1-2
申し遅れましたが、1章は全部書いてありますのでそこまでは毎日更新いたします。
その間に2章が書ければ引き続き毎日更新していきます。
マルゴー辺境伯領はその名の通り辺境にある。
国境の、魔物の領域と呼ばれる危険地帯に面しており、その領域から魔物が襲ってくるのを押し留める役割を担っている。
魔物の領域というのは、魔物と呼ばれる魔力を持つ生物が多く生息している地域の事を指し、大陸の至るところに存在している。
その中でも最大の規模を誇っているのがマルゴー辺境伯領の北に広がる大樹海だ。
そんな魔境から人類の住まう領域を守るのが我がマルゴー家の役割である。
ゆえにマルゴー家の保有する軍事力は国内有数のものであり、方向性こそ違えど規模だけならば王国騎士団にも匹敵する。
個人的には、仮に戦力を数値化できるならば、国軍よりも我がマルゴー領軍の方が上であると思っている。
日々実戦を経験し、常に死と隣り合わせの環境で鍛えられた軍だ。平和な王都を守護するのが役割の王国騎士団とは比べるべくもない。
ただ、王国騎士団は基本的に人間を相手取る事を想定して訓練しているという。
そうであれば直接戦えばどうなるかはわからない。マルゴー領軍は対人訓練はしていない。
危険地帯にほど近いマルゴー辺境伯領には、文明由来の名産品はあまりない。
もっぱら魔物から得られる素材を取引の材料として生計を立てている形だ。
当然ながら貴族向けの観光産業も発達していない。
此度の縁談、相手の家が何を狙っているのか不明だが、そんなマルゴー家から引き出せるメリットとして考えられるとすれば、その強大な軍事力か魔物の素材が生み出す富かどちらかだろう。
ただどちらであったにしても、表向き正規の姫であるフィーネに縁談を持ちかけた方がいいに決まっている。
実際フィーネには幼いころから多数の縁談が来ているという。今のところはフィーネがまだ幼い事もあり、家としての判断で全て保留にしてあるらしいが。
相手はなぜ、敢えて病弱という瑕疵のある私を望んだのだろう。
「──こちらです。お嬢様」
私を先導していたクロードが扉の前で止まった。
応接室である。
こちらは家人のごく私的な客へのもてなしに使う方の部屋だ。
公的な来客用の応接室は別にある。縁談を持ってきた使者と話すのならそちらの方だろう。
今、この応接室に待たせているのは別の者だ。
ノックしたクロードが扉を開け、私を促す。
部屋に入り、先ほど父にしたように客に対して礼をする。
「お待たせしました。マルゴー辺境伯ライオネルが長女、ミセリア・マルゴーです」
「……あ、ああ、いや、そんなには待ってねえから、気にしないでくれ」
そこには若い男が4人、ソファで寛いでいた。
私の登場に一瞬呆けたように動きを止めていたが、すぐに皆席を立ち、胸に手を当てて頭を下げる。
これはこの国で目上の者に対する男性の返礼のポーズである。言葉遣いこそ荒々しいが、堂に入ったその様子は貴族と話す事に慣れている事をうかがわせる。
「……いや、しかし、この目で見るまで信じられなかったが……。なるほどな。こんなに美人なんじゃ、領主サマが溺愛しているって噂もあながち間違いじゃなさそうだ」
私を見て片眉を上げ、感心したように男が言った。がっしりとした体つきの、野性的な魅力のある男性である。いわゆるワイルド系イケメンというやつだ。この世界の人間は誰も彼も若く見えるので、もしかしたらチョイワルオヤジとかになるのかもしれない。
貴族と話す事に慣れている様子ながら、一方的に貴族を値踏みするかのようなその態度は少々いただけないが、クロードがそれを許しているということはマルゴー家とそれなりに親密な関係の者たちなのだろう。
父が言っていた、古い友人というのは彼らで間違いなさそうだ。
だとしたらやはりチョイワルオヤジ枠でいいだろう。
「お嬢様。こちらは魔物を専門に狩る傭兵チーム『餓狼の牙』の方々です。ゆえあって当家と懇意にしていただいております」
傭兵という職業には二種類ある。
ひとつは一般的な意味の、人同士の戦争で日銭を稼ぐ者たち。
もうひとつは人に仇為す魔物を狩り、その対価で生計を立てている者たち。
とはいえ戦いを生業にしている事に変わりはなく、呼び名としてはどちらも傭兵で、一般市民にはあまり両者を区別している者はいない。
チームというのは少人数で構成された傭兵のパーティの事で、人数が多くなると傭兵団とかクランとか呼ばれたりするらしい。
クロードの紹介によれば彼らは後者、魔物専門の傭兵だ。
ここマルゴー辺境伯領の環境を考えれば当然ではある。人同士で争っていられるほど平和な地域ではない。
実際のところどのくらい危険な場所なのかは、屋敷から出た事がない私には想像くらいしかできないのだが。
「よろしくな、お嬢サマ。俺はユージーン。チームリーダーだ。んでこっちから、サイラス、レスリー、ルーサーだ」
名前を呼ばれた傭兵たちが慌てて頭を下げる。ぼうっとしていたらしい。
というより、美しい私に見惚れていたのだろう。
こればかりは仕方がない事だ。私の魅力には、血縁でもなければそうそう抗えるものではない。
そこへ行くとリーダーのユージーンは大したものである。初見の時こそ目を見開いていたが、今は普通に話をしているからだ。よほど精神力を鍛えているのだろう。
「ゆえあって懇意に、って今執事さんから話があったが、とんでもない。俺たちゃ全員、ここの領主サマにでっけえ恩があってな。その縁もあって、まあ非合法とまでは言わないまでも、ちっと表に出しづらい仕事なんかも頼まれる事があるんだ。今回もそういう話だって聞いてる。
だから安心してもらっていいぜ。護衛はそんなに慣れてないが、お嬢サマの事は命に代えても守るし、余所で余計な事を話したりもしねえ」
クロードをちらりと見れば、彼はひとつ頷いた後、僅かに目を伏せた。
ユージーンたちの事は信頼していい。しかし、私の性別については何も知らせていない。
そういう意味だろう。
私が実は長女ではなく三男であるということは、父と母、そして家宰のクロードとその細君しか知らない。2人の兄も妹も知らない事だ。このマルゴー家のトップシークレットである。
本来ならば当人である私にさえ知らされる事はなかっただろう。生まれた瞬間からそう決められていたのなら、あえて性別について伝える必要はない。自分が女ではないなどと知らなければ、その境遇を嘆く事もないのだ。
しかし、幸か不幸か私にはおぼろげながら前世の記憶があった。
自分の性別と服装が一致していない事は明らかだった。ゆえに口をつぐむ事で私を騙す事は出来なかった。
両親はそんな私を、周りとの差で自然と気付いた天才児か何かだと考えているようだが。
ともかく、クロードの様子からするとこの傭兵たちは信用に値する人物のようだが、さすがにいきなりそこまで明かす事は出来ない、ということだ。
ただ、父が私との直接の接触を許したのであれば、最悪バレてしまってもこの者たちなら口外すまいと判断したという事でもある。
何しろ私はこれまでまともに他者と接した事がない。
家族とクロード、そして私専属の世話係のマイヤくらいだ。このマイヤがクロードの細君である。
いかに自分の異常性について自ずと気付いた天才児と言えど、経験のない事に関してまで力を発揮できるとは限らない。
実際は別に天才でも何でもないわけだが。
私の取り柄など、この美しさくらいのものである。
ところで先ほど本人も言っていたが、父が傭兵『餓狼の牙』を呼び寄せたのは私の護衛のためだ。
縁談を持ちかけてきた相手を調べるにあたり、これまで接触した事がない他人と多く接する事になる。その際に良からぬ事を企む者が居ないとも限らない。
何せ私は泣く子も黙る辺境伯、ライオネル・マルゴーが溺愛する愛娘なのだ。
噂によれば、マルゴー辺境伯は1人目の娘をあまりに愛しすぎるがゆえに病弱であると偽の噂をばらまいて嫁に出さないようにしている、らしい。
傭兵リーダーのユージーンが言っていた噂というのはその事だ。今、話の流れで彼から聞いた。
そんなわけで、どこの貴族の息もかかっていない、しかも信頼できる筋から護衛を用意してくれたというわけである。
これも父の、私に対する後ろめたさのようなものが為せることなのだとは思うが、こんなことだからそんな噂を立てられるのである。
ただ、この噂というのは少し気になる。
溺愛しているという程度なら、そんな噂がある事は私も知っていた。マイヤに聞いたことがある。当然彼女の旦那のクロードも知っているだろうし、ならば父の耳にも入っているはずだ。それはいい。
しかし、その溺愛レベルが「愛娘を病弱だと偽る」ほどだとされているのは初耳だった。
これはクロードも同様だったようで、僅かに目を見開いていた。
まあ、ある意味で領主に対する中傷とも取られかねない内容だ。領主やそれに近い人物の耳には間違っても入れられまい。父やクロードが知らなかったとしても無理はない。
この噂を前提とするなら、なぜ妹ではなく私を望んだのかという問題にひとつの答えが出せる。
つまり、辺境伯にとってより大切な娘と婚姻を結ぶ事で、辺境伯により大きな恩を売り付け、より大きな利益を受けようと考えているのだろう。
だが父とて噂は知らないまでも、その可能性を考えなかったわけではないはずだ。
これだけの事で私に調べろなどとは言ってくるまい。
「噂も知らねえってのは、ちょいと驚いたが……。箱入り娘ってな、そんなもんなのかね。
とにかく、これからしばらくは護衛を中心にお嬢サマの下で働かせてもらうって事になってる。
お嬢サマに危険が及ばない範囲でなら、だいたい何でも命令してくれていいぜ。もちろん、法に触れない前提だけどな」
「よろしくお願いします。頼りにしております。
ところで、法に触れないというのは、我が領の領法の事ですか? それとも国法の事ですか?」
「──くはは! こいつはいいな! すまねえ、箱入り娘ってのは撤回だ!
なかなかどうして、お父上にそっくりないい女じゃねえか! 見てくれだけじゃなくてな!」
何やらツボにはまってしまったようだが、何が良かったのかわからない。
私は単に、この領で施行されている法律しか知らないため国法に準じて判断されるとなると誤差があるかも、と考えただけなのだが。
「もちろん、このマルゴーの領法だ。俺たちが恩を感じてるのはお嬢サマのお父上であって、国王サマじゃあねえからな」
この歳になっても、親と同じ世代ってのはどうにも苦手だからな、とユージーンは言った。
現国王陛下と面識があるらしい。
一介の傭兵というには少々大物すぎる。
そんな人物を護衛につけて、父は何をしろと言うのだろう。