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本モドキを抜き出してみると、想定される重さよりも少し軽い気がする。
と言っても明らかに違うほどではなく、私がこの本が怪しいと感じているからそう思えるだけかもしれないという些細な違いではある。
本には鍵がかかっていた。
硬い表紙に短い革のベルトが縫い付けられていて、そのベルトで表と裏の表紙が繋がれているのだ。
鍵を外さなければベルトの拘束を解くことは出来ない。
「……鍵探しからか。居眠りしている間に出来るか……? 肌身離さず持っているとすれば、理事長の体をまさぐらなければならんが……。よもやご令嬢にやらせるわけにもいかんし、私がやるのか……」
タベルナリウス侯爵が嫌そうな顔をする。
脂ぎったオッサンが脂ぎったオッサンの体をまさぐるとか、確かに誰得ではある。
しかし一方で、怖いもの見たさのような不思議な感覚もある。
「時間でしたら心配ないでしょう。理事長閣下なら目覚めてもまた寝てもらえばいいだけですし、外の方々はおそらく部屋には入ってきません」
何しろ外の彼らにとっては、私がこの理事長室にいる状態こそが正しい状態であるのだ。いくら時間が経とうとも、それを理由に押し入る事はない。
ただ、関係者以外立入禁止の扉の向こうには関係者であれば無限に入れても良いみたいな【説得】はしてしまったので、他の正規の関係者が訪れればそれも問題なく入れてしまう。
おそらく、例え理事長が来客中でも構わず通すだろう。それこそ何十人と押しかけてきても、それが関係者であれば止めはしないはずだ。
何なら私と同じような「関係者の同行者」も関係者オブ関係者ということで通してしまう可能性もある。
ちょっとセキュリティをガバガバにしすぎてしまったかもしれない。
世の中のだいたいの事に言えるのだが、一度ガバガバにしてしまったものを再び引き締めるのは難しい。
今は都合がいいが、用が済んだらどうしよう。
まあ他人事だし別にいいかな。
それより今は本モドキの鍵だ。
「申し訳ありませんが侯爵──」
本を軽く持ち上げ、鍵の捜索についてお願いしようと声をかけようとした時。
「ぴぃ」
胸元からボンジリが顔を出し、鳴いた。
その瞬間、ぱちんと小さな音が聞こえ、手に持った本に違和感を覚えた。
なんだろうと見てみると、革のベルトがいつの間にか切られてだらりと垂れていた。
その切り口は非常に鋭利で、刃物で革を切った時特有の断面のヨレのようなものは一切見られない。
風系の魔法、でも無いな。なんだこれ。空間系かな。
「……どうやら鍵を探す必要は無くなったみたいです。手間が省けてよかったですね侯爵」
「歳の割に随分と、まあなんだ、ふくよかだと思っていたら、ヒヨコがいたのか。ヒヨ……ヒヨコか? それ。なんか大きくないか? そのサイズでその等身のヒヨコなんているのか……?」
ボンジリはかなり大きくなってきているが、全体的なシルエットは尻尾の生えたヒヨコのままだ。侯爵の言う通り、ヒヨコの等身を保ったまま大きくなっているので、すでにして普通のニワトリよりも頭が大きい。頭だけならニワトリの倍くらいある。
ボンジリの賢さはこの頭の大きさから来ているのかもしれない。その分脳も大きいだろうし。いや、脳はたぶん2つあるから頭の大きさ以上に脳の容量は多いかも。
「マルゴーのヒヨコはみんなこんなものですよ」
今の所、私が知る限りでは100%そうだ。
まあマルゴーのヒヨコというと私はボンジリしか知らないのだが。
「……まあ、いいか。それより、ミセリア嬢が急に魔法など使うから、ヒヨコが驚いてしまっているようだぞ。私もだが。魔法を使うのなら言ってほしかったものだな」
いや魔法を使ったのは私ではなくボンジリです。たぶん。
しかしそれを言っても信じてもらえない気がしたので黙っておいた。
「それよりも、侯爵。中を確認してみましょう」
封が解かれた本モドキを侯爵に手渡す。
中に何が入っているのか知らないが、門外漢の私が見るより侯爵が見た方がいい。
侯爵が本モドキを開くと、本の中が器用にくり抜かれているのが見えた。
そしてそこにぴったりとはまり込む形でもう一冊本が入っている。
その一回り小さな本は、うっすらと魔力を帯びていた。
なるほど、外側の本モドキには鍵だけでなく、中の物を魔法的な探知から守る仕掛けも施されていたらしい。
それを開いたことで中に封じられていた本の魔力が私にも感知できるようになったというわけだ。
ただ、敏感な一部の魔物とかならともかく普通の人は見ただけで魔力の動きを察知できるようなことはないので、敢えて口に出して言ったりはしない。
外側の本モドキは探知系の魔導具かスキル持ち対策だろう。この部屋に入る時点で関係者に限られているはずだが、その上でこんな仕掛けを施しているとは随分と用心深いことだ。
もしかしたら理事長も商人ギルド内部に敵が多いのかも知れない。
なぜもっと仲良く出来ないのか。商人ギルドということは経営者と営業職しかいないと思うのだが、なんかコミュ障ばっかりだな。
「……む。魔法的な封でもかけられているのか? 中の本は開かんようだ」
「え、そうなのですか? ちょっと見せてくださいますか?」
侯爵から中身を受け取る。
魔力を抜き取って無効化してやろうかと思ったのだが、封印系の魔法やスキルは擬似的に「封じる」という意思が込められているらしく、代償なしでは【貪り喰らうもの】では抜き取れなかった。
「外側のものより一回り小さい本ですね」
「当たり前だろう。中に入っていたのだから」
その通り。当たり前だ。
つまりそれは真実である。
私は小声でスキル名をつぶやき、真実を伝えることと引き換えに小さな本から魔力を抜き取った。
ぺり、と乾いた音を立てて本が開く。
「何かが貼り付いていただけみたいですね。書いた人のヨダレでしょうか」
「嫌な事を言うな。まあしかし、すぐに開いたのならそうなのかもしれんな。どれ、貸してみなさい」
再び侯爵に本を手渡す。
改めて本を開いた侯爵はまたしばしの間それを読むことに注力していたが、さすがの私も今度は大人しく待っていた。
やがて本を読み終わった侯爵は顔を上げ、実に人の悪そうな笑みを浮かべた。
心根のまっすぐなユリアとは全く似ても似つかない。失礼ながら本当に侯爵の娘なのかな。




