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式典が終わると父兄とは別れ、学生一同は教室へと通された。
ここで父兄は帰される。誰も来ていない私達には関係ないが。
使用人を連れている学生は教室前まで使用人を連れていけるが、使用人は教室には入れない。
教室、というかクラス分けは学年と階級によって決められており、1学年につき2クラスある。
王家、公爵家、侯爵家、伯爵家の子女が在籍する第一クラスと、子爵家、男爵家、準男爵家、裕福な平民が在籍する第二クラスだ。
私とグレーテルは当然第一クラスである。
第二クラスの教室の隣が使用人の控室になっているため、そこへディーたちを放り込んで第一クラスの教室に入り、決められた席につく。
いかなる力が働いた結果か、私とグレーテルの席は教室の一番うしろで隣同士だった。
正直に言って今日のドレスは座ったりするためのものではないので座りたくない。
と思っていたら今日は立ったままでいいらしい。
明日の持ち物など、簡単な連絡事項を聞いたら解散だということだ。
本当に入学式なのだなあと不思議な懐かしさを感じた。
「──さて、では皆さんお揃いですね。空いている席はありませんか」
学生たちが全員教室に入ったのを見計らい、後から入ってきた男性が教壇に立ってそう声を上げた。
歳の頃は30前後といったところだろうか。
しかしこの世界での外見年齢は当てにならない。それも加味して考えると父と同世代くらいか少し上かもしれない。つまり60代ということだ。
少し癖のある柔らかそうな亜麻色の髪を短く刈り込んだ美丈夫である。
あの髪質は将来ハゲそうだな、と一瞬思ったが、そういう目で見続けるのも失礼だろうと思い目をそらした。
「いない方はいないようですね。よろしい。
皆さん、初めまして。紹介が遅れてすみません。私の名前はフランツです。フランツ・ヘルバーリア。ヘルバーリア伯爵家の次男坊です。
これから皆さんのクラスの担任教師としてお付き合いさせていただく者です」
フランツがそう言うと、何名かの学生が馬鹿にするように鼻を鳴らすのが聞こえた。
このクラスは伯爵家以上の子女が集められている。つまり、伯爵家というのはこのクラスにおいて最底辺の爵位ということだ。しかも先生は次男であり、爵位を継ぐ事はおそらくない。
鼻を鳴らした学生は伯爵よりも上の家の人間なのだろう。
教師という目上の人間が話しているというのに、周りに聞こえるように鼻を鳴らすとは実に美しくない行ないだ。
当然それはフランツの耳にも入る。
「歓迎してくれているようでなによりです。入学要綱にも書いてあったと思いますし、おうちの方にも言われているかと思いますが、学内では爵位よりも役職の方が重要です。私は教諭ですから、新入生の皆さんよりも立場が上です。本日は初日ですので口頭注意にとどめますが、卒業後のご自身の進退も考えるのでしたらよくよく考えて行動した方がいいかと思いますよ」
にこにことした表情のまま、フランツは優しく諭すように言う。
ペナルティを与える前に忠告してくれるとは何と慈悲深い教師だろうか。彼が担任なのは幸運だと言える。
そんなフランツの態度が気に入らないのか、鼻を鳴らした生徒は不機嫌そうに彼を睨んでいる。しかし何か声を上げたりといったことはしなかった。教職員の不興を買うな、とでも親に言われているのかもしれない。もう手遅れな気もするが、フランツの優しい言葉が本心なら今日のところは見逃してもらえるはずだ。
いくら立場は学園内で定めた物が優先されるとは言っても、それは学園内でのみ通用する話であって、学園の外では何の意味もない。
しかし、王立学園という権威は学園の外でも消える事はない。
学園の教職員となれば、この国の要職にある全ての者に教育を施した名誉ある者たちであり、国王と言えども無下には出来ない存在である。
ゆえに学園の外であっても、これを貶める行為は看過されない。
もちろんそれだけが理由ではない。卒業してからも家の爵位よりも自身の立場が物を言う場面がある。
王城や各地の役所に勤める事になった場合などだ。
王城では主に王家直轄領の管理運営を行なっているが、王族だけがそれをしているわけではない。王族の下には数多くの官吏がおり、日々仕事を行なっている。
効率よく業務を遂行するためには組織力が不可欠であり、組織力を遺憾なく発揮するためには盤石な体制が必要になる。
そこでは主に仕事の出来やこの王立学園での成績によって昇進が決まるらしく、中には自分よりも爵位が低い者の下に就かなければならない場合もある。
そんな時、自分の方が爵位が上だからと強権を振りかざしていては仕事にならない。
そういった事を学園で学ばされるのだ。
これはトップである国王が多少無能でも国が崩壊しないようにと考えられたシステムであるらしい。
何代もかけて今の形にしてきたらしく、王家の並々ならぬ覚悟が感じられる。
つまりそれだけ国の崩壊と自分たちが引き摺り下ろされる事を恐れていたという事で、そう考えると利己的で生々しいが、結果的にインテリオラ王国は他国と比べても格段に安定した統治体制を敷いている。
というのがここ数日でグレーテルに聞いた話である。
マルゴー辺境伯領でも同じような話を聞いた事があるので、地方領主も従わされているようだ。
元が無能なトップをフォローするための仕組みである。領地持ち貴族であれば、長い目で見れば必ずプラスになる。従わない理由はない。
悲惨なのが領地を持たない貴族である。他の貴族制の国なら世襲になるような役職でも、この国ではそうではない。
かつてはお大尽様だった伯爵や侯爵でも、無能な者が後を継いだためにその職を追われる事になり、今は何の役も持たない貧乏貴族、というケースがちょくちょくあるらしい。
もちろん、優秀な後継ぎが現れれば学園で頭角を現す事で返り咲く場合もあり得るので、完全に終了したわけではないだろうが。
中には行政の世界に早々に見切りをつけ、自ら商売を始め成功している貴族もいるらしい。
そういう事情もあって、王都には領地貴族でも法衣貴族でも、騎士などの職に就く帯剣貴族でも何でもないただの貴族という妙な家がいくつか存在しており、爵位以上に貧富の差が激しくなっている。
教室を見渡してみても、伯爵家以上の子女のみが集められているクラスであるにもかかわらず、そして入学式典という晴れ舞台であるにもかかわらず、周囲に比べてみすぼらしい服装をしている学生がちらほらいる。彼らが多分そうなのだろう。
フランツはそれ以上音を立てる学生が居ないのを確認すると満足げに頷き、連絡事項の通達を再開した。
今日は式典なので各家も気合いを入れて準備して来ているだろうが、明日からは毎日続く平凡な日常が始まるので、服装はそれにふさわしい物にすることや、予め配布されている教材を忘れずに持ってくることなどが言い渡された。
「それでは皆さん。明日からは授業も始まります。貴族として恥ずかしくない成績を残せるよう頑張って勉強しましょうね」
◇
「ミセル、私はお兄様の従者に挨拶だけしてから帰るけど、貴女はどうする?」
行きは王家の馬車に同乗したが、ディーを乗せてマルゴーの馬車も来ている。式典も終わったし、別々に帰る事は問題ない。
私に限って有り得ないとは思うが、下手に王子の従者と話してボロが出ても面倒だ。
「私は別に王子殿下に用は無いので、先にお暇しようかと思います。従者の方には、グレーテルの方からよろしくお伝えください」
式典で気にかけてもらった事について礼のひとつも言うべきかとも思ったが、本人は上の学年だしおそらく授業中だろう。従者に礼を伝えるのならグレーテルから伝えてもらっても変わらないはずだ。本人には、後日手紙でもしたためて送っておけばいい。文面はきっとディーやブルーノあたりが考えてくれる。
「用は無いって貴女、言い方ってものが……」
そうだった。
彼は私よりも学年が上で、しかも学生会長閣下である。
この学園においては学年や役職が何より優先されると、優しいフランツ先生にも釘を刺されたばかりだ。
「失礼いたしました。
ゲルハルト学生会長閣下先輩に用はございませんので、よろしくお伝えください」
グレーテルはそれを聞くと、苦酸っぱいものでも口にしたかのような表情をして「まあいいわ」と言い残し、教室を出て行った。
さて、では私も教室を出てディーと合流して帰ろうか。
「──お待ちなさい、そこの娘」
貧乏貴族さんは傘張浪人みたいな感じです。




