2-12
「──入学初日から騒ぎを起こすのは感心しませんね」
担任のフランツだった。
彼は私が避けた手袋を拾い上げ、ユールヒェンに差し出しながら言った。
「ユールヒェン嬢。貴女の主張は筋が通っていないばかりで、地方の貴族に対する単なる誹謗中傷にしかなっていません。具体的にどう思い違いをしているかはおいおい授業でやっていきますが……。
それから問題なのは貴女もですね、ミセリア嬢。最初はユールヒェン嬢を止めるつもりで聞いていたのですが、貴方の態度もいたずらに相手の神経を逆撫でするだけで、とてもエレガントなやり方には思えません。あれでは彼女が怒るのも無理はない」
私が美しいのは真理だが、それをはっきり突きつけるのはエレガントではない、ということだろうか。
確かに、前世には、いかに正しい証拠品でも間違ったタイミングで突きつけてもまったく効果がない、というような感じのゲームがあったような気がする。あと、突きつける前に揺さぶったりするのも重要だったような気がする。うろ覚えだが。
前世の事はうっすらとしか覚えていないし、今世でも私にはそういう対人スキルはまだ備わっていない。
対人関係についてはまだまだ精進が必要だ。
しかし今は未熟だとしても、これから学園でそうした部分も学んでいくことが出来るだろう。
美しさだけではだめなのだ。今の私では、この場を無難に切り抜ける事は出来なかった。
そう考えた私は仲裁に入ってくれたフランツに謝った。
「お騒がせして申し訳ありません、フランツ先生。私が浅慮でした。これから学園でよく学んでいきたいと思いますので、よろしくご教授くださいますか?」
「……確かに殊勝は殊勝な態度なんですが、何となくズレているような、微妙に納得いかない何かを感じるような気がしますね。
それはそうと、職務ですので私に謝る必要はありません。謝るのであればユールヒェン嬢にでしょう。それとユールヒェン嬢。貴女の言い分についてどうなのかはいずれ授業でやりますので、その授業を受けた後に謝るべきか判断して下さい。ただ、それとは別に貴女の言い方も最初からミセリア嬢を攻撃しようという意図が透けて見えるものでした。それについては今謝罪してください」
これまで周りの人々に可愛い可愛いと言われ続けてきただろう彼女たちである。
初対面の人間に「私の方が美しくてごめんなさい」などと言われたらそれは腹に据えかねる事だろう。
もし私が彼女たちの立場だったら──まあ私より美しい存在など想像出来ないので本当の意味で心中を察する事は出来ないが、きっと不快な気分になるに違いない。
フランツは喧嘩両成敗といった様子で、私たちにお互いに謝るように言っている。
私はフランツのそんな教育者としての意志を汲み取り、ユールヒェンが謝りやすいよう先に謝る事にした。
「申し訳ありません、ユールヒェン様。自分の美貌を鼻にかけるかのような無神経な発言でした」
「こ、この──! どこまで……!」
「ミセリア嬢、その言いようは……まあ、それも後日お話しましょうか。
ユールヒェン嬢。相手は謝りましたよ、一応」
「ぐっ……。も、申し訳ありませんでした。ミセリア様。辺境伯を侮辱するかのような発言でした……」
するかのようなというかはっきり侮辱ではあったが、それについては特に思うところはない。
我がマルゴー家は魔物以外に対しては寛容なのだ。魔物に対するよりは比較的。
「よろしい。さて、ではこれでひとまず今日のところは決着ということにしておいてください。お互い遺恨はあるでしょうが、それはこれからの長い学園生活でゆっくりと解消していって下さい。もちろん、教師として私も手を貸しましょう。
それからユールヒェン嬢。本来、決闘の手袋というものは決して撤回する事が出来ません。貴族の誇りを懸けるものだからです。今回は私の教室内の事ですし見なかった事にしますが、今後はみだりにそのような事をしてはいけませんよ」
フランツに宥められ、その場は一旦収まったものの、ユールヒェンは終始私を睨んだままだった。
◇
「……初日から波乱万丈ですね、お嬢様」
「そうですね。ルーサー様と再会した事は予想外でした」
「そちらの話ではありませんが……まあ、お嬢様ですからね」
その日の夜、ゲルハルトへの礼状を書いてもらうため、ディーに式典会場で起きた一部始終を伝えた。
ついでに式典終了後に教室で起きた一幕についても話しておいた。
「タベルナリウス侯爵といえば、この王都では知らない者がいないほどの有力貴族ですね。領地を持たない貴族ですが、商会の経営で成功しています。侯爵に資金を融通してもらっている貴族もかなりいるようで、その影響力、発言力は王族に連なる公爵家をも凌ぐほどだとか」
ユールヒェンの名前を出したところ、ディーがそう補足してくれた。
王都で得られる社交界の情報をどこかから入手してくれているようだ。
私の知る限り、王都に来てからディーはほとんど私の側に控えていたはずなのだが、いつの間に調べたのだろう。
「ただ、事業を軌道に乗せるまではかなり苦労をしたようで、そのせいか領地を持つ地方の貴族に対して強いコンプレックスを持っているようです。領地貴族は普通にやっていれば飢える事はありませんが、領地を持たない貴族が仕事を失った末路はひどいものだと聞きますから。
現在は官職を金銭で購入したようで文官としての地位も持っておりますが、あくまで実務は部下に任せ、侯爵自身は商会の経営に注力しているようですね」
インテリオラ王国では官職の売買は法律で禁じられている。
それを許せば世襲を禁じている意味がなくなり、腐敗の温床にもなるだろうから当然だ。
普通に考えればタベルナリウス侯爵家のトップシークレットのはずだが、なぜ知っているのか。
そう聞いてみるとディーは何でもないように答えた。
「公然の秘密というやつですね。明らかにそうとしか考えられないが、証拠がないので咎められない状態です。ですので不確定情報ではありますが、たぶん間違いない事だと思いましたので報告しました」
言われてみればディーは、購入したようだ、としか言ってなかった。
しかし報告の内容に主観が混じるのは良くない。
「申し訳ありません。以降は確定情報と推定情報は分けて報告いたします」
しかしそうなると、以前にグレーテルが言っていた地方貴族の予算を削るよう主張している貴族たち。その首魁というのはタベルナリウス侯爵と見て間違いなさそうである。
今日ユールヒェンが言っていたマルゴーに対する中傷も親に吹き込まれたものだろう。
あれについては私が言っても聞かないだろうし、フランツ始め学園の教師陣が教育してくれるだろうから構わないが、だとするとユールヒェンもああ見えて親の言う事をよく聞く素直な令嬢なのかもしれない。
なんだろう、初めて私の交友関係に「普通の人」が加わったような気がする。
惜しむらくは相手側に敵視されてしまっている状況であることか。
◇
翌日から本格的に始まった授業は、どれも興味深いものだった。
いくつかは実家で教育を受けた事のあるものだったが、もちろんそうでない物もある。またすでに知っている内容のものも、周りの反応を見る事で客観的に自分の理解度を確認する事が出来た。
それは周りの学生たちも同様のようで、よく理解しているらしい雰囲気を出している学生のところへは何人かの学生が授業の質問などをする光景も見受けられた。その輪の中にはユールヒェンや取り巻きたちもいる。やはり根は真面目な子たちらしい。
しかしながら、そんな中でも私とグレーテルはふたりぼっちだった。誰も話しかけてこない。それどころか、目も合わせられない。
「……これってあれよね。私たちの美貌と高貴すぎる血筋に気後れしちゃってる感じなのよねきっと」
目が合わないという事は誰も私たちを視界に入れようとしていないという事だ。
この美しさを見ずに一日を終えてしまうとは、彼らはなぜそんな勿体ない事が出来るのだろうか。私だったら耐えられない。用事が無ければ一日中鏡の前から動きたくないほどだというのに。
さすがに教室の中でそんな事をするわけにはいかないが。
なので次善の策として仕方なく、隣のグレーテルで我慢する事にした。
「……何見てるのよ。自意識過剰とか言いたいの? 言っておくけれどあれは貴女が──」
「いいえ。非常に正しい認識だと思います。今見ているのは、目の保養のためです」
「目の保養!? そ、そんなの、自分の顔でも見てたら?」
そうしていたいのは山々だが、始めると止められなくなるかもしれない。休憩時間は無限ではない。
いつでも授業に戻れるように、最高の美ではなく二番目か三番目の美で留めておく必要がある。
「今はグレーテルを見ていたいんです」
「なんっ……! あ、貴女ね、急にそんな……。その、抵抗とかないの? 性別の壁とか……」
男の顔など見て何が楽しいのかという意味だろうか。
確かに、一般的に言えば男性よりも女性の方が見目麗しい場合がほとんどだ。
これは純粋に造形の問題もあるかもしれないが、それ以上に意識の違いが大きいと私は思っている。
女性は男性よりも自分自身の容姿に対する意識が高い傾向にある。それは当然日々の行動にも表れてくるし、それが女性の美しさを構築する重要なファクターのひとつになっている。
もちろん男性の中にもそうした事に気を使う者もいる。世の美しい男性のほとんどはそうだろう。
中には、何もしなくても最初からある程度美しい連中もいるが。私の兄とか。父はたぶんケアしていると思う。正確に言うと母にやらされているはず。
そういう意味では私とグレーテルにとって性別など関係ない。
美しいという真理の前では些細な事だ。
「私たちにとっては、性別なんて大した問題じゃないでしょう」
「そ、そう……貴女が言うなら……」
それから授業が始まるまで私とグレーテルは黙って見つめ合っていた。
クラスメイトと交流出来ないのは残念だが、実に有意義な時間だった。
◇◇◇
「……ねえ、見て。また王女様とマルゴーさんがイチャイチャしてる……」
「……おいあんまり見るなよ。あれに慣れると鏡を見るのが辛くなるぞ」
「……どういう意味よそれ……」
「……授業の様子見てる限りじゃ、あの2人ってたぶんトップクラスに成績いいよな。出来れば色々話してみたいが……」
「……これまで社交界には一切出て来られなかった方たちだし、これを機にお近づきになりたいけど、邪魔をするのも……」
「……なんなんですの、あの娘……! 男でも女でもどちらでも構わないって事……!?」
煌めく珊瑚の姫様の登場と、その姫様との関係をある程度固めたということで、二章はここで終了とします。
全く冒険しなかったな(
次回からは三章ですね。
ところで、この後書きを書いているのは2021年の4月22日です。投稿予定もこの日ですね。
実はこの日は、2021年が始まってから111日目になるんですよ。閏年でない年はいつもそうなんですけど。
この「111」のように上の位から読んでも下の位から読んでも同じ並びになる数字を回文数と呼びます。
「しんぶんし」とかの回文の数字版ですね。「世の中ね、顔かお金かなのよ」とか割と好きな回文です。
さらにそんな回文数の中にあって、特にこの111は平方数(自乗した数)も立方数(3乗した数)も回文数になる珍しい数字です。111の平方数と立方数はそれぞれ12321と1367631です。ちゃんと回文数になってますね。
これを満たす回文数としては他に1、2、11、101などがあり、111は若い順に5番目となります。ちなみに次の6番目は1001です。
ん?5番目……5……?
そういえば、この下の方に5つの星があったような(強引




