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しかし、ルーサーが信頼していると言っていた相手はユージーンだったのか。
教師たちともうまくやっているようではあったが、信頼すると言えるほどの関係性を構築するには時間が足りないのではと思ってはいたのだ。信頼できる相手というのがユージーンだったのなら納得だ。
信頼が揺らいでいるとか言っていた理由は不明だが、きっとパーティ内の人間関係の問題とかだろう。方向性の違いとか。
グループでの方向性の違いと言うと大抵は金銭的なトラブルなので、それについては父に相談して報酬や手当を増額してもらってほしい。何なら私から口添えしてもいい。
なぜ兄とユージーンがこんなところでヒーローごっこをしているのかはわからないが、それは後で聞くとしよう。何か普段の生活でストレスでも溜まっているのかもしれない。
ともかく、不審人物と目されていたのが2人とも私の知り合いだったのは僥倖だ。
これで懸念は魔物だけになる。
しかもその原因と思われる場所の特定も終わっており、これから次兄フリッツがそこへ向かうという。
もはや事件は解決したも同然だ。
とはいえ、である。
仮面の貴公子と仮面の闘士が信頼できる人物だとわかっているのはここでは私とルーサーだけだ。ルーサーと次兄に面識があったとは知らなかったが、兄はユージーンと行動しているようだし多分知り合いだったのだろう。
しかしフランツやゲルハルトは彼らの正体を知らない。
兄とユージーンがなぜ顔を隠して行動しているのかはわからないものの、何か知られたくない事情があるからなのは間違いない。
ならばここは私も知らない人だという体で話をするしかないが、そんな人物にホイホイついていくのを彼らは許してくれるだろうか。
「──ええと、スペクルムさんとムスクルスさん、と言いましたね」
「仮面の貴公子、鏡のスペクルムだよ」
「……え、あ、俺も言うのか? あー、仮面の闘士、力のムスクルスだ」
呼びかけたフランツの言葉を2人は訂正した。ネーミングにはこだわりがあるらしい。わかる。美学というのはそういうものだ。
「……では、鏡のスペクルムさんと力のムスクルスさんは、先ほどこれから事態の収拾に向かう、とおっしゃっていましたね。
貴方がたには感謝していますが、かといって全面的に信用してお任せするというわけにはまいりません。
邪魔はしないと約束しますので、どうか私も連れて行ってはくれませんか」
「待って下さいフランツ先生。こんな超絶怪しい者たちに、先生おひとりだけを同行させるわけにはいきません。僕も行きます」
ルーサーがそう言って待ったをかけた。
信頼する仲間であるユージーンに向かって「超絶怪しい」などと言い放つのは断腸の思いだったろうに、よく言ってくれた。いや今は金銭で揉めているんだったか。
なんでもいいが、ここは乗るしかない。
「もちろん、私もお供します。私も原因に心当たりがありますし、責任ある貴族の娘としてこの目で確認しておくべきだと考えます。
それに、戦力的に考えてもここでチームを分断するべきではないと思います」
フランツは当然渋い顔をした。が、いたずらに戦力を分けるのは良くないという意見は無視できないようで、すぐに否定はされなかった。
そこへ意外な援護射撃が放たれた。
「わ、わたくしもその、鏡のスペクルム様に同行すべきだと、思いますわ! 王都近郊は国王陛下のお膝元。そのような場所でこのような騒ぎが起きたとなれば、陛下の威光に泥を塗りかねません。
国家に仕える法衣貴族の娘として、わたくしにも見届ける義務があります!」
縦ロールが美しい侯爵令嬢、ユールヒェンだ。
法衣貴族というが、官職は世襲しないので娘の彼女には何の義務もない。
しかしせっかくの援護だ。突っ込んでもいい事はないので私は黙っていた。
正直に言えば彼女や彼女の取り巻きたちを連れて行くのは危険ではある。しかしここにはユージーンにルーサー、極めつけに我が兄フリッツもいるのだ。
前回現れたような一般兵など物の数ではないし、兄は以前にマルゴーのゴブリンキングを単独で討伐したとか自慢していた。それなら多少強化された魔物が現れたところで問題あるまい。
「──私も全員で彼らに同行する意見に賛成です、フランツ先生。彼らを信用できないのはわかりますが、だからこそ、周辺の魔物は片付けたという申告も鵜呑みにするのは危険だ。ミセリア嬢の言う通り、ここでバラバラに行動するのは避けた方がいいと思います」
ゲルハルトはそう言い、私に向けてウィンクをしてきた。
よく言ってくれた、と言ってやりたい気持ちが急にしぼんだ。今そういうのいいから。
しかし学生会長である彼のこの意見が決め手となったか、フランツも折れ、全員で仮面の貴公子たちに付いて行く事になった。
私も言っておいてなんだが、そもそも仮面サイドの了承は全く得ずに好き勝手話し合っていたのだが、いいのだろうか。
スペクルムを見ると私の方しか見ていないし、ムスクルスは諦めたように肩を竦めているし、特に断られないということは問題ないのかもしれないが。
◇
仮面の2人の先導に従い、森をさらに奥へと進んでゆく。
すでに日は完全に暮れてしまっており、月や星の明かりも届かない木々の下は完全な闇に包まれている。
灯りをつけたいのは山々だが、もしこの混乱を画策した黒幕がいる場合、こちらの存在をわざわざ知らせる事になる。
不便だが、暗闇のまま進むしかない。
にもかかわらず、先頭の2人は視界も悪いだろう仮面をつけているというのに、迷いのない足取りで歩みを進めている。
鍛え上げられた繊細な感覚によって森の詳細な情報を得る事が出来るのだろう。そういう能力に長けていなければマルゴーの森で戦う事など出来ない、とか父に聞いたような気がする。
さすがは我が兄と我が傭兵ユージーンだ。まあ今ユージーンを雇っているのは私ではないが。
しかし、だとしたら彼は誰に雇われているのだろう。フリッツだろうか。というか、ユージーンは視界どころか鼻や耳までヘルメットに覆われているというのに外部の情報を繊細に得るなんて出来るものなのだろうか。
私やグレーテルは常識人なので、そんな非常識な知覚能力は持っていない。
同じく森に慣れているらしいルーサーに私が手を引いてもらい、グレーテルはその私の手を頼りにゆっくりと歩いている。やはりルーサーは治癒士というよりレンジャーだろう。
ユールヒェンは同様にフランツに手を引いてもらっている。この森には毎年実習に来ているだけあってか、彼も教師としてそうしたレンジャー技能にも長けているようだ。
そのため一行が進む速度は遅い。
しかし強引に同行した私たちのせいで行軍速度が遅れているというのに、フリッツ仮面は文句ひとつ言わない。
それどころか、時おりこちらを振り返って心配している様子さえ見せている。
さすがは我が兄、懐の深さも美しい。
「……ねえ、その、ちょくちょくドヤ顔するのやめてもらっていい? 何かむかむかするんだけど」
「……あ、すみません、つい」
「……ったく。どんだけお兄ちゃん好きなのよ……。顔が良ければ誰でもいいってわけ……?」
手をつないでいる私にさえ聞こえるかどうかというか細い声だった。
もちろん、顔さえ良ければ誰でもいいなんてことはない。
容姿の美しさは重要だが、それ以上に内面の美しさも重要だ。
私個人の価値観で言えば、そこにさらに親しみやすさも含めた友好度のようなものも判断基準になっている。
兄については家族であるし過ごした時間も長いので友好度は言うまでもないが、グレーテルについても私と似た境遇で対等な友人という唯一無二の存在である。この辺りに関してはむしろ容姿は関係ないとさえ言えるだろう。
グレーテルと私は最初こそお互い親に言われた政略的な友人関係でしかなかったかもしれないが、今ではそうした思惑を超えた真の友情を育むことができている。少なくとも私はそう思っている。
「……誰でもいいなんて事はありませんよ、グレーテル。私にとって貴女はかけがえのない人です。貴女の容姿が例えどうであったとしても、それは変わる事はありません」
「……っ! そっ……! ま、まあいいわ……」
「──あーごほん! んんっ!」
前の方から兄の咳払いがした。
暗闇の中、実際に光っているわけではないにしろ兄はキラキラしているし、羽虫でも寄ってきて吸い込んでしまったのかもしれない。
「そろそろ、目的地も近い。私語は慎んでくれたまえ」
「……いやアンタの咳が一番うるせえだろ……」
ツッコミに見せかけてさりげなく庇ってくれたユージーンの気遣いはありがたいが、小声とはいえこの状況での私語は確かによくない。素直に兄の言う通り静かにすることにした。
そしてほどなく、森の木々が途切れ、開けた場所に出た。
なぜ森の奥にこんな場所が、と思い足元を見ると、月明かりに切り株のようなものが照らされていた。
この開けた場所は何者かが人為的に用意した物のようだ。
フランツを見るが彼も怪訝そうな顔をして切り株を見ている。学園の用意した物というわけではないらしい。
ということは、黒幕は騎士団の調査の後、そして野外学習が始まる前までの間にこれだけの木を切り倒し、場所を用意出来るだけの力を持っている事になる。
薄暗い中だが、切り株の断面はどれも滑らかに見える。
私は林業には詳しくないので正確な事は言えないが、斧というよりはまるで尋常ならざる剣技でもって一太刀で斬り倒したかのような痕だ。
つまり犯人はそれだけの技を持った手錬れ。もしくは常識外れに腕のいい木こりだ。
そして切り株広場の中央付近にはやはり、いつか見た瘴気の渦がふたつ浮かんでいた。
魔物の泉だ。
そのふたつの泉の真ん中に人影があった。
俯いており顔は見えないが、人影は私たちに声を掛けてきた。
「──これはこれは、団体のお客様がいらしたな。我々が呼んだのはこんな大人数ではなかったんだが……。まあいいか。余計な分は減らせばいいだけだ」




