3-7
混乱の極みにあると言っても、森は広いし学生の数にも限りがある。
足を踏み入れてすぐに騒ぎに直面するといった事は無かった。
ルーサーを先頭、フランツを殿に、警戒しつつ森の中を進む。
ルーサーと相談し、とりあえずは人の声のする方に向かう事にした。
魔物らしき鳴き声も気にはなるし仮面の不審者についても警戒が必要かもしれないが、今はそれよりも危険な事態に陥っている学生の救出が先だ。
「──いたよ。学生たちの班だ。人数が多いな。いくつかの班が合流しているみたいだね」
ルーサーが目標を発見した。
フランツもその学生たちを確認し、答える。
「あれは……魔法実技のモーリッツ先生が集めて護衛している集団ですね。先ほど私もお会いしました。もうここまで逃げてこられたのですね。さすがはモーリッツ先輩だ」
授業中の雑談で、魔法実技担当のモーリッツはこの王立学園でフランツの先輩に当たる人物だと話していたのを聞いたことがある。
社会科の老教師はフランツたちが在学中から教師をしていて、その頃から外見が変わっていないらしい。実年齢も不明だそうだ。
フランツが森の状況を知ったのはモーリッツから聞いたからという事だった。
その時はもっと森の奥の方だったのだが、外の天幕に戻り、私たちと問答をしているあいだにモーリッツたちがここまで移動してきたのだ。
フランツがモーリッツに声をかけ、お互いの無事を喜びながら現状を説明する。
私たちが付いてきている事を知るとモーリッツも渋い顔をしたが、今さら言っても仕方がない事だとわかっているのか特に何も言われなかった。
「──では、我々はこのままゴール地点の天幕を目指すが……マルグレーテ嬢とミセリア嬢は」
「我がままを言って申し訳ありませんが、私はルーサー先生に付いて森の調査を続けます」
「私もミセルと一緒に行きます。あ、私たちの遺書は念のため天幕に残してありますので、申し訳ありませんがモーリッツ先生が回収しておいてください」
私はこれでも高位貴族の令嬢だし、グレーテルに至っては王女だ。
いくら自分の意志だといっても、何の準備もなく危険な場所に行くわけにはいかない。
最悪の場合、例えば私やグレーテルが死亡して、フランツたちだけが生き残ってしまったような場合でも彼らの責任が問われる事がないよう、事前にそうした内容を認めた遺書を残しておいたのである。
モーリッツは顔をしかめながらも了承し、学生たちを連れて去って行った。
彼の話では森の中にはああした集団がいくつか形成されているらしい。教師陣が手を尽くし、学生たちを落ち着かせて集め、集団避難の形になっているようだ。
あの様子なら心配はいらなさそうである。
であれば気を付けるべきははぐれてしまった学生や合流出来ていない学生、それと魔物と不審者だろうか。
私たちはその後も何度かそうした集団と行き会いながら、徐々に森の奥へと進んで行った。
◇
しばらくすると、それまでとは違う音が聞こえ始めてきた。
「これは……戦闘音かな。誰かが戦ってるみたいだ」
先頭のルーサーが聞き耳を立てた。
パーティのヒーラーだったはずだが、斥候の仕事も本職顔負けの手際に見える。
私は彼のヒーラーとしての能力は疲れた馬を労ったところくらいしか見ていないので、これは本格的に職業詐称の疑いが持たれるところだ。
しかし今はそれは関係ない。
「急ぎましょう!」
私たちは移動速度を上げ、音のする方向へ急いだ。
見学しかしないとはいえ、実習用の装備を仕立てておいてよかった。
こんなところをいつかのように普段着で移動するとなると、ひらひらした裾などを引っ掛けてしまわないように誰かにおぶって貰わなければならないところだった。
もちろん、グレーテルが身につけている服も私と同じデザインで色違いである。
音の発生源に辿り着くと、そこではルーサーの言った通り戦闘が行われていた。
戦っていたのはゲルハルト会長閣下先輩だ。
すぐ側には縦ロールの侯爵令嬢ユールヒェンや彼女の取り巻きもいる。著しく男女比の偏ったパーティだ。最初から見学と決まっていた私たちはどうやって班の編成を決めたのか知らないのだが、こんな編成が認められるとは随分と柔軟な学風である。
ゲルハルトが戦っている相手は犬の顔をしていた。小型犬のような愛らしい顔をしたゴブリン程度の身長の魔物だが、もしかしてコボルトの子供とかだろうか。私が見た事があるコボルトと言えば、顔は土佐犬、体はマッチョで、危険度も中程度のかなり恐ろしい魔物なのだが。
「これで止めだっ! 【紫電一閃】!」
ゲルハルトが剣を横に寝かせて構え、叫ぶ。
と、次の瞬間その姿勢のままコボルトの背後まで移動していた。
当然、その刃の軌道上にあったコボルトは真っ二つに切り裂かれている。
さすがは学生会長、なかなかの実力を持っている。あの不思議な動きはスキルだろうか。
ユージーンであればスキルなど使わず通常の斬撃だけでも真っ二つだっただろうが、そこは経験の差もある。未だ学生の身である事も考えれば破格の実力と言えよう。
ゲルハルトが倒したコボルトモドキが最後だったらしく、彼は残心ののち腰に剣を収めた。
「ふう」
「さすがの剣の冴えですね、お兄様。元より心配などしておりませんでしたが、ご無事なようでなによりです」
グレーテルが声をかけた。
フランツやルーサーでもよかったのだが、戦闘直後で気が立っているだろうし、よく知る血縁の方がいいだろうという判断からだ。
「おお、その声は我が麗しの──こ、これはミセリア嬢! なぜこのような危険なところへ!」
グレーテルの声に振り向いたゲルハルトの視線は、グレーテルを一瞬撫でるとすぐにそのまま私の方へスライドした。
どうやら私の美しさが彼の視線を引き寄せてしまったようだ。
「……せめて最後まで言って下さらないかしらね」
兄に構ってもらえなかったグレーテルが拗ねている。私の兄たちは私の記憶にある限りでは私以外を優先した事は一度もないのでその気持ちは分からないが。
「詳しくは話せませんが、私たちには此度の森の異常事態に心当たりがあるのです。それで無理を言ってフランツ先生に連れて来ていただきました」
「なんですと!? 心当たりが──ん? 私、たち?」
「そうだ、その話も詳しく聞かせてもらわなければと思っていたんです! ルーサー先生とミセリア嬢に心当たりがあるというのは一体……。お2人は学園よりも以前からお知り合いなのですか?」
怪訝な表情を浮かべたゲルハルト。
そこへフランツが割り込んできた。
「話せば長くなりますのでその話は後ほど……。掻い摘んで言いますと、以前に私はルーサー先生の所属する傭兵チームにとある依頼をした事がありまして、その時に似た事態に遭遇したのです」
私は簡単にではあるが、この突然の魔物の大発生には魔物の泉と呼ばれる現象が関わっている可能性がある事、それがもし人為的に作られたものだとしたら、自然の物とは違う点もある事、そしてその違いこそが最も危険である事などを話した。
「つまり、この事態を収拾するにはその泉を探す必要があるというわけか」
「その通りです。今私が言った通りの事が起きているとは限りませんが、もしそうだったとしたら取り返しがつかない事態に発展しかねないと思い、無理を押してここまでやってまいりました」
言いながら少し咳き込んでみせた。
忘れがちだが私は病弱である設定なのだ。定期的にアピールしておかなければ。特に地位の高い人の前では。
「そのようなお身体で! なんと健気な!」
ゲルハルトは心配そうに私の肩を抱いた。ちょろいものである。
そんなゲルハルトを兄を取られて寂しいのだろうグレーテルが睨んでいるが、悪いのは彼ではなく私の美しい演技である。睨むならば私にすべきだ。そう、そこのユールヒェンのように。別に睨まれるのが好きなわけではないが、視線を集めていると思えばそこまで気にならない。むしろ皆もっと私を見て美的センスを磨いた方が良いと思う。
「もう来てしまったものは仕方がありませんし、なし崩し的ではありましたが私も黙認したようなものですのでミセリア嬢についてはいいのですが……。
しかし、魔物の泉ですか……。まさかこんな王都の近くで、とは思いますが、人為的なものであるとしたら突然現れたのも納得がいきますね。そんな事が可能だというのは信じがたいですが、現に魔物の発生という異常事態が起きているところです。頭ごなしに否定するより、そうかもしれないと想定して行動する方が合理的でしょう。
ゲルハルト君、君は魔物の泉についてはすでに学習していますね。森の中でそういうものをみかけたりしませんでしたか?」
「いえ、私は学生のみんなを守るので精いっぱいでそういうものは……。ただ、ここより奥にはもう学生はいないはずです。魔物の対処は私に任せてもらい、先生がたに避難誘導をしてもらいましたから」
つまり、王子であり学生会長でもあるゲルハルト自ら、教師たちに守られて避難していくあの集団の殿として魔物を抑えていたという事らしい。
見上げた覚悟である。それに、そうするだけの実力も兼ね備えている。
ユールヒェンをはじめとする令嬢たちが熱を上げるのも頷ける。前世では物語くらいでしか知らなかったし、今世でも話に聞いたことがあるくらいだったが、現実の王子とはここまで強く格好いいものだったのか。
私が感心して肩を抱くゲルハルトを見上げていると、目尻が吊り上がったユールヒェンがヒステリックにわめきはじめた。
「ちょっと貴女! いつまでそうしていますの! ゲルハルト様はお疲れなんですのよ! いくらゲルハルト様がお優しいからといって、そんな──」
「っ! 危ない!」
ユールヒェンの声を遮るようにルーサーが何かを投擲した。投げナイフだ。
ナイフは一直線に飛び、ユールヒェンの頭上を越えて背後の闇に飲み込まれていく。
その直後、犬の痛がる鳴き声のようなものが聞こえた。闇の中にコボルトモドキがいたらしい。
やはりルーサーのナイフの腕と索敵能力は一流だ。本当にヒーラーなのか。
この時に気付いたのだが、森に入る頃に暮れかけていた日はいつしかほとんど落ちており、森の中はかなり暗くなって来ていた。
近くで会話をする分には相手の顔もまだ見えるが、少し離れるともうほとんど見渡せない。
木々の影など完全に闇に覆われている。
そしてその闇の中、たった今ルーサーのナイフが飛びこんだあたりからは、いくつもの気配と息遣いが伝わってきている。
まだまだ魔物は多くいるらしい。
この森はアングルスのように常時騎士団に見張られているわけではない。
事前に調査をしたとはいえ、その後に人為的に泉が設置されたのだとしたら、沢山の魔物が潜んでいても不思議はない。
ルーサーとゲルハルト、そしてフランツだけで対処出来る数ではなさそうだ。
ユールヒェンたちも背後の闇から感じる気配にすっかり怯えてしまっているし、ここは私やグレーテルも戦いに参加する必要があるかもしれない。
グレーテルに目配せをし、覚悟を決めて身構えた。
しかしそんな私たちの前に、ふわりと何者かが軽やかに現れた。
「──その気高さは称賛しよう。誇るといい。我が身を顧みず、脅威に立ち向かう君の姿は何者よりも美しい。しかし、その美しさを汚そうとする者は、たとえ天が許したとしてもこの僕は許さない。
美しさには美しさを。そして暴力には暴力を返そう。
我は鏡。あらゆるものの真実を映す鏡。
──仮面の貴公子スペクルム、ここに参上!」




