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エステフルコースを振る舞うことにしたので、『正義』は一旦診察台から下ろした。
エステは結構身体中弄くり回すし時間もかかるので、そうした概念がないこの世界でいきなりフルコースを体験させるのは実はハードルが高い。自我を喪失している状態の方がやりやすいのだ。
本来ならばカウンセリングも同時に行ない、相手の悩みや要望に合った施術をするのがセオリーなのだが、この世界では美容に関する悩みを明確に持っている人間などほとんどいないだろう。ならば聞いても聞かなくても同じだ。
良かれと思って許可を出したエステのせいで治療が遅れてしまう事に罪悪感を覚えてか、『死神』が微妙な顔をしていた。
『正義』をアマンダに担がせ、エステ室に向かう。
エステ室と言っても、まだエステティシャンがアマンダと私しかいないので、正式な部屋ではない。清潔にした空き部屋に簡易ベッドを持ち込み、各種魔導具を設置しただけである。エステは当商会ではまだビジネスとして展開できるほど成熟していない技術なのだ。
まあ当商会では、というか、他でも聞いたこともない概念だが。
『正義』は自失状態の中、生命維持に最低限必要な食事しかしていなかったようで、鎧と服を脱がせるとかなり痩せてしまっていた。
筋肉も衰え、脇腹には肋骨が浮いている。
髪もパサパサでキューティクルが全く無く、肌も潤いを失いカサカサになっていた。
「あ、それは元からです。そういう事に無頓着な奴でしたから」
「え、そうなのですか。素材はいいのにもったいないですね」
インベルが教えてくれた。執事見習いのつもりで私の助手をしてくれているのだが、冷静に考えたら男性の彼が全身エステのサポートにつくって色々問題がある気がする。
と、一瞬思ったが私もアマンダも生物学的には男性だった。なら問題ないな。
インベルの左腕もちゃんと小型化されており、今は服の下に手甲をつけている変わった人にしか見えない。動きも滑らかだし、あれを義手だと思う人間はいないだろう。何せ脳波コントロール出来るので、義手側の制御系で悩む必要がないので楽なのだ。ただ、脳波を伝えるために例のゴーグル型のサングラスが外せないので、そこだけは難点ではある。
◇
「──やっと終わったか。ようやく治療が始められるな」
私たちがエステ室から出てくると、『死神』が立ち上がり、診察台を準備しだした。
「いえ、申し訳ありませんが、それはもう使いません」
「……どういうことだ。治療するのではないのか」
「エステコースの中に毛穴吸引も入っておりますから、もう終わってしまいました。
さあ、ご覧ください。生まれ変わった『正義』さんです」
私の後に続いて出てきた人物を見て、『死神』が絶句した。
「……性別が変わっている……」
「見りゃわかんでしょ、アンタ馬鹿なの?」
アマンダだった。
「わかっている。冗談だ」
「……ぶっ飛ばされたいの?」
おっと、私の私用使用人も随分面白くなってきたな。
似合わない冗談を言った『死神』はしかし、アマンダの後に出てきた『正義』を見て今度こそ本当に絶句した。
光を弾いて流れる淡い色の金髪は、私の色に似ているだろうか。
磨き抜かれたその肌はしっとりとした質感ながらも陶器のように艷やかであり、荒れた部分はもちろんシミやうぶ毛なども一切見当たらない。
男性並みの長身に騎士服に似た黒い衣装を纏い、姿勢良く立つ様子は、まるで一枚の絵画のようだ。
私が言うことではないが、性別を超越した美しさがそこにはあった。
本来、一度のエステでここまでにはならない。何回も、そして何ヶ月、何年もかけ、ゆっくりと髪や肌の輝きを取り戻し、あるいは磨き上げていかなければならない。
でもそれも面倒だな、と思っていたら一回で綺麗になった。
魔イナスイオ素、と名前を付けたせいか、昔よりも生活の自由度が上がってきている気がする。自由度が上がるという事は進化しているという事だ。これは前世のプラモデルの関節の件を考えれば明らかだ。
「──『死神』殿か。貴殿が私をこちらへ連れてきてくれたと聞いた。感謝している」
「……そ、そんなに流暢に話せたのか」
「ああ。以前の私は会話というものに価値を感じていなかったからな。重要なのは正しいかどうかだけ。そして、正しさを認めさせるには強くあらねばならない。ゆえに、強さこそが全て。それが私だった」
「い、今は違うのか……?」
「もちろんだ。私のこの姿を見ればわかるだろう?」
『正義』はそう言うとその場でくるりとターンをしてみせた。
長い髪と上着の裾がふわりと舞う。
「……いや、わかんねえけど全然」
『悪魔』がジト目で突っ込む。なぜわからないのだろう。それでも私の部下なのか。
「ミセリア様のお力によって、私は真理に到達した。そう──美しいは正義だと」
『正義』はそのまま演説を続けた。
正しいとは何なのか。いかに突き詰めて考えようとも、そこに普遍性はなく、語るものの立場や状況によって何が正しいのかは容易に変質してしまう。この世に絶対的な正しさなどなく、ならば何を以て正義を成せばいいのかなど誰にもわからない。
美しさは違う。
もちろん、個々人によって嗜好の差はある。
しかし、真に美しさを極めようと精進し、その道を邁進したのならば、それがたとえ嗜好から外れていたとしても、人の心を打つ事はある。
美術品。
歴史に名を残す名剣。
大自然が織りなす悠然たる景色。
日常を彩る小さいながらも可憐な花。
そして、世界一美しい令嬢。
みんな違って、みんないいのだ。
ゆえに、この世にもしも普遍的な正義があるのだとしたら、それは美しさに他ならない。
と、そんなような事を話していた。
至言である。名演説だな。
ちなみに、彼女は私の騎士になると言っていた。マルゴー家が抱えている戦力は職業的な軍隊に近いので騎士団は持っていないのだが、『正義』が言っているのは要するにボディガード的なやつのことだろう。
『戦車』も『剛毅』もいないのならば、結社の関係者の中で純粋な戦闘力最強は『正義』になるらしい。へえ。
私は貴族令嬢で自前の商会長で商業ギルド理事であと学生なので、別に戦闘力とかが必要になる場面は無いと思うのだが、まあ他に出来る事もなさそうなので雇う事にした。彼女の元の雇い主──雇用契約や賃金は無かったが──のインベルもウチにいるし。




