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「──と、言うわけだ。ここより南の領地から王都へやってきた学生なんかは、実家よりも王都の方が暖かい事は実感出来たんじゃないかと思う。逆に北から来た学生は王都の寒さに驚いたかもしれないな。
そう北から来た学生はな! 北から来た、なんてな! はっはっは!」
今、授業をしてくれているのは王国の地理や歴史、国全体や各領地の制度などの科目を担当している老齢の教師だ。いわゆる社会科の授業である。
北から来た学生と言うと私がその筆頭になるだろう。マルゴー領はインテリオラ王国最北の辺境にある。
もっとも王都の寒さに驚いたというのは確かだとしても、それは気温ではなくダジャレのセンスの事だが。
いかなる理由か不明だが、私は外気温に対しては意外なほど高い耐性がある。どれだけ暑くても汗はほとんど掻かないし、どれだけ寒くても薄着で活動できる。
彼の、北から来た学生が王都を寒く感じるという言葉の通り、この国では北に行くほど気温が暖かくなる傾向にある。
もしこの大地が球体であり、空に浮かぶ太陽の周りを公転している惑星であるならば、つまりインテリオラ王国は南半球に存在している事になる。
そういう概念があるとかは聞いた事がないので、実際のところはどうかはわからない。魔法やスキルのある世界だし、巨大な皿の上に水を張っただけの海に大陸が浮かんでいるという可能性もある。あるいは巨カメや巨人が大地を支えているだとか。
とにかくこの大陸では北が暖かく、南が寒い。
ギルバートの実家のアングルス領もそうだった。そこからさらに南下していくと、年中雪が解けないような場所なんかもあるらしい。南のメリディエス王国では農業に適した土地はかなり狭いという話だ。
「……んふふ。ねえ聞いた? 北から来たっ……ミセルさん……! 北から来たですって……! んふふふふ」
珊瑚の髪を揺らしてグレーテルが笑う。
見れば、教室の中も全体の半分くらいの学生が笑顔を浮かべている。
生まれた時から貴族教育を受けているだろう彼らだ。その笑顔が本心からのものなのかはわからないが、少なくともつまらない顔をしている者はいない。
この国の一般的な笑いのツボは私とはちょっと違うようだ。
その光景に気を良くした社会科の教師は、さらに滑りのよくなった口で軽妙に解説を続けた。
北の魔の領域の脅威についても触れるかと思ったが、この日はそこまではいかなかった。
しかし担任のフランツは以前、さも自分が教えるかのような言い方をしていたが、実際に教鞭をとっているのは社会科の担当教師だ。何か騙されたような気分になった。
◇
新入生たちが皆学園に慣れた頃、全学年合同の野外学習が行われる旨が通知された。
王都近郊の自然豊かな森へ行き、そこで班ごとに分かれて、地図を片手に指定された目的地を目指すというものだ。いわゆるオリエンテーリングである。
ただし前世のものと違ってコンパスなどは支給されない。というか、方位磁石やコンパスは見た事がない。しかし代わりにそういう魔法は存在していて、それは今回も使用してよい事になっている。
王都近郊なので魔物はいない。さらに予め騎士団によって調査が行われ、ハグレの魔物が居たとしても全て狩りつくされている。
自然の森なので野生動物はいるものの、大型の肉食動物などもいない。
木々は自然のまま残されているため、安全に自然の中で訓練をするには最適な環境が整えられている。
よく手入れされた森ならばともかく、自然の森では木々に太陽が覆い隠され、方角を見失ってしまう事がある。
そんな時に力を発揮するのがコンパスであり、方角を知るための魔法だ。
これは難易度も高くないし危険もないので、自分の魔力感知が出来るようになった新入生たちは最初に教わっていた。
座学だったので私も覚える事が出来た。
初めての魔法だ。
発動させると何となく方角がわかるようになるだけの地味な物だが、マルゴーの地では魔法が使えるようになって一人前という風潮がある。実家で働く使用人たちが、これでうちの子供もようやく一人前だとかそんな話をしているのを耳にした事がある。
つまりこれで私も一人前ということだ。
婚約や結婚の予定がない私は3年したら領地に戻る事になる。
それまでにマルゴーの者として恥ずかしくない能力を身につけておくべきだろう。
いつまでも家の威光と外見の美しさにのみ頼っているのは、逆に美しくないと思えるからだ。
家族からはひとりで魔法を使うのを禁じられているし、というかそもそも教えてもらえなかったし、学園の実技も家の意向で見学という話なので参加できないが、その制限に引っ掛からない範囲でなら魔法を習得する事も出来る。
戦闘用でない魔法も、使い方次第では何かの役に立てられるかもしれない。
しかし何事もまずは基本。
この方角探知の魔法を使い、オリエンテーリングを成功させてみせる。
と考えていたのだが、私とグレーテルは当然のように見学だった。
オリエンテーリングも野外で行なう立派な実技だからだ。当たり前だった。
私たちがすることといえば、ゴール地点で担任のフランツと治癒士のルーサーとただ待っているだけである。当然学生たちが頑張る姿も見られない。これでは見学ですらない。
さらに式典で倒れかけた私を気遣ってか、私とグレーテルの待機場所には立派な天幕が用意され、魔導具らしきアイテムが常に新鮮で快適な空気を循環させてくれている。大自然の中にありながら、この天幕は何不自由のない素敵な空間を演出している。ちょっとしたバカンスかな。
「お身体は大丈夫ですか、マルグレーテ嬢、ミセリア嬢。何かあったらすぐに言って下さいね」
天幕の外からフランツが声をかけてくれた。
彼は教師としての責任があるからと天幕の中には入ろうとしない。
さらに、私たちの体調を慮り、天幕の近くに常に待機してくれている。
せめて木陰にいてくれればいいのだが、天幕を設置する関係上、ある程度視界の開けた場所が必要だったため、森の木々とは少し離れた場所になってしまっている。
ルーサーは天幕に入りたがっていたようだったが、未婚の女性が2人だけでいる密閉空間の中に男性が入るのはいかがなものか、とフランツに説教されて諦めていた。今はフランツと2人で外に立っている。
「私たちは問題ありませんが、フランツ先生が心配です。あまり、直射日光を浴び続けるのは……」
頭皮によろしくありませんよ。
「ご心配なく。私はこれでも王立学園の教師です。日光程度で不調になるほど軟ではないつもりです。
……ミセリア嬢は、やはりご自身の容姿が関わらない事については、普通にお優しいですね。その心根は大切になさってください」
「……え、僕の心配は?」
ルーサーの髪は丈夫そうだったので心配はいらないと思う。
しかし自らの将来──の豊かな頭髪──を犠牲にしてでも病弱な学生に付き合うなど、優しいのはフランツの方だ。やはりいい先生である。
しかし、私の容姿が関わる事については優しくないかのような言い方は少々気になった。
その部分こそ、私も意識して最も謙虚に振る舞っている部分だからだ。謙虚さは他者に対する優しさを生む。かくあれかしと常日頃から気をつけているつもりなのだが。
「教師陣の想定では、昼を少し回ったくらいの頃には最も早い班がここへ来るだろうとの事です。
すみませんが、両ご令嬢にはゴールした班への労いをお願いしたい。病弱である事は承知していますが、ひとつのカリキュラムに全く関わらせないというのも問題だという意見もありまして。
そこでせめて、成果を出した学生を労っていただけたらと」
もちろん私たちの体調は問題ない。
私とグレーテルは二つ返事で了承した。
要は頑張った学生に私たちの美貌をもって癒しを与える仕事ということだ。
実に私たち向きの役回りである。
「はやく第一号さんが来るといいですね、グレーテル」
「……はぁ。そうね」
「どうしたんですか?」
「この行事、全学年合同なのよね。一応能力だけは優秀だから、どんな班分けをされていたとしても多分トップでここにくるのはお兄様よ」
「ゲルハルト学生会長閣下先輩は能力だけでなく、容姿も高レベルですよ」
「え、私の方が可愛いし」
「それはまあ、そうですが」
最初に見かけたときはそれほど仲が悪い様子には見えなかったのだが、最近は顔を合わせると張り合うように言い争いをしている事が多い。
グレーテルの反抗期だろうか。
せっかくの兄弟なのだし仲良くしてほしいものだが、性別の違う兄弟というのはいろいろと難しいものかもしれない。
いや性別は同じだった。いやいやだからこそ難しいのか。
しかし正午を過ぎ、しばらく経ち、日が傾き始める頃になっても、誰もゴール地点にやってくる気配はなかったのだった。
行事で事件が起きたという恒例のイベントなのに蚊帳の外にいる主人公。蚊帳っていうかテントの中にはいるけど。




