21-9
「わんわんわんわん!」
──チビが貴族街の連中に連れて行かれちまった!
犬たちの溜まり場に飛び込んできた若い犬はそう言った。
どういうことか、と話を聞いてみると。
現在、この王都に暮らす犬たちは、目の前の老犬が率いる穏健派と貴族街を中心に活動する急進派に二分されているらしい。
ネズミの増殖を抑えるために王都で街ぐるみで飼われている犬たちだが、確かにその目論見が始まった頃はそれで良かった。
犬や猫にとってネズミなど餌かオモチャにしかならない。普通に生活しているだけでネズミは数を減らしていく。
その様子を見た人間たちからは餌を貰え、雨風を凌げる塒を貸し与えられた。
しかし、ネズミも何もないところから突然増えるわけではない。親ネズミが雌雄一匹ずついて、初めて数を増やすことが出来るのだ。そのため王都という広い範囲で一定の数まで減ってしまえば、ネズミ同士の出会いの場が減り、いつかは何もしなくても緩やかに絶滅に向かう時が来てしまう。
王都のネズミは、とうにその限界点を越えていた。
今、王都でネズミの姿を見かける事はない。つまり、野良の犬や猫の仕事が無くなりつつあるということだ。
怠惰な猫と違い誇り高き種族である犬にとって、王都という巨大な群れの中で、何の仕事もせずにただのうのうと餌だけを貰い生きていく事は耐え難い屈辱だった。
老犬率いる穏健派は、これまで通りネズミへの抑止力としてただ在り続ける事を望んだ。
それこそがこの街における犬と猫に求められている役割だからだ。
仕事など無くてもいい。
敢えてそのような事をせずとも、犬たちはただそこに在るだけで立派にお役目は果たしている。それだけで、王都の警備を一手に担っているのだ。
働く必要などない。働かないことで王都の衛生を守る。
それが本来求められていた、王都警備犬の正しい姿である。
一方の急進派と呼ばれる犬たちは、仕事を求めて貴族街へと散って行った。
若く才能ある犬たちは、その屈辱に耐えきれなかったのだ。
ある犬は貴族の屋敷を警護する仕事を請け。
またある犬は陰謀渦巻く貴族社会に疲れた貴族を癒やす仕事を請けた。
そうして貴族社会で仕事を得、その対価として日々の糧や塒を得た。
急進派の犬たちは言った。
働かずに食う餌はうまいのかと。
穏健派の犬たちは言った。
餌の味など気にするなど、人間に甘やかされて野生の心を忘れたのかと。
以来、2つの派閥の主張は平行線を辿り、互いに相容れない勢力として、貴族街と平民街を隔てる壁を境に反目しあっているのだと言う。
若い犬が言うには、その急進派の犬たちが「仔犬のうちから堕落した生活をしていてはロクな成犬に育たない」と言い張り、老犬が面倒を見ていた子供を一匹貴族街へと連れ去ってしまったらしい。
「……ばう」
──お主の姿は、見覚えのないものだった。王都の生まれでない、つまりどこぞの貴族が領地から連れてきた犬なのだろうと思った。他所から王都に逃げのびてきた犬にしては、綺麗な毛並みをしとるからの……。
儂も、元より貴族に飼われている犬には何も言わん。じゃが、王都の犬には王都の犬の生き方があるのだ。いくら働きたいと言っても、それを曲げてまで働くことは許されん。だからこそ、人も犬も、あの壁を越えるべきではないのだ……。
「わんわん!」
──いや、呑気に話してる場合か、長老! このままじゃ、このままじゃチビが……! チビが働き者になっちまう!
「……ばふぅ」
──チビか……。あの子も、幼いとは言え誇り高き王都の犬。真に自分がどう在るべきかは、自分で判断するじゃろう。帰ってくればそれでよし。帰ってこなくば……。まあ、それもよし。その場合、どこかで働き口を見つけたということだからの。
「……わん」
──ちくしょう……。今はチビを信じて待つしかねえってことか……。
うなだれる2匹の犬を見るビアンカは複雑な気持ちだった。
どちらの言い分も間違ってはいないように思える。
働かずに生きていけるのならそれが一番いいことだ。
これは主人や、主人の一の子分も時々言っている。
ビアンカたちの仕事は主人の護衛だ。ならば彼らが暇である状態こそが理想なのだと。
しかし犬の本能として、もっと役に立ちたいという意識は理解できる。
実際ビアンカも、本来であれば決して許されない事なのだが、主人と話す貴族たちが突然攻撃を仕掛けてきたりしないだろうかと考えた事もあった。幸か不幸か、そんな事は無かったが。
穏健派と急進派、どちらの気持ちもわかる。
では、今ビアンカはどちらを支持するべきだろうか。
ここに何をしに来たのか。それを思い出すべきだ。
工場の警備の仕事を頼むのであれば、穏健派に無理にお願いするわけにはいかない。彼らには彼らの矜持があるのだ。
老犬の今の言い分からしても、急進派や急進派に攫われた仔犬が仕事を得たとしても、特にそれを咎めようという意思は見られない。
各々の判断は尊重したいと思っているのだろう。
いやあるいは、仲間の仲裁という仕事でさえも行なうべきではないと考えているのか。
「わふ」
──こう見えても、私は貴族街にはよく行っている。もしよければだが、そのチビ氏、私に任せていただけないだろうか。何、悪いようにはしない。急進派に付いていくにしろ、ここに戻ってくるにしろ、本人が正しく判断するための情報は必要だろう。ご老犬の考えは私が伝えよう。もちろん、それらとは別に私の事情も伝えさせてもらうが。
「ばう」
──いや、駄目に決まっとるじゃろ。マルゴーだけは絶対あかん。
「……わふん」




