16-6
ギルド憲章というものが何なのか、私は寡聞にして知らないが、言葉の意味から推察するにギルド内部の規約や規範を記したものだろう。
どうやら職人ギルドだけではなく、商人ギルドでも規約の変更があったらしい。
まるで用意されていたかのように、重厚な机の引き出しから取り出された質の良さそうな紙を受け取ったタベルナリウス侯爵は、それにざっと目を通した。あの紙に憲章が書きつけてあるのか。
侯爵は何度か紙を上から下まで見ていたようだったが、やがて上の方から眼球を左右に動かし始めた。ざっと見たけどわからなかったから上から順によく読む事にしたらしい。
侯爵が紙にかかりきりになっている間、手持ち無沙汰の私は部屋の中を観察することにした。
商人ギルドの偉そうな男性はそんな私を警戒してか、こちらから視線を外すことはない。
まあ見られていたところで別に問題があるわけではない。ここは彼の部屋なのだし執務をしようがいかがわしい事をしようが、世界一美しい存在を見つめようが彼の自由だ。
一方で私は関係者の中の関係者であるため、私がここで行動することもまた私の自由であると言える。
その事はすでに宣言してあるし、この偉そうな彼も強く否定はしなかったので承諾済みと考えていい。
私は視線を無視してとりあえず本棚に向かい、そこに収められている背表紙を眺めた。
「……許可なく他人の部屋を探るのはあまり品の良い行ないとは言えないと思うのだがね」
「ああ、どうぞお構いなく。私としましても、来客を持て成そうともしない無礼については気にしないことにします。お互い様ですね。貴方とは気が合いそうです」
心にも無いおべんちゃらを適当に並べる。
この男性が誰なのかは誰も紹介しようとしないので未だに名前すら知らないのだが、商人ギルドの偉い人であるのならこれから顔を合わせる機会も増えるだろう。
私も一端の事業主になるのだし、おべんちゃらくらい使えなければ雇い入れた従業員にも申し訳ないというものだ。
美しさだけでなく商人としての才能の片鱗も見せつけてしまったかもしれない。
が、背後からは偉そうな男性の舌打ちが返ってきた。なんだ、おべんちゃらを使ったのにお気に召さなかったのかな。
やはりこの男性とは文化が違うようだ。
そんな男性の文化を理解するためにも、ここの蔵書は見ておいて損はない。
私は彼の舌打ちや苛立たしげな空気は気にせず、本棚に視線を滑らせた。
と、そこで一瞬何かしらの違和感に視線が引っかかった。
なんだろう、と注意深く見てみたところ、並んでいる本の中で一冊だけ、違和感がある物がある。
というか本じゃないなこれ。
精巧に作られてはいるが本に見せかけた別の何かだ。
ゲームや小説なんかでよくある鑑定能力があるわけではないが、大量の本の中にあってこれだけは本でないという事実が何となく感じられた。
気になった私は迷わずその本モドキに指をかける。
「──ま、待て! 貴様、やはりあれが狙いだったか! ふざけるなよタベルナリウス!」
その瞬間、男性は勢いよく立ち上がり、私の方へ駆けてきた。
私がこの部屋に入ったのは何てことない好奇心からで、本棚を見ていたのは暇潰しで、手にとった本モドキは私の目には目立って見えたからなので、特に何かを狙って行動したわけではない。
しかも何故か自動的にタベルナリウス侯爵のせいにされている。
なんなんだ。
察するに、この偉そうな男性にとって、この本モドキはタベルナリウス侯爵に狙われるだけの十分な理由があるということだろうか。
そこまで言われてしまっては私のささやかな好奇心も刺激されてしまう。
とは言え、人の部屋のものを勝手に漁るのはさすがに淑女の行ないではない。
一応許可だけ取っておこうかなと振り返ると、偉そうな男性はすでにディーに投げ飛ばされて目を回していた。
何でいきなり投げ飛ばしてるのか。
聞いてみたら、許可なく私に近付いたから、だそうだ。
お互いの無礼についてはこの際痛み分けで不問とすると合意しているので、近付いただけでノシてしまうのはやりすぎだ。
しかしこれは私の従者であるディーが私のためにやったこと。
となれば、彼の目が覚めたら私が謝罪する必要があるだろう。
「……なぜ、私がほんの少し目を離していた隙に理事長が目を回しているのだね」
タベルナリウス侯爵が憲章から顔を上げて呆れた様子でこちらを見ている。
「理事長、とは?」
「そこで寝ている男だ。彼は商人ギルドの理事長だよ。今ギルドで一番偉い人物と言っていい。合議制だから彼1人で好きなように出来る訳ではないがな」
「そうだったのですね。彼とはなんというか、お互いの文化の違いから不幸な行き違いがあったようで……。結果的にこうなりました。過程については私も見ていたわけではないのでよく知りません」
「私はお嬢様のために為すべき事を為しただけなので、やましいことは一切ありません」
「……なんだ。私が後見につかずとも、すでに十分商人らしい言い回しが出来るではないか。
まあ、それはともかくだ」
侯爵は手に持っていた上等な紙を上下に揺すりながら言う。
「これについての詳しい話はそこで寝ている男から聞きたかったのだがな。聞けないのならば仕方がない。
改訂の内容は、理事の解任動議についてだ。これまでは全会一致でなければ認められなかった、つまり理事本人が辞めるつもりでなければ解任される事はなかったのだが、それが変更され、全理事の4分の3の賛成があれば解任出来る事になった。
私と私の派閥の理事が居ない間にこれが改訂されていた事を考えると、目的は明らかだな……」
聞いてないのにそんな話をされても、と一瞬思ったが、彼の言う通りであれば侯爵は遠からず解任されることになるのだろう。
ていうか侯爵理事だったのか。それさえ聞いてなかった。
それにしても、少し前には子飼いだったはずの貴族に反逆されて訴えられ、今度は別の勢力が結託して引きずり下ろしにかかるとは。
友達がいないにもほどがある。
特にそういう証言は無かったと思うが、タイミングからすると侯爵を裏切った何とかいう伯爵もギルド内の他勢力に唆されての行動だったのかもしれない。
「……侯爵閣下、敵多すぎでは? もう少し、周りに配慮して生活されたほうがよろしいかと」
「君の家にだけは言われたくないがな!
──まあ、そういうわけで、どうやら私がこれ以上君の起業の手助けをするのは難しいようだ。
ところがそう謝ろうと顔を上げてみれば、部屋の主である理事長は仕事中に居眠りをしているじゃないか。私もいずれ解任される身だとしても、今の私が商人ギルドの理事である事は間違いない。居眠りをしてしまっている理事長の代わりに溜まった仕事を片付けてやるのもいいだろう。
理事長はどうやら、君が手に取ろうとしていたその本にいたく執着しているようだ。きっと仕事に重要な資料が関係しているに違いないから、まずは調べてみようじゃないか」




