17-8
しばらく窓越しにサクラが遊んでいるのを眺めていたが、やがて私の馬車の反対側に行ってしまったので窓から視線を離した。
すると、私を見つめるシェキナと目が合った。
「あちらがミセリア様の天使でしょうか。馬型というのは珍しいですね。お名前は何と申されるのですか? やはりミカエル様ですか?」
何言ってんだこいつ。
相変わらず話が通じないやつである。
もう一から十まで言ってる事がわからない。誰だよミカエル。シェキナの友達だろうか。なんで自分の友だちの名前を私が馬に付けると思うのか。ちょっと不思議ちゃん入ってるなシェキナ。
「ええと、ご覧の通り、あの子はただの馬ですよ。まあちょっとだけ、体が大きめで力も強めで頭も賢めですけど。あ、あと気性も荒めかも。角も気持ち多めかもですね。
なので、天使とかではありません。私のペットです。名前はサクラです」
「ペット……。そうですか、ただのペットでさえもあれほどの……。……角?」
しまった角を隠すために大仰な鎧を着せているんだった。まあいいか。恐竜が進化して直立二足歩行をしているファンタジーに比べれば、馬に角が生えている程度なら十分リアルの範疇だろう。
しかし、意外だ。
シェキナはどうやら、馬を天使と見紛うほどに好きらしい。
前世でも馬が好きだという人は一定数いたので、この世界でもそうなのだろう。
特にサクラは普通の馬より凛々しく逞しい。馬好きでなくとも目を奪われる、まさに自然が生み出した美の極地のひとつと言えるだろう。
「サクラが気になるのでしたら、あとで撫でてもいいですよ。私から言っておきます」
「いえ、そういう事は別に」
ええ、なんなの。
◇
ややあって、馬車の外の恐竜人たちの悲鳴が収まる。
これは悲鳴を上げさせた相手を恐竜人たちが倒したわけではなく、単純に悲鳴を上げる者が誰もいなくなったからだ。
カーテンを開けて外を見てみれば、大地は赤く血に染まり、血と土で出来た赤黒い泥の中にボコボコになった鎧や焼く前のハンバーグのようなものがいくつも埋もれている。
血の花は馬車から離れたところにも見えるので、逃げようとした恐竜人も追いかけて踏み潰したのだろう。
同じく反対側の窓から外を眺めつつ、シェキナが言った。
「……あれほどわたくしの騎士団を悩ませた竜人たちも……こうなってしまっては、もはや魔物の餌ですね」
騎士団を悩ませた、って、言うほど悩む要素なんてあるかな。魔力を持たないからいまいち強さがわからないが、サクラ一頭でこの有様なら恐竜人はおそらくマルゴーのゴブリンと大差ないレベルだと思うのだが。
群れをなして襲ってくるとしても、ゴブリンの群れにだって王が生まれれば似たような事は起きるものだし、マルゴーでは定例行事のひとつに過ぎない。今はそのスパンが長くなったので父も暇になっているが。
マルゴーには騎兵はほとんどいないので、ゴブリンを蹂躙するのは主に人間の兵たちだが、人間に出来るなら馬にだって出来るだろう。私が知らないだけで、きっとマルゴーでも普段から野生の馬に蹴られて血煙になっているゴブリンがいるに違いない。
「もしかして、聖シェキナ神国は馬が少ないのでしょうか」
「……何故突然我が国の馬の数の話になるのかわかりませんが、おっしゃる通り、我が国では馬は騎士の一部が乗る分しか飼っておりません。維持にも資源がかかりますし、平時はそれほど必要ありませんから」
聖堂騎士団は騎兵が中心ではないらしい。
まあ名前からして大聖堂を守るのが職務なのだろうし、騎兵は防御より攻撃に向いているので合理的ではある。
「なるほど。馬って結構食べますし飲みますからね」
私は窓の外に視線を戻しながら言った。
サクラの姿は見えない。馬車の反対側かな。
馬を生かすためには飼い葉だけでなく、水も大量に必要だ。飼い葉を始めとする飼料を育てるのにも大量の水が必要であることを考えると、畜産というのがいかに水を消費する産業なのかが伺える。
聖シェキナ神国は狭い国土に応じた水源しか持っていない。
馬を育てるのも難しければ、外部から大量に購入して維持するのも難しいのだろう。
「……確かに、馬は食べますし飲みますが……それは普通の水であったり、植物であったりなのでは……」
シェキナが反対側の窓を見ながら何か呟いていた。
◇
静かになってからまたしばらくの時間を経て、やがて馬車が再び動き始めた。
周辺に散らばる、馬車の運行を妨げる恐れのある異物を除去したりしていたらしい。
それとあとから聞いたのだが、馬が怖がって動こうとしなかったからという理由もあったようだ。これはサクラが丁寧に説得することでわかってくれたという。アマンダから含み笑いと共に教えてもらった。
それから私の方の馬車の御者も体調不良になったとかで、『悪魔』と交代したようだった。
御者役の『悪魔』の性格なのか、それとも馬たちに何か思うところがあったのかはわからないが、馬車はそれまでよりも遥かに速いスピードで未舗装の街道をひた走る。
後ろから付いてきているはずの大型馬車もあのままアマンダに御者を交代している。
こんな事なら最初から『悪魔』とアマンダに御者をしてもらえばよかった。
車内ではシェキナが座席と自分の尻の間に手を差し込み、辛そうな表情を浮かべている。
スピードが上がったことで、これまでとは比較にならない振動がダイレクトに伝わってきて辛いのだろう。
ちなみに私のお尻の下にはボンジリが魔法で作った透明な何かが挟まれており、それが振動を完全に吸収してくれている。空気で出来たクッションみたいなものだろうか。
つまり空気椅子だ。
空気椅子というと、体育系の部活動などでは辛いメニューの代名詞だった。グラウンドを使う部活動が雨の日なんかに渡り廊下に並んでやっていたのを思い出す。今もやってるのかなああいうの。
シェキナが不審そうな目で見てくるが、私も辛いと噂の空気椅子で頑張っているのだ。




