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エーファの飼い猫、アンバードラゴンに聞いた、下水道への入口にネラは来ていた。
その入口は貴族街にある公園とかいう空き地の中にあった。おそらく下水道のメンテナンス用とかそういうものだろう。下水道とは排水を流すための設備だと言うことだから、人間が頻繁に用がある場所とは思えない。それに、かなり嫌な匂いも漂ってくる。そうした理由から、貴族たちの屋敷の近くに作れず、広い土地の余っている公園に作られているのだろう。
いや、逆か。下水道の入口を作ったから周辺に誰も屋敷を建てなくなり、結果的に空き地が出来たのかもしれない。
そうして空いた土地を仕方なく国が買い上げ、木などを植えて体裁だけ整えたのだろう。「公」園とはよく言ったものだ。
巧妙に木々に隠され見えなくなっている入口を覗きこむ。
周囲には下草が生えているが、人間の踏み跡もある。定期的に人が入っているようだ。しかし公園の景観のために周囲は木々に囲まれているので、下草を刈り込んだりといった手間はかけられていない。
下草の踏まれ具合からすると、ここに入る人間はさぞ足元が汚れてしまう事だろうとは思うが、貴族がそのような事をするとは思えない。学園や貴族街を見ていて、これまで足元がことさらに汚れている貴族など居なかった。何しろ普段は主人のスカートの中にいるので、人間たちの足元だけはよく見えるのだ。
そう考えていたのだが、入口を覗きこんでわかった。
かなり不快な匂いがする。
これは貴族では耐えられまい。彼らはきっと五感も優れているだろうし。
となると、この入口から下水道に入り、メンテナンスをしているのは平民だろう。
ネズミが居るというのに五感に優れる貴族が誰も気付きもしなかったのはそのせいだ。
しかし漂ってくるのは不快な下水の匂いだけではない。
──この匂いは……。
ネラも嗅いだことがある。
これは主人とともに赴いた魔大陸とやらいう場所で嗅いだ、あの匂い。そして聖シェキナ神国に攻めて来ていた鱗と尻尾がある二足歩行のネズミからも微かにしていたあの匂いだ。
主人と決して相容れない、薄気味悪い緑の光。その残滓がここから漂ってくる。
不遜にも交換条件を持ち出してきたアンバードラゴンには少々の苛立ちを覚えていたが、これならば引き受けてやったのは良い判断だったかもしれない。
もちろんネラの主人であれば、いつかこの事に気付いて対処をしていただろうが、先んじて解決出来るのならばしておくに越したことはない。
──これもひとえに主人の手間を減らすため。ひいては「自由」のため。
ネラは下水に飛び込んだ。
と言っても本当に飛び込んだわけではない。入口はさすがに鉄の格子戸で封じられている。
しかし猫が人間より優れている点のひとつに、頭さえ通れる隙間があれば通行が可能だというものがある。まあそれもあくまで一般的な猫の話で、アンバードラゴンのように沢山の栄養を蓄えてしまえば話は別だが。
鉄の格子はそれなりに狭いが、仔猫サイズのネラの頭が通らない程ではない。
ぬるり、と音もなく下水に降り立つネラ。
下水道は下水が流れる場所とは別に一段高い位置に人間用の通路のようなものがある。
通路と言っても切り出した石を敷き詰めただけのものなので、所々に下水が滲み出し異臭を放つ汚れがあるが、歩く分には問題ない。
その通路を、気に障る匂いを辿りながら歩いてゆく。
アンバードラゴンの言ったネズミとやらがどこにいるのかは聞いていないが、この匂いを辿っていけば見つけることが出来るはずだ。
下水道には何箇所か、上部に穴が空いている。そしてそこから稀に汚水が流れてきていた。おそらく穴の上には貴族の屋敷があるのだろう。
そして貴族の屋敷に仕える猫や犬たちは、下水に通じるそうした穴からネズミの気配を嗅ぎ取ったに違いない。
これまでネラより嗅覚に鋭いビアンカや主人が気が付かなかったのは、マルゴーの屋敷に下水が通っていないからだ。貴族街から外れたあの屋敷では、排水は全て汲取式で平民用の処理場に運ばれている。
音もなく、どころか、空気すら動かさずにネラは下水の道をゆく。
この程度、周囲の魔素を魔イナスイオ素に変換して空間を掌握すれば造作もないことだ。
魔素を魔イナスイオ素に変換するやり方は、主人の子分の一つ目が作ったカラクリを見て覚えた。天井に張り付くよりは簡単だった。
そうして自分自身の気配と痕跡を完全に隠蔽しながら進んでいくと、やがて不快な匂いが強い場所が近付いてきた。
──ここか。
それまで整然ととは言わないまでもそれなりには並んでいた石が、そこだけ崩れている。
少し前に起きたという地面の揺れ。その影響だろう。
その揺れ自体はネラには覚えがないので、おそらくは主人とともに国を離れていた時の事だ。しかし主人が国を離れていたタイミングで地面が揺れたというのであれば、ネラにも心当たりがないでもない。
そう、主人が愚かな鱗付きたちに天罰を下したあの一撃だ。
あの衝撃はこのネラをもってしても、尻尾の毛が全て逆立ってしまうほど恐ろしいものだった。
正直、ボンジリやビアンカが隣に居なければ、あのように立つことは出来なかったと思う。
遠く離れたインテリオラの、地下の下水に積まれた石が崩れてしまったとしても何ら不思議はない。
──さて。猫さえ恐れるネズミとやら、拝ませてもらおうか。
琥珀竜アンバードラゴン(♂)去勢済み
命名、エーファお嬢様
屋敷の人々からは「アンちゃん」と呼ばれ親しまれているとか何とか(雑
※前話のあとがきにて「マルゴリズム」と書きましたが、マルゴーの綴りは「margo」ですので、正しくはマルゴイズムになるかと思われます。
お詫びして訂正いたします。




