3-8
現れた人影は、森の中だというのにどこかのパーティ会場と勘違いしているのではと言わんばかりの豪奢な礼服を身に纏っていた。
そこかしこがこれでもかと華美に金糸に彩られ、この闇の中でひとりだけきらきら光っている。
いやいかに貴金属糸とは言え光源も無いのに光るわけが、とよく見てみれば、零れ落ちる光からは魔法の力を感じた。きらきらして見えるのは物理的な光というより、魔法の力を感じ取れるらしい私の目にそう見えているだけだ。
どうやらあの金糸はただの貴金属ではなく、何らかの魔法金属が混ぜられた金属糸らしい。この服一着仕立てるだけで一体いくらかかるというのだろう。
それだけでもあり得ない場違いさだが、極めつけにその人物の顔の上半分は仮面に覆われていた。話に聞く仮面舞踏会で参加者が身に付けるようなあれである。
その人物は私たちの方を振り返ると言った。
「──おっと。僕に見惚れるのは分かるが、それは後にした方がいい。今は少々騒がしいからね。それと、もしこの僕が美しく見えるのなら、それは貴女が美しいからに他ならない。何故なら僕は鏡。この世の美しきものを映し出す鏡。仮面の貴公子スペクルムだからね」
仮面をしているせいでどこを見ているのか全く分からないのだが、何故か私に言っているのだろう事がわかった。
グレーテルが耳を寄せ、私に囁く。
「……ただでさえ魔物がたくさんいてヤバいってのに、さらにヤバいのが現れたみたいね。あれがフランツ先生が言ってた変質者で間違いないわ。見たらわかるやつだわこれ」
「……変質者、かどうかはともかく、不審人物である事は間違いないでしょう。ですが、魔物と敵対しているという話ですし、敵ではないのも間違いないと思いますが」
「……敵じゃなさそうなのは私も【直感】でわかるけど、敵じゃないなら何してもいいってわけでもないでしょ。限度あるわよ」
それは確かにそうかもしれない。
しかし、狙い澄ましたかのようなタイミングで現れた事。
そしてあの、今それ言う必要あるのと言いたくなるほどの長ったらしい前口上。
さらにこの、とても真面目に戦う気があるのか疑わしい姿格好。
まるで物語のヒーローか何かだ。
まあヒーローは物語の中だからこそ格好良く描かれているのであって、現実で見せつけられるとそのテンションに付いていくのは難しいものだが。
だからこそ変質者呼ばわりされてしまっているのだろう。
しかし、前世においておそらくそれなりの年月を生きていた私であれば、理解するのも容易である。
ヒーローとはつまり、ある程度決まった型のようなものがあり、それに沿ってオーディエンスを楽しませつつ事件も解決するという、言わばある種のショーのような物なのだ。
私はそこに、確かに美の芳香を嗅ぎ取っていた。
そう、様式美という名の美の香りを。
「……正直、ちょっとだけかっこいいです、お兄様……」
「……え!? 貴女ああいうのが好みなの!? っていうか、今お兄様って……」
鼻から上は仮面で隠されてしまっているが、あの口元や顎のラインには見覚えがある。さらさらな金髪もだ。私は一度見た美しいものを忘れることはない。
「……顔や名前を隠していらっしゃるという事は、おそらく正体を隠すおつもりなのでしょう。でしたら大きな声で言うわけにはまいりませんが、間違いなくあれは私の二番目のお兄様です」
「……見たところ、あの仮面は認識阻害の効果がある魔導具みたいなんだけど、何でミセルはわかったの……?
ま、まあ素性の知れない変質者が身元のしっかりした変質者に格上げされたのは素直に喜ばしい事ね。
ていうかマルゴーってあんなものまで普及してるの? 単純な視覚や聴覚じゃなくて認識そのものを歪めるような魔導具だなんて、聞いた事もないわ。どんな技術よ……」
認識阻害の魔導具。
その割には私の目には仮面以外の部分も詳細に見分けられる。
実は、私に対してはいくつかのスキルや魔法が効果を発揮しないらしい事はわかっている。父ライオネルの放つ【威圧】や長兄ハインツの【支配】などがそうだ。実力差を考えれば私が抵抗できるはずがないのだが、私はそれらのスキルを受けても何の影響も受けずに行動できる。
認識阻害の効果を受けた事はないのでわからないが、それもそのひとつかもしれない。
美しい私の眼を曇らせる事など何人たりとも出来はしない、というわけだ。そう考えれば納得もいく。
「……それにしても、こんな短時間でまさか二度も親の顔が見てみたいって思わされるなんて……」
「……言うまでもありませんが、お兄様の両親も美しいですよ。私と同じ両親ですし」
しかし、次兄フリッツは小遣いのほとんどを私へのプレゼントに使っていたと記憶していたのだが、あれほどの衣装をどうやって調達したのだろう。
衣装もそうだが、魔導具であるならあの仮面も相当な逸品のはずだ。
まとめて揃えようと思えば小さめの商会なら軽く吹き飛ぶ金額はするだろう。
兄の実力ならばマルゴーの魔の領域でいくらでも稼げるとは思うが、領主の息子が堂々と傭兵の真似ごとをするのは外聞が悪いと父に止められていたはずだが。
もしかしてそのための認識阻害の仮面なのだろうか。つまり、これまでも正体を隠して傭兵として働いていたのかもしれない。
「おい、フ──スペクルム様よ。格好つけるのはいいが、魔物は待っちゃくれねえぜ」
さらに、闇の中からもうひとり仮面の人物が現れた。
両手にはそれぞれコボルトモドキの死体を掴んで引きずっている。奥で始末してきたのだろう。
こちらは顔の上半分どころか、頭部の全てが仮面に覆われていた。もはや仮面と言うよりヘルメットだ。
全身にぴたりと貼り付く、ヘルメットと同じ赤色の薄手の衣装には筋肉が盛り上がっており、それを見た私が連想したのは「強引に戦隊ヒーローの格好をしたボディビルダー」だった。これで全身緑色だったらマジでグリーンだったのだが。
顔は全く見えないものの、その筋肉の張りにはやはり覚えがあるものだった。以前にしがみ付いた事があったからだ。一度見た美しいものを忘れない私である。当然肉体美もその範疇である。
それはお仲間であるルーサーも同様らしく、誰にも聞こえないように「……ああ、やっぱり……。何をやってるんだあいつは……」とうなだれていた。あるいは筋肉ではなく声で判断したのかもしれない。
ということは、こちらの仮面には認識阻害やらの効果はないらしい。デザインの方向性も違うし、兄の衣装とは別で用意された物かもしれない。
しかしなるほど、と思った。
私はそこまで忌避感はないが、男性がことさらに筋肉を主張するのを疎む風潮がある事は知っている。
教師陣に彼らが変質者呼ばわりされていたのは、間違いなくユージーンのこの恰好が理由だ。
コレと行動を共にしていると言われれば、様式美に彩られた兄の姿も急にどこかいやらしいものに見えてくるから不思議である。いやユージーンのそれも様式美には溢れているのだが。ジャンルが違うからだろうか。
「おっと、すまない我が友、仮面の闘士ムスクルスよ。こちらのお嬢様がたがあまりに美しくてね。
そっちは……早速魔物を仕留めてくれたのか。だがまだまだ残っているな。ふむ。よし、後はこの僕に任せてくれたまえ」
フリッ──スペクルムは再度闇へ向き直り、紋章の刻まれた手袋に包まれた手のひらを向けた。
「白き清浄なる闇よ、来たれ! 《フリージングコフィン》!」
スッと辺りの気温が一気に下がる。
そして次の瞬間、スペクルムの手から放たれた冷気によって森が凍りついた。
さすがにここから先の全てが凍りついているとは思えないが、少なくとも闇の中で見える範囲は全て静止している。
《フリージングコフィン》は広範囲を凍りつかせ、その中に居た敵を即死させる氷魔法である。
次兄が得意なのは主に炎系の魔法で、《フリージングコフィン》を多用していたのは長兄だったと思ったのだが、氷系に宗旨替えでもしたのだろうか。
正体を隠しているようだし、まさか、バレそうになったら長兄の仕業に見せかけて責任を押しつけるつもりなのでは。
いや、あの優しい次兄に限ってそんな姑息な事はしないはずだ。
スペクルムはきらきらと光り輝くエフェクトを飛ばしながらゆっくりとこちらを振り返り、ただ一言告げた。
「──討伐完了、だね」
闇の中でもはっきりと分かるその煌めきは、冷気が空気中の水蒸気を凍らせた事によるもの。
いわゆるダイヤモンドダストだ。狙って演出したわけではないだろうが、行動のひとつひとつが自身を引き立たせるものに繋がっているあたりはさすがは私の兄だと言える。
「……ちょっと、何ドヤ顔してんのよ。アレがお兄様だって内緒にするんでしょ」
「……そうでした」
スペクルムの魔法によって周囲は一気に静かになった。耳が痛いほどだ。
もはや魔物の息遣いどころか、虫の声さえ聞こえない。
「……仮面の貴公子、さま……」
そしてユールヒェンも、先ほどまでの怯えた表情を一変させ、うっとりとスペクルムを見つめている。絶体絶命の窮地をあれほど鮮やかに救われてしまっては無理もない。
しかしあの格好よさが理解できるとはなかなか見どころがある。隣の筋肉達磨は全く見えていないようだ。
声を大にして言ってやりたい。私の兄は格好いいだろうと。
言えないが。
「ちょっ、いきなりそんな、広域殲滅魔法を! あっちに学生が残っていたらどうするつもりなんだ!」
ルーサーが顔色を変えて慌てるが、それに対して冷静にユー──ムスクルスが答えた。
「心配すんな。もう森の中にゃ学生さんたちは残っちゃいねえよ。それは確認済みだ。アンタらで最後ってわけだな」
兄に限ってそんな危険な事はするはずがないとわかってはいたが、その言葉を聞いて私も安心した。ここ以外に居た学生たちはすでに避難済みらしい。それはつまりゲルハルトが立派に殿としての役割を果たしたという事でもある。
やはり学生会長を務めるほどの人物は凄い。
これまでさんざん学園内での役職が最優先と言われてはいたが、なるほどこういう事なら当然だ。
惜しむらくは、仮面の貴公子スペクルムの鮮烈な登場でその功績も霞んでしまった事だろうか。あれほどゲルハルトに熱を上げていたユールヒェンの視線も今はスペクルムに注がれている。ゲルハルトがやり遂げられたのはスペクルムたちのサポートのお陰でもあるので、これはしょうがなくもある。
「貴方がたの言い分をすべて信じるわけにはいきませんが……それは後で分かる事です。この場はひとまず、我々や学生たちの窮地を救っていただきありがとうございました」
一行を代表してフランツが礼を言った。
そして頭を下げようとしたところを、スペクルムは手を振って止めた。
「礼には及ばない。僕は僕自身の美学に従って行動したまでだ。それに、まだ終わってはいない」
さっき格好つけて「討伐完了、だね」とか言っていたのは嘘だったのか。
口に出しては言わなかったが、顔に出ていたのか、スペクルムは私の顔を見て慌てて続けた。
「もちろん、周辺の魔物はすべて片付けたよ。でも、まだこの異常事態を引き起こした原因は残ったままだ。下手に刺激すると何をしでかすかわからなかったものでね。場所だけ特定して、その後は学生さんたちの避難の援護を優先していたんだ」
そういう事だったのか。
確かに、まだ魔物発生の原因はわかっていない。
以前のあの泉のようなものがそうなのだとしたら、それを何とかする必要がある。
場所は特定してあるというスペクルムとムスクルスは、これからそこに向かうらしい。
私はルーサーに目配せをした。
こちらの視線に気づいたルーサーも頷く。彼らから目を離す事は出来ない、と言わんばかりだ。
もちろん私も同感である。
何しろ実の兄がリアルヒーロームーブをしているのだ。これは目が離せない。
スペクルムは鏡で、ムスクルスは筋肉とかそういう意味です。ネーミングはフリッツお兄様。
 




