由はおそらく、人間の本能を忘れないためだと思われる。
主人やビアンカの故郷であるマルゴー辺境伯領は王都に比べ、自然が豊かだった。
魔物も多く、人間に厳しい環境ではあったが、そこに住まう人々は誰もが寛容で、細かい事にはこだわらなかった。
ああした人間本来の優しさ、おおらかさを忘れないよう、常に人間同士で協力し合える社会を作っていくために、マルゴーのような辺境を模した区画を作っているのだろう。
この試みはビアンカから見ても素晴らしいものだと思えた。
ただひとつ、あえて言うならば。
ここはやはり、人間同士は協力しなければならない事を思い出すためにも、公園に魔物を放つべきではないだろうか。
これは非常に良い案に思えた。
主人の懸念、工場の警備の問題が片付いたら、進言してみるのもいいかもしれない。
時々どこからか非常に不快な匂いも漂ってくるが、今ビアンカが求めているのは犬の匂いである。
さらに匂いを辿っていくと、公園の隅に数頭の犬の気配を見つけた。
「わんわん! わん!」
──じゃあ、僕も貴族に雇ってもらえれば毎日美味しいものが食べられるの?
「わん、わん」
──その通りだ。もちろん、今すぐは無理だ。お前はまだ小さい。貴族の屋敷を守るというのは、単純に力だけあれば良いというものではない。見た目による威圧も必要なのだ。それは仔犬であるお前には難しい。今は訓練をし、身体の成長を待つのだ。
「……わふ」
──わかったよ……。
「わん」
──そう気を落とすな。心配せんでも、お前が働けるようになるまでは我々から餌を分けてやる。これは先行投資だ。というのも、犬にとって働く誇りというものは生まれながらに持っているものなのだが、働かずにこの誇りを傷つけ続けると徐々にすり減り、いずれは無くなってしまうものなのだ。お前を育ててくれた、長老を思い出してみろ。今更彼らを働かせようとしても、もう無理だろう。幼いうちから大事に守ってやらねば、誇りを繋げる事は出来んからな。
ビアンカの耳が彼らの会話を拾った。
間違いない。急進派と仔犬だ。
「──わふーん!」
──話は聞かせてもらったぞ、少年! それと壮年!
 




