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学園を早退し、ディーの操る馬車に乗って屋敷に帰る。
カブトムシのタップダンスは帰路でもその激しさを増しており、一周回って逆に気にならなくなってきてしまったほどだった。喧騒の中にいると雑音を音としていちいち認識しなくなるような感覚である。
人間は慣れる生き物なのだな、と改めてしみじみ感じ──いややっぱりうるさいなこれ。
屋敷に戻った私は動きやすい乗馬服に着替え、気晴らしにサクラの世話をしてくる、とディーに告げてひとりで厩舎に向かった。
ここに母がいれば、早退の理由を厳しく追及されるなどしてただでは済まないところであったが、いなくてよかった。
馬の世話は専門の者を雇っているが、サクラは私かディー、ルーサー以外には懐かないので、餌やりくらいならともかくブラッシングなどの世話は出来る人間が限られる。
だから私がひとりでサクラの世話をしに行くのは割とよくある事だった。
それに貴族であれば自分の馬を大切にするのは当たり前だし、貴族自ら馬の世話をすることも珍しくない。
前世で言えばお金持ちが趣味で買った高級車を自分の手で洗車する感覚とかに似ていると思う。まあ、私にはお金持ちであった記憶はないし、高級車を所有していた記憶もないが。でも洗車をしていたような記憶はあるな。エピソード記憶はほとんど残っていないので、車好きのお金持ちだった可能性も僅かに無くもないはずだ。
厩舎でサクラのブラッシングをし、満足したところで馬用の鎧、バーディングを着せてあげる。
これは元々頭の立派な3本角を隠すために作ったものだ。チャンフロンという兜だけでは逆に目立ってしまうので、全身を鎧で覆うようにしたのだ。そのせいでサクラ自身がたいへん目立つ存在になってしまったが、逆に角だけに注目する人間は現れなかった。
そういう目的の鎧なので、普段屋敷の厩舎にいるときは全て脱がせて置いてある。
これも本来は貴族がひとりでやれる作業ではないが、ネラとビアンカ、ボンジリに手伝ってもらえばそう大変な事でもない。この中の誰が使っているものかは不明だが、サイコキネシス的な謎のチカラで鎧がふわふわ浮いてくれるからだ。
サクラにバーディングを装着すると、私はその場に転移用の渦を生み出した。
サクラ用の厩舎は普通のものよりかなり大きめに作られているので、サクラがくぐれるサイズの渦を生み出すだけの空間的な余裕がある。
厩舎が大きめに作られているのは、気に入らない者が世話に来るとサクラが無駄に歩き回ったりするせいだ。木製の建物などサクラは歩くだけで破壊してしまうので、最初から大きめに作るしか回避する方法はない。
私は颯爽とサクラに跨り、渦へと飛び込んだ。
というか、私が跨ったらサクラが勝手に飛び込んだ。
◇
龍脈の気配を追って、渦を出た先は深い森の中だった。いや、深い森だったであろう場所だった、と言うべきか。
森に生えていたであろう木々は無残になぎ倒され、根本から掘り起こされていた。前世で言う、森林開発の現場を見ているようだ。
開発目的ではないらしいここは森林を破壊したまま放置されている。
このような大規模な自然破壊は今世ではお目にかかったことがない。
魔法やスキルで再現出来ないこともないだろうが、意味がないため普通はしない。
破壊したまま放置されているところを見るに、破壊それ自体が目的だったか、あるいは何かの余波で結果的に破壊されてしまったかのどちらかだろう。
小山のような巨大な魔物であればこうした事も可能かもしれないが、彼らも自分の住処を敢えて破壊するような真似はしないだろうし、余波でここまで影響が出るほど暴れる事もないはずだ。何故なら暴れるためには相手が必要だからである。
「……もしかして、暴れた魔物とその相手というのがヘラクレスオオカブトとコーカサスオオカブトなんでしょうか」
タップダンスは今も私の脳内で絶賛開催中である。
私はその気配を追って、暗がりの中サクラを走らせた。
ていうか、何かいつの間にか夜になっているな。感覚的には北に向かった感じがしたのだが、もしかして若干東にズレていたのかもしれない。時差というやつだ。
なるほど、転移で長距離を移動する場合は時差も気にする必要があるようだ。これ時差ボケとかもするのだろうか。移動は一瞬なのだが。
耕されてぼこぼこになった森の中を馬で走るのは無理がある。
ただでさえ、サクラはバーディングによって重量が大幅に増しているのだ。まあ私やビアンカたちも乗っているが、こちらは誤差レベルなので問題ない。
そこでボンジリに頼み、空中に空気の層で作った道を生み出してもらう事にした。
以前に練習させた、力技の防音結界と原理は同じである。
鎧込みだとおそらく1トンは軽く超えるだろうサクラの体重を支えられるか不安だったが、低空で試したところ全く問題無さそうだった。
サクラが走っても大丈夫そうなのだが、これ本当にただの空気の床なんだろうか。
通常、人間が全力疾走する場合は、だいたい身長と同じ高さから落下した時と同じ程度の衝撃を地面に与えているらしいが、馬はどうなのだろう。
馬の体重と蹄、人の体重と人の足裏面積の比率とを考えると、とんでもない衝撃が空気の床に集中している気がするのだが。
この床、実は私が見たことある中で最も硬い結界なのでは。
まあ、結果的に出来ているんだから別に何でもいいか。
それより、この暗闇の中でまったく視認できない空気の床を躊躇いもなく踏み抜けるサクラの度胸に頭が下がる。
なんとなく、うっすらとボンジリに対する絶対の信頼感のようなものを感じるのだが、だからといって中々出来ることではない。
サクラも大丈夫そうだし、床も大丈夫そうだし、荒れた地面だけを避けているのはもったいないので、いっそのこと森の上空を走らせる事にした。
こうすれば荒れた地面も、倒れた木々も倒れてない木々も全て無視する事ができるし、何より見晴らしがいい。
そうは言っても夜だし星くらいしか見えないかな、と思っていたのだが、少し離れた場所で驚愕すべき光景が繰り広げられていた。
赤く輝く異形の巨人が、黄緑色の血管が浮いたさらに巨大な腕にバラバラにされるところだった。
巨大な腕は見事な筋肉に覆われ、腕毛がみっしりと生え──いや、あれ腕毛じゃなくてよく見たら木だな。耕された森の大地が腕の材料になっているのか。
その瞬間、自然と察した。
あれがヘラクレスオオカブトとコーカサスオオカブトだ。
どうやらタップダンスバトルはもう終盤らしい。
早退するのが遅すぎたみたいだ。
いや、ブラッシングに時間をかけすぎたせいか。
タップバトルとラップバトルって似てますね。
そういえば先日、小学生が自転車で走りながらラップバトルをしていました。ライディングラップバトルですね。
「HEY! YO! オマエはウンコ! ウンコ!」
「オマエこそウンコ! ウンコ野郎!」
小学生なりに全力でバトルしてるな、と思いました。
作り話かと思われるかもしれませんが、実話です。
会社のそばだったんですが、この辺すごい地域だな、と思いました。




