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父親によく似た甘いマスク。
ミセリアと比べると少し面長というか、シャープな印象を受ける。パーツごとで見れば良く似ているしこの彼も十分に美青年ではあるのだが、ミセリアに会った後だとどうしても「普通の美形」に見えてしまうのはなぜだろうか。
「──父上ってこたぁ、こちらの紳士がダンナのご子息ってわけですか。長男様か次男様かはわかりませんが」
「ユージーン殿と言ったか。話は聞かせてもらった、と言っただろう。僕には無理して敬語は使わなくても良いよ。父上のご友人だということはわかっている。
僕はマルゴー辺境伯が次男、フリードリヒ・マルゴーだ。親しみを込めてフリードリヒ様と呼んでくれ。よろしく」
また濃い人物が現れた。
本当にこの家の人間は瘴気の吸い過ぎでどうかしてしまっているのではないのか。
代々有能で戦闘力も高いらしい事は知っているが、そのために人間性という大事な物を犠牲にしているとしか思えない。
若い頃はこのライオネルも貴族とは思えないような破天荒な奴だと思っていたが、今思えばマルゴー家にしては随分とマシな方だったらしい。
いやもしかしたら、ライオネルが失った人間性の中で最も重大な物こそが「常識的な子育て能力」なのかもしれないが。
「……そういう事なら、敬語は無しにさせてもらうぜフリードリヒ様。あと、俺の方には殿はつけなくていい。親しみを込めて呼び捨てで構わねえぜ」
「お前たち、挨拶の必要はない。フリードリヒはすぐに部屋に戻るし、ユージーンは退室する。
わかったらさっさと行動に移れ」
ユージーンはもちろんそのつもりだったが、フリードリヒの視線はユージーンをロックしたまま離さない。
このまま退室したところで構わず付いてきそうだ。
それに、本人も先ほど「話は聞かせてもらった」とか言っていた。
どこから聞いていたのかは不明だが、あの流れでそんな事を言いながら突入してきたという事は、ユージーンの任務に関わるつもりだという事だ。
「父上、そうはいきませんよ。僕の耳にははっきりと聞こえました、変装してミセルに会いに行くと! そのような羨ま、もとい、面白そ、もとい、いかがわしいこと、この僕が見逃すはずがないでしょう!」
なるほど、本格的にヤバいご子息のようだ。
それでいてこちらを出し抜くほどの実力者とか、ちょっとした悪夢である。何とかに刃物は渡してはいけないというのは世の共通認識だと思っていたのだが、貴族社会では違うのか。最初から持っている刃物がどうしようもないのなら、せめて何とかにはならないように教育してもらいたいものである。
そう非難を込めてライオネルを見やる、が、ユージーンはそこで動きを止めた。
正確に言うと動けなくなった。
「──見逃さなかったらどうするというのだ、フリードリヒ。私は言ったぞ。部屋に戻れ」
「っ!?」
ライオネルが口を開いたその瞬間、部屋の気温が数度下がったような錯覚を覚えた。
「……く、僕を【威圧】しても無駄ですよ、父上……! ミセルが関わる事柄において、この僕が退くことなどありえない……!」
そう、これはライオネルのスキル【威圧】だ。
魔物の領域に棲まう『ヌシ』でさえその動きを止めると言われている、マルゴーの英雄の代名詞である。
しかしフリードリヒはその、物理的重圧さえ感じさせるほどの【威圧】に耐え、ライオネルに反論してみせた。
直接【威圧】を向けられているわけでもないユージーンでさえ動くことが出来ないというのに。
実の息子──とついでに戦友──にスキルを発動させたライオネルだが、それはすぐに解除した。フリードリヒに対しては効果がないから、というよりはあのまま続けていれば屋敷で働く他の者にも影響が出てしまうからだろう。本来、自宅で使うようなものではないので当然だ。
圧し掛かる重圧から解放されたユージーンはほっと息をついた。
真っ向から抵抗していたフリードリヒは肩で息をしている。それほどの圧力だったということだ。
【威圧】を収めたライオネルはため息をつき、言った。
「何でそう、限定的な状況下でのみ覚醒するのだ、お前は……」
「……はぁ、はぁ。こ、これも愛の為せる業です。父上もお分かりのはず」
「分かるからこそ、私はお前の将来が心配でならないよ……」
フリードリヒはすでに成人しているように見える。将来とはつまり今の事なのでは。
であればそれはもはや手遅れというのではあるまいか。
「ご心配なく。血の繋がりがある妹とは結婚できないことくらいよく存じています」
「……結婚できない理由はそれだけではないのだが、まあいい」
もうひとつため息をつき、ライオネルは諦めたように続ける。
「お前に聞かれてしまった時点で、私の落ち度と言えなくもない。私も気は張っていたつもりだったが、それを掻い潜って扉の前まで近づいてくるとは、少なくとも隠密技能についてはかなり伸ばしているようだな。それは素直に褒めてやる。
お前の事だ。どうせ言っても聞かんだろうし、閉じ込めたところで無駄だろう。監視しきれるものでもないし、すでに私の目を掻い潜るほどの実力があるのであればそもそも屋敷に閉じ込める事さえ困難を極める」
「おお、では!」
「……仕方がない。好きにしろ。
ユージーン、すまんが──」
「いやいやいや、さすがにこれはちょっと荷が重すぎやしねえか? 面倒見きれる自信がねえんだが」
ライオネルが言い切る前にインターセプトして断った。冗談ではない。
「特別手当は出す」
「何でもかんでも金で解決できると思ってんじゃねえぞ!」
「これからよろしくお願いするよユージーン殿! 僕の事は親しみをこめてフリッツ様と呼んでもいいよ!」
「殿付けはいらねえって皮肉で言ったの聞いてなかったのか!? あと様付けは変わらねえのな! 親しめそうな要素が一個もねえよ!」
「ところで変装について悩んでいるんだったね。正体を隠して陰ながらヒロインを守るとかロマンがあっていいじゃないか! 僕の部屋にちょうどいいアイテムがあるから、それを使おう!」
「よかったなユージーン。これで変装の問題は解決だ。なら変装関連の手当はいらんな」
「やべえ、話が通じる奴がひとりもいねえ!」
インターセプトして断ったつもりだったが、残念ながら相手には伝わらなかった。
それどころか、話の流れで報酬も減らされたようだ。
その後も抵抗したが領主の決定は覆らず、なんとか「ミセリアに正体がバレなかった場合のみ追加で手当てが出る」という約束を取り付けるにとどまった。
しかし冷静に考えれば、ミセリアに知られると面倒なのはライオネルに報酬の支払い能力がないと思われるのが嫌だからであって、正体がバレた場合はむしろ積極的に払った方がいいのではないか。
そう思ったが黙っていた。これを今言うとせっかく取り付けた成功報酬が減らされる可能性があるからだ。
この場はこのまま進めておいて、仮に失敗して正体がバレてしまった時に改めて指摘し、ミセリアの前で報酬をせびればいい。
そうすれば正体がバレようがバレまいが金が貰える事に変わりはない。
そうと決まれば、あとは気楽なものである。
適当に坊っちゃんの相手をしつつ、野外学習の間ミセリアやルーサーに近付く不穏な影がないかどうかを見張るだけの簡単な仕事だ。
というか、そうでも思わなければやっていられない。
◇
しかしやはりというかなんというか、そう思い込んで自分を騙したとしても、やっていられる事とやっていられない事というのは世の中にはあるのだった。
「──え、これ? 正体を隠すのにちょうどいいアイテムってこれか? マジで言ってんのか?」
「マジで言ってるとも。格好いい僕によく似合うと思わないかい?」
「いや、似合うか似合わないかで言ったら似合うんだろうが、万人に似合うもんでもねえだろこれ。つか、間違いなく俺には似合わねえよ。あのな、世の中には美形にしか許されないファッションってのがあってだな」
「あ、そうだ。正体を隠すというのに、変えるのが姿だけなのも片手落ちだよね。名前もそれにふさわしい物に変えないとだ。コードネームみたいなものだね」
「聞いてないなこれ。わかった、格好については後でじっくり話し合おう。で、えっと、コードネームっつったか? それって軍で使ってるような奴か? 何たらワンとか何たらツーとか。部隊名の後に数字付けるような」
「ユージーン殿は軍に居た事があるのかい?」
「さっき話は聞かせてもらったとか言ってたじゃねえか! 軍の話はアンタのオヤジさんとがっつりしてたんだが」
「すまない、ミセルに関わる事しか覚えてないんだ。そんなことより、軍のそれも悪くはないんだが、いささか美的センスに欠けているとは思わないか? ここはやはり、もう少し捻って趣向を凝らした物がいいと思うんだ」
「脳のリソースの使い方めちゃくちゃ偏ってんな!
いや、コードネームで呼ぶんなら出来るだけ個性は殺しといたほうがいいだろ。軍のもそれが目的だし、センスがねえのは当たり前だと思うんだが。特に俺たちは正体も隠さなきゃならんし」
「そこでだ。実は今、話しながら考えていたものがあるから聞いてほしい。まず僕のコードネームだが──」
「意見聞く気がねえんならこっちに話振るのやめてもらっていいか? つか話しながら考えてたって、やっぱり脳の使い方おかしいだろ。やるなとは言わんが、せめて会話を優先してくれよ。これじゃ2人でデカい独り言喋ってるだけじゃねえか──」
次回からミセリア視点に戻ります。




