20-14
別支店です。本店はもう滅んでしまってますけど。
スラムにある寂れた酒場。いや、もはや営業などしていないので寂れているどころの話ではないが。
その中に、いつ帰るとも知れぬ仲間を待つ男たちがいた。
この建物は酒場であっただけあり、厨房は広く、竈も複数並んでいる。同時にいくつもの料理を作れるようにだろう。かつてはそれなりに繁盛していたらしい事が伺える。
本来であれば食事時にはまだ早く、料理をするような時間ではなかったのだが、厨房に並ぶ竈にはその全てに薪がくべられ、煌々とした炎がたくわえられていた。
そしてその竈の番でもしているが如く、背の低い男がホールから持ってきた椅子に座ってじっと炎を見つめていた。
その隣にはもうひとり、肩幅の広い女も座っている。
「──おい、『教皇』。いつまで遊んでいるつもりだ。説法にでも行け」
「……うるさいなあ。説法の時間は決まっているんだ。ボクは今竈の火を見つめるのに忙しいんだよ」
『皇帝』が叱咤しても、背の低い男──『教皇』の反応は薄い。
これはその隣に座る『正義』も同様だった。『皇帝』の声などまるで聞こえていないかのように一心に炎を見つめている。
王城が異様な勢いで魔石を集め、それをインテリオラから輸入しているのは『皇帝』たちも知っていた。
相変わらず『審判』や『節制』から何の連絡もないが、あれらが王城にいるのなら何らかの作戦のために魔石が必要であるのだろう。
そうして魔石が不足した王都では、煮炊きの燃料に主に薪が使われるようになっていた。
流通する魔石が減っていくにつれて当然薪の値段も上がっていったのだが、ある時、その価格が突然下落した。
聞くところによると、どうやらインテリオラの何とか言う商会が安価な薪の輸出を始めたらしい。
その商会は薪自体は以前からメリディエスに売っていたのだが、何かの技術革新でもあったのか、以前の半値で新しい薪を売り始めたのだ。
その薪は持続性こそさほど無いものの、火が付きやすく燃えやすいという煮炊きに使うには最高のものだった。
新しい薪が吹き上げる炎はただの木切れが発しているとは思えないほど神秘的な輝きを宿していて、見るものを魅了する不思議な妖しさがあった。
竈に焚べようものならば、まるで竈に小さな太陽が宿ったかのような明るさと暖かさを与えてくれた。
かように素晴らしい薪であるのだが、それが却って禍いを齎してもいた。
その炎のあまりの美しさに目を奪われる者が続出したのだ。
これは日常的に家事をする主婦や下男、あるいは料理を生業とする者に多く現れ、一部にはその火を崇めるものさえ現れている。
『皇帝』にとって、実に頭の痛い事だった。
なぜなら、その火を崇める集団には『教皇』と『正義』も参加しているのだから。
しかも『教皇』は生来の口の巧さと強かさ、それから謎の貫禄によって、すでにその集団のかなり上部に食い込んでいるらしい。
というより、火を崇めるという原始的で不確かな信仰を組織として確立させたのは『教皇』だというから驚きだ。
何をやっているのか、と怒鳴りつけてやりたいところだったが、これらの情報はむしろ『教皇』の方から自慢気に言ってきたものだからたちが悪い。まず安くて質の良い薪がかなりの数出回っているという話自体初耳であったというのに、その火を崇める宗教組織だのその立役者が他ならぬ『教皇』であるだの、情報と驚きが渋滞してしまい、その時は何も答える事が出来なかった。
『皇帝』が沈黙していたことで同意は取れたと考えたのか、『教皇』は火を崇める宗教組織の活動を憚らなかった。今さら止めようとしても遅かった。
たった今、『皇帝』は説法に行けと言った。これはもちろん、反メリディエス政府思想の普及──というよりそういう活動家がいる事を周知させるためのものだ。
しかしおそらく『教皇』は違う意味に取ったに違いない。
つまり、火を崇める宗教組織の布教という。
『皇帝』は頭を抱えたくなった。
誰でもいいから助けてほしかった。
『審判』と『節制』はどこで何をしているのか。まさか、本当に死んでしまっているのか。
あるいは、今は生死もわからぬ『世界』たちでもいい。かつて同じ組織に属した誼で助けてくれないだろうか。
◇◇◇
暗く陰気なメリディエス王都。
その中にあっても一際陰の気配に満ちている場所はどこだろうか。
食べるのも精一杯な下層民が住まうスラムじみた街区だろうか。
いや、スラムには今、太陽のような灯りが満ちている。人々の顔もその灯りに照らされて一時の明るさを取り戻している。
では、どこか。
それは、この雄大なメリディエス王城であった。
外からではわからないことだが、今、この王城内部には暖かみのある光などひとかけらも存在していなかった。
灯りも火も、魔石を使う魔導具のみによって賄われている。これも、インテリオラから潤沢な魔石を輸入出来ていればこそだ。
しかし、それだけが理由ではない。
薪が使われない理由。
それは、薪とはどれほど上質であったとしても、必ず煙を生じてしまう物であるからだった。
今やメリディエス王城において、煙などのような空気を汚す不純物はもっとも忌むべきものとされていた。
全ては──白く清らかな、何の問題もない霧のため。
「──ユウキ殿。近ごろ城下で噂になっている、「崇火教」やらいうものをご存知か」
白く視界が曇る中、玉座に座った男が言った。
その容貌はまさに一国の主として相応しく、また玉座に座していることからも最も尊き立場にあるのは間違いない男。
しかし男の言葉には確かな敬意が込められていた。
それはこの王城にあって、王よりも上の存在がいるという何よりの証左。
問いかけられたユウキ──『審判』は、アングルスでギルバートたちに熱心に話していた姿とはかけ離れた、嫣然とした笑みを浮かべて答えた。
「ええ。もちろんです。城下に煙が立ち上っているのはこの城からもよく見えますから。白く清浄で正常なる霧を汚そうとする、許しがたい蛮行ですね」
魔石は王城で全て買い集めているため、煮炊きをするには薪を燃すしかない。この季節なら暖炉を使う必要はないが、家事はしなければならない。故に、そのための燃料であれば仕方がないと理解は出来る。
しかし近ごろは、明らかに煮炊きではない時間にも煙が上る事があった。
それこそがメリディエス王が言う崇火教なる者の仕業だろう。
『審判』たちは、何も過分な欲求があるわけではない。
ただ、白い霧に何も問題が無いことを確認し続けたいだけなのだ。そのための魔石。
そんなささやかな願いすらも土足で踏み荒らす、色が似ているだけの薄汚い煙。そしてあろうことかそれを発する炎を崇め奉る愚か者。
決して相容れない思想。
崇火教なる愚者たちは必ず滅ぼさねばならない。
「城下のことは『節制』に探らせています。崇火教についてはすぐにでも──」




