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「直接診察してみないことにはなんとも言えませんね。あるいは何か、毒素を抜くための医療機器のようなものが必要になるかも知れませんし」
「毒素って言っちゃってるじゃないもう」
「間違えました。魔イナスイオ素でした」
普通の魔素ならそこらに満ちているので、魔イナスイオ素を魔素に変換できれば問題無さそうではある。あれは人類には無害なものだ。
というか、魔イナスイオ素も我が社の製品から普通にたくさん散布されているので無害なはずだと思うのだが、何が違うのだろう。
グレーテルの邪な意思が混じってしまったせいだろうか。やはり黒幕はグレーテルだった。
「何考えてるのか知らないけれど、タベルナリウス商会で売ってる薪とやらは私はノータッチよ。全部貴女の仕業でしょ」
「薪だけならば問題なかったはずです。薪の炎と加湿器の霧が合わさってしまったことで発生した悲劇でしょう」
「……いえ、薪だけ見ていた『教皇』と『正義』も私の言うことを聞かなくなっていたので、決して問題がなかったわけでは」
「それは違いますよ、インベル。
そもそも、他人が自分の言うことを聞いてくれると考えるほうが本来おかしいのです。皆、それぞれが確固たる人格を持った人間なのです。考え方も違って当たり前。言うことを聞かない方が自然なのです。
これが例えば、金銭などによって雇用契約を結んでいるのでしたら話は別ですが、そういう事はあったのですか?」
「……一応、秘密結社の残党でしたので、給料とかは特には……」
「なんということでしょう。でしたら『教皇』さんたちが指示を聞かなくても当然です。無給で働かせるだなんて、とんだブラックですよ」
うちはそんなことはないので安心して欲しい。
インベルが執事見習いとして教育を受けている間にもきちんと給料は発生するし、時期が来ればボーナスも出る。有給休暇もある。
また福利厚生の一環と技術開発も兼ねて、インベルの義手の小型化の研究も行なう事になるだろう。もちろんインベルに費用を請求するような事はない。その代わり失敗しても補償は出ないが。
「ていうかよ、直接見るってことは、またメリディエス王都に潜入すんのかよ」
ちゃんと給料を貰っているはずの『悪魔』がげんなりした様子で言った。
彼に関しては給料分は働いて欲しいところだ。
今回の件で彼がやったことと言えば、旧友に忘れ去られた事を逆恨みして片腕を切り落としたくらいである。本当に何してるの。
「そう言うな。お前だってあの『正義』の様子を見れば、何とかしてやりたいと考えるはずだ」
「俺あんまりあいつらに良い思い出ねえからなあ……」
また『悪魔』の陰の気が出ている。そんな事言ってるから陽キャに忘れられるんだぞ。
「とりあえず、出張手当は別途出しますよ。急ぐかゆっくり行くかはお任せします。その間に私はクロウと魔イナスイオ素中和装置の開発をすることにします」
「……中和出来るの? あれ」
「最悪の場合、すでに吸入した魔イナスイオ素の影響を打ち消す効果の魔イナスイオ素を注入します」
「余計まずいことになりそうな気がするけれど……」
「余計まずいことになったら、まずい事態をいい感じにしてしまうようにお祈りしますから大丈夫です」
『悪魔』たちが再びメリディエスに旅立つと、私とクロウは早速装置の開発に取り掛かった。
と言いたいところだが、その前に動きづらそうなインベルの左腕の軽量化からだ。
まだ見ぬ『正義』たちよりも目の前の従業員を優先するのは当たり前の話である。
現在インベルにセットされているアームはオレンジ色で、これは産業用ロボットと言えばこの色という私の先入観から来ている。
彼は黒い執事服を着ているので、このコントラストは非常に目立つ。オオスズメバチかな。
出来れば義手をセットした状態で普通に衣服が着られるようなサイズまで小型化してやりたいところだ。
魔石の生み出すエネルギーはかなり大きいので、小型の魔導サーボモーターでもそれなりのトルクは期待出来る。何も金属製品をバリバリ加工できるような力など必要ない。また精度についても同じことが言える。1/1000ミリ単位で軸を動かせたからと言って何になるというのか。それ以前に土台となっているインベルが普通の人間なので、腕だけ精度良く動いても結局ブレてしまうわけだが。
「しかし、サーボを小さくすると主軸の高速回転が出来なくなるぞ。それに無理に小型化するとギアボックスをオミットせざるを得なくなる。必要なトルクが確保できなくなってしまう」
「いえ、そもそも回転主軸が不必要なのでは。というかクロウだって自分で言ってたじゃないですか」
なんだ必要なトルクが確保できなくなってしまうって。
「……あの、申し訳ありません。私では話についていけないのですが、それはもしやこの義手のドリルが無くなってしまうというお話ですか?」
「その通りです。インベルの腕が使いづらいのはひとえにその機能のせいですから、それを無くして普通のサイズか、少し細いサイズの義手に改良するつもりです」
現状の技術力では義手はどうしても金属部品がメインになる。当然無事な右腕よりも重くなるので、なるべく細くして左右でバランスが取れるようにしてやりたい。
「……そのお気持ちはありがたいのですが……私としましては、この回転機能は出来れば残していただきたく……」
「え。いるんですかそれ。というか、回転機能って主軸が回転する機能の事なのか肘の部分でアタッチメントを切り替えられる機構の事なのかどっちですか」
インベルの腕は肘の部分で回転し、ロボットアームと回転主軸を切り替える事が出来るのだ。いや、だから何だって話だが。
「普通のアームも必要ですので、両方……ですかね」
「ええ……。何に使うんですか回転主軸……」
執事になるんですよね貴方。
「それはその……ワインのコルクを抜くときとか」
手で回せよ。
結局、クロウが苦労して一通りの機構の小型化に挑戦する事になった。
インベルの義手はしばらくはあの大型のままという事になったので、急拵えで接地部分にコロをつけて引きずらなくてもいいように改良した。肘をうまく回転させれば前腕部に足を乗せて車輪で移動する事も可能だ。
わかりやすく言うと、腕から生えたキックボードで移動するみたいなものである。
わかりにくく言うと、工場勤務の夜勤者が夜中上司が居ないのをいい事にパレットリフターに乗って通路を爆走して遊ぶようなものである。安全確認ヨシじゃナシ。
ちなみに毒抜き魔導具は小型化の研究の片手間に私とクロウとで完成させておいた。
これは今回の件が落ち着いたら新商品の魔導毛穴吸引器として売り出す予定だ。
問題は毛穴から魔イナスイオ素が抜けるのかどうかという点だけである。




