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別視点。
「──なるほどな。やはり、メリディエスは利用されているだけだったか」
薄暗い執務室。
そのデスクに座る美しい男──ライオネルに、ユージーンは仲間たちから上がってきた情報を報告していた。
「ああ。黒幕の奴らはメリディエスを体よく利用して危険な実験を代わりにやらせた、てところだな。そう考えると、連中はあの泉が人間を飲み込んで魔物化するって事実も知ってた可能性もある」
「十中八九、そうだろうな。であれば、仮にお前たちが介入しなかったとしても、事故か何かを装ってメリディエス兵を泉に放り込むつもりだったのだろう。
察するに、ひとりだけ逃亡したという捕虜がその役目を負っていたのかもしれん」
「間違いねえぜ。メリディエスにも探りを入れてみたが、偵察部隊は事故により全滅って記録されてやがった。つまり、あの時の男は自分自身を死んだことにして姿を眩ませたってこった。かと言って部外者って風でもなかったし、たぶん、しばらく前からメリディエス軍に潜入してたんだろうぜ」
「メリディエスとしては黒幕の連中を完全に信用はしてなかっただろうし、実験は軍だけでやるつもりだった。しかし黒幕は一枚上手だった。軍のみで行なわれる実験にも同行できるよう、あらかじめ軍内部に構成員を紛れ込ませていた、というわけか」
「……ここの軍隊は大丈夫だろうな」
ユージーンはふと不安になって聞いてみた。
精強で知られるマルゴー領軍の中にスパイがいるなど、考えたくもない。
それに、以前にミセリアがライオネルに尋ねた時、この男は自信満々に自慢していた。
もし自分が主導していたのなら、アングルス領などとっくに地図から消えている、と。
例の魔物の泉──と同様のものかは不明ながら、魔物を利用する技術ではマルゴーは黒幕よりも先を行っているという意味でもある。
もしスパイが紛れ込んでいれば、みすみす相手にその技術を流出させてやる事になりかねない。
「世の中に完璧なものなどないが……。心配はいらんはずだ。
我が軍の訓練は熾烈を極める。仮に実力を隠して潜入していた者がいたとしても、隠したまま訓練をこなす事など出来はせん。実力を隠さず付いてくるのであればすぐに目につく。そもそも、このマルゴーの地で生まれた者でもなければ付いてこられる内容ではないが」
魔境と呼ばれるマルゴーで生まれた魔物は例外なく強い力を持っている。
しかしそれは実は魔物に限った話ではない。
この地で生まれた者は、なぜか全員が英雄たり得る資質を持っているのだ。
一説によれば、濃密な瘴気が胎児の身体に何らかの影響を及ぼしているからだとか言われているが、詳しい事ははっきりしていない。人間には魔石は発生しないため、その説を裏付ける物的証拠も今のところはない。
ただ、マルゴー出身者であってもマルゴーの外で妊娠、出産した場合は平凡な子供が生まれることは確かだった。
マルゴーの領軍が強いのは積み重ねられた訓練と実戦のおかげもあるが、前提として「何もしなくても最初から強い」からでもある。
マルゴーの領軍にはマルゴーの出身者しかなれない。
ライオネルはそう言っているのだ。
「まあ、そりゃそうか。俺もありゃ二度とゴメンだしな……。
でもよ、マルゴー出身者だからっつって、黒幕と通じてねえとは限らねえんじゃねえか?」
隣国であるメリディエス王国はインテリオラとは違い、強固な独裁体制を敷いている。
この国の有識者の間では、メリディエスは寒さと渇きで厳しい環境であるため人々は団結しなければ生きていけず、そのためには強い指導者が必要だったからだと言われているが、実際のところはわからない。
そういうお国柄であるため、インテリオラに比べると軍部も相応に力を持っていると言われている。トップが力を見せつけるにあたり最もわかりやすいのは軍事力の誇示であるからだ。
その力は時として自国民に向けられる事もあり、体制に否定的な分子を摘発して監獄にぶち込む事もあるなどと噂されている。
ユージーンもメリディエスに潜入して情報を漁るのには随分と苦労した。
そういう事情もあり、メリディエスの軍隊にはメリディエス国民しか入隊できない。
厳しい審査があるとかで、他国の出身者が身元を隠して入隊希望を出したところですぐにばれ、最悪の場合スパイ容疑で投獄されてしまうという。
黒幕の力がどれほどのものかはわからないものの、その審査を潜り抜けられるかはわからない。
普通に考えれば、よりローコストで済むのは現地で新しく協力者を作るやり方だ。
この場合審査を誤魔化す必要はないし、邪魔になったらその都度切り捨てればいい。
マルゴーでその手を使われた場合、マルゴー出身者だからと言って黒幕の息がかかっていないとは限らない。
「実力を隠して訓練を受けたとしても我が領が誇る軍事教官の目はごまかせん、と言った。
何の訓練も受けていない領民を誑かして軍に入隊させるといった手も取れないでもないかもしれんが、マルゴー出身者であればこそ、軍に入るには相応の覚悟が必要になると知っているはずだ。どういう理由でその黒幕に与する事になったのかはわからんが、並大抵の理由では軍に入るほどの覚悟など持てまい。そういう覚悟を持てるような者のところへはすでにスカウトが行っているしな。
あるいは、教官の目をごまかせるほどの実力者が潜入していた場合には、もはや考えても仕方がない。それほどの力があるのなら、魔物の泉の研究などせずとも腕力で目的を達成すればいい」
あの時逃げた男は怯えていたばかりで、戦闘力や胆力という意味では新兵に毛が生えた程度にしか見えなかった。
あれが全て演技だったとしたら大したものだが、ユージーンだけならまだしも、対人スキルに長けているサイラスもルーサーも特に不審な物は感じていないようだった。
演技力が優れている可能性はあるとしても、戦闘力が高い事を隠していた可能性は低いと言っていいだろう。身のこなしなどについてはユージーンも見る目はあるつもりだ。
「……もう、軍に戻ってくるつもりはないのか」
考え事をして黙りこんだユージーンを見てライオネルが言った。
この流れなら言われると思った。
だがユージーンの答えは決まっている。
「ありゃ、アンタに付き合って入隊しただけだ。向いてねえのはすぐわかったし、アンタももうお友達がいなきゃ寂しいって歳でもねえだろ。
それに軍属じゃない方が都合よく動ける事もある。今はアンタも心配事が多いだろうしな」
「……そうだな。はぁ……」
デスクに肘をついたまま、手で美しい顔を覆い、ライオネルはため息をついた。
あの、父親によく似た娘の事でも考えているのだろう。
無理もない。
あんな娘がもし自分にもいたら、それはそれは心配で仕方がないはずだ。
「で、だ。その心配の種の方だけどな」
「──何かあったか?」
ライオネルが顔を覆う指の隙間から鋭い視線を投げてくる。
どれだけ心配性なのか。
「何ってほどでもねえけどな。近いうち、野外学習とかで王都の外に出かけるらしいぜ。お嬢と王女は見学らしいが、逃げた男の件もある。何もないとは思うが、一応警戒しといた方がいいかと思ってな」
自分は死んだことにしてメリディエスの特殊工作部隊から逃亡したのであれば、素直にメリディエス王国に戻ったとは思えない。顔を知っている者もいるかもしれないし、それは逃亡兵にとってリスクしかない。
であれば、まだインテリオラ国内にいるはずだ。
そしてあれが黒幕の手の者だった場合、魔物の泉に関する実験を阻んだユージーンたちに復讐を企んでいるかもしれないし、実験の続きを目論んでいるかもしれない。
「……ルーサーだけでは対応しきれんかもしれんということか」
「そうは思わねえが、一応な」
あるいはルーサーをミセリアの側に付かせている事が裏目に出ている可能性もある。
あの男と戦った時、ミセリアはフードで顔を隠していたが、ユージーンやルーサーの顔はばっちり見られている。
もし黒幕が復讐を、あるいは口封じを考えている場合、ルーサーを追って王都の近くに潜伏している可能性もある。
ライオネルはしばし考え込んでいたが、やがて乱れた前髪を払い、言った。
「仕方がない。ならばユージーン、お前も行ってくれ。ただ、ミセルに見つかると言い訳が面倒だな。ルーサーがアルバイトをしていると思っているところにお前まで現れると、私の報酬の支払い能力を疑われかねん。念のため変装して行け。まあ何事も起きなければあれと会う事もないだろうが」
「変装かよ……。面倒だなぁ。そういうの得意な奴今いねえんだよなぁ……。つってもお嬢と会って王都にいる言い訳するのとどっちが面倒かって話か。どっちも面倒だなぁ……。特別手当案件だぞこれは……」
「最近、何かというとすぐそれだなお前は……」
「可愛い娘に支払い能力疑われたくなけりゃ、素直に払っといた方が良いぜ」
仕方がない。諦めてカツラでも探すか、と考えたところに、不意の闖入者があった。
執務室の扉が急に開かれたのだ。
ユージーンは扉を開いた人物より先にライオネルを見た。少し驚いた顔をしている。ということは、部屋の主である彼にとっても想定外の来客という事だ。
しかし何者かが部屋に近付いているという感覚は無かった。
現役の英雄とも呼べるライオネルと、その戦友であるユージーンに気配すら悟らせないなど、相当な手錬れだ。
「──ふっ。話は聞かせてもらいましたよ、父上」
「……聞かせた覚えはない。部屋に戻れ。そして夕食まで出てくるな、フリードリヒ」
仮面の貴公子……一体何者なんだ(早い




