3-6
ルーサーはどうあっても私を森に行かせる気はないようだった。
それどころか、天幕から出る事さえ許可しようとしない。
最終手段である「森にお花を摘みに行ってきます」も通用しなかった。
もしかしたらこれも意味が通じていないのかもと思って詳細に説明しようとしたのだが、用足しの魔導具なら天幕の中にあるだろうと一蹴されてしまった。確かに。
「……一度、お嬢の淑女教育について辺境伯に問い合わせる必要があるかもね」
あまつさえこんな事まで言い出す始末だ。
確かにきちんとした教育を受けたのはここ数週間の事だが、それでもすでにマナー講師の侯爵夫人から免許皆伝を貰っている。いやとりあえず合格とかだったかもしれない。どっちでもいいが、いずれにしても問題ないということだ。
そう不満を口にすると、グレーテルがまた茶々を入れてきた。
「え、つまり貴女は実家ではどこに出しても恥ずかしくない淑女って事になってるって事? すごいわね、親の顔が見てみたいって実際に思ったのは生まれて初めてだわ……」
「もちろん、私の両親も美しいですよ。私ほどではありませんが」
「絶対言うと思ったわそれ。そういうところよ貴女」
グレーテルが私の事をよくわかってくれているようでなによりだ。
しかしグレーテルがいくら私の事を理解してくれたとしても、この胸の不安が消える事はない。森の異変とグレーテルは関係ないので当然だが。
そうしてそわそわしていると、森の方から近付いてくる足音が聞こえた。
ルーサーが警戒する様子がない所を見るに、森へ様子を見に行ったフランツが戻ってきたのだろう。
「──すみません、マルグレーテ嬢、ミセリア嬢。野外学習は急遽中止になりました。王都に戻る事になります。
ルーサー先生、申し訳ありませんが、お2人の引率をお願いできますか?」
「え、僕ひとりでですか?」
「日が落ちる前に街道まで出られれば、後は街道を進むだけです。危険な事はないでしょう」
「いや危険を心配しているわけじゃなくて、僕ひとりで2人も抑えきれるかなって」
ルーサーのナイフの腕なら令嬢2人くらい言う事を聞かせるのは容易な事だと思うが、それよりフランツの言葉に気になる点があった。
「待って下さいフランツ先生。そうおっしゃるという事は、少なくとも夜の街道をたった3人で戻るより危険な何かがこの森にはあるという事ですね。そして、フランツ先生はそこへ加勢に戻るおつもりです」
私が口を挟むとフランツは押し黙った。
森の中の現状は私には伝えないようにして帰らせるつもりだったのだろう。
「どうか、話して下さいませんか、フランツ先生。私はクラスメイトたちが心配なだけなのです」
「いや心配なだけじゃなくて首とか突っ込もうとしてるよねお嬢──いやミセリアさんは」
ルーサーがうるさい。
しかし幸い、悩むフランツにはルーサーの戯言は聞こえていなかったらしく、ついに彼は森で起きている怪事件について打ち明けてくれた。
「実は……森に魔物が現れたのです。ごく弱い魔物ばかりですが、数が多い。学生たちでも対処できるレベルの魔物でも、新入生の多くは魔物を見る事さえ初めてです。中にはパニックを起こしてしまった学生もいて、森の中は相当混乱しています。幸いまだ重篤な怪我をした者の話はありませんでしたが、とても実習どころではありません。そればかりか──いえ、これは今は」
フランツが言いよどむ。
魔物以外にも懸念事項があるらしい。
「おっしゃってください。どんなことでも」
「……そうですね。
実は魔物ばかりか、仮面をつけた変質者まで現れる始末でして。その変質者は魔物と戦っているようで、助かっている部分もあるのですが、何ぶん正体不明の者たちです。敵ではなさそうだからと言って、信用するわけにはいきません。その彼らに対する警戒もしなければならないので、森の中の教師たちはてんてこ舞いの状態です」
だから私たちにはすぐにこの場を離れてほしい、フランツはそう言った。
しかし、森に変質者とは。
一般的に変質者とは街なかに出没するものだと思っていたのだが、何か特殊な性癖をお持ちの方なのだろうか。
大自然の中で開放的な気分に浸りたいとか。
いや、だとしたら仮面をつけているのは筋が通らないか。
そこで、とすっ、と地面に何かが落ちる音がした。
「ルーサー先生? 杖が落ちましたよ。……はい、どうぞ」
「──あ、ああ、ありがとうございますフランツ先生。少しその、びっくりしちゃって。それにしても、魔物か。魔物と……仮面? 仮面なんて付けて……しかも、変質者か……。それは……大変……ですね……。
ちなみにフランツ先生、仮面などしておらず、変質者でもない協力者なんてのがいたりとかは……」
「そういう方でもいれば助かったんですが、さすがにそんな都合のいい話はありませんよ」
「そうですか。そうですよね……」
もしかしたらルーサーが杖を落としたのは、突然現れた魔物という言葉に心当たりがあったからかもしれない。
いるはずのない場所に魔物が現れる。
似たような話をつい最近、私も聞いたところだ。
ただでさえ、あまり世の中を知らない私である。そんな私が、よく似たケースに立て続けに遭遇した。
確率的に考えて、まったく無関係だと考えるのは難しい。
であれば、この森の混乱というのは。
あの時取り逃がした特殊部隊の兵士の母国、メリディエス王国が糸を引いているのかもしれない。
するとグレーテルが私の袖を引き、耳元に口を寄せて囁いてきた。
「……ねえねえ。あの変態治癒士、仮面の変質者っていうのに心当たりでもあったんじゃないの? お仲間だったりして」
「……ルーサー先生は変態ではありませんし、変質者のお仲間でもないと思います。少し融通が利かないところはありますが、しっかりした大人ですよ」
「……そうかしら……。私の【直感】がそう言ってるのだけれど……」
直感などという不確かな理由で他人を貶めるのは良くない。
そういう行ないは美しい私たちには似合わない。
そう言ってたしなめるとグレーテルは機嫌を良くして前言を撤回した。「森に出た方の変態も敵ではないみたいだし、別にどっちでもいいわ」と言っていた。
しかしもしこの魔物というのがアングルスの時と同じであるなら、この騒動はあの日の続きだと言える。
私もルーサーも無関係ではない。
今は重篤な怪我人は出ていないのだとしても、もしあの時の「入力側の泉」に学生が誤って入り込んでしまったとしたら──とても悲しい結果になってしまう。
もはや、依頼主の安全がどうとか言っている場合ではない。
魔物の泉についてはまだ授業で触れていないが、あの2種類の泉の危険性を知っているのはこの場では私とルーサーだけなのかもしれないのだ。
「ルーサー先生、やはり森に行きましょう。あの時と同じ状況なのだとしたら、あの時と同じ事が起きるかも知れません。そうなってからでは取り返しがつきません」
「あの時? ミセリア嬢、もしや貴女は突然魔物が現れた理由に心当たりが?」
フランツが耳聡く私の言葉をインターセプトしてくる。気持ちはわかるが、今はそれどころではない。
「すみませんフランツ先生、お話は後ほど。
ルーサー先生、先生の信頼しているお方というのがどれほどのお方かはわかりませんが、この状況です。不測の事態が無いとは言えません。やはり、ここは多少なりとも事情を知る私たちが行くべきでは」
「そう……そう、だね。信頼していた、んだけども。その信頼が今、かつてないほど揺らいでいるのは確かだ。正直、色々不安で仕方がない。
お嬢を森へ連れて行くのは避けたかったけど……。僕がひとりで森に向かえば、どのみちお嬢は勝手に来ちゃうよね。それなら、いっそ一緒に行動した方がマシか」
「ル、ルーサー先生!? そんな、勝手に!」
「フランツ先生、すいません。今回の異常事態には、実は僕も心当たりがあるんです。放っておけばさらに取り返しがつかない事態を引き起こす可能性もあります。森の中にその事を知っている人間が、あー、居ない、かもしれない、のは問題なので、原因の解明と排除のためには僕が行くしかありません」
「しかし、学生を危険な場所へ連れて行くなど! しかもミセリア嬢はお体が弱いんですよ!」
「それについては、えーっと、大丈夫というか、無理はさせないのでご心配なく。フランツ先生は王女殿下のお守りをお願いします」
なんとかルーサーにもわかってもらえたようだ。
やはり、あの異常事態と関係があるかもしれないとなればルーサーも黙ってはいられないのだろう。
あるいは変質者とやらが気になるのかもしれない。グレーテルが言うように仲間だとまでは思わないが、不審人物が年の離れた友人たちに近づくのが気に入らないのだろう。
これで万事大丈夫、かと思いきや、意外な言葉がかけられた。
「──ちょっと、どうして私が留守番する前提なの? ミセルが行くなら私も行くに決まっているでしょう。よろしいですわね、フランツ先生」
「よろしいわけがない!」
しかし、フランツひとりでグレーテルを心変わりさせることは出来ず。
結局全員で森へ向かう事になった。
フランツは責任感に溢れた教師だが、同時に紳士でもある。学生とはいえ未婚の女性、に見える私たちを物理的に拘束する事はどのみちできない。
ルーサーが認めた時点でこうなる事は決まっていたのだ。
信じて送り出したリーダーが……みたいな話
苦労人が次の苦労人を生み、それがまた新たな苦労人を生んでいくという地獄のスパイラル




