2-8
入学式典と言っても、パイプ椅子に座って校長の長い話を聞くわけではない。
そう思っていたが、意外とそうでもなかった。
式典は来賓の紹介から始まった。
次に名目上の式典主催者である学生会長ゲルハルトの紹介、それから教職員の紹介。
教職員の紹介は学園長が大トリになっており、そのまま流れで学園長のスピーチに移行した。
これがまた長かった。
パスカル・ペルペンロートと名乗った学園長は自身の経歴から語り始め、そこから次々に話題を派生させていった。
最初は主に研究していた題材を告げ、次にその研究の成果を話し、それが認められるまでの苦難の道のりと、認められてからの栄光の日々を語り。
その功績によって学園を任された事、学生たちの成長を見守る事の喜び、それが自分の生きがいであると気付いた事、しかし生きがいとは別に人生には趣味などの余裕も必要である事、現在の趣味はボトルシップを作る事、どれだけ充実した人生であろうとも悩みは必ずある事、現在の悩みはひ孫にお口臭いと言われる事……。
あまりに長く、だんだんとどうでもいい内容にシフトして行ったため後半は聞いていなかった。
そして私は生まれ変わって初めて体験する事になった。
そう、立ったまま眠ってしまう、という失態を。
一瞬の浮遊感と同時に落下するような根源的な恐怖を覚え、覚醒するが早いか無意識に近くの物にしがみ付いた。
しがみ付いたのは隣にいたグレーテルの腕だった。
「えっ、ちょ、な、何!? ミセル!?」
「……あ、申し訳ありません。一瞬意識が──」
「え、貴女大丈夫なの?」
もちろん大丈夫だが、まさか堂々とちょっと寝落ちしましたとも言えず、私は口ごもった。
「──ミセリア嬢!」
と、そこへゲルハルト王子が颯爽と現れた。
ゲルハルトはグレーテルとは反対側から私の腕を取り、体を支えた。
「大丈夫か!」
「え、ええ。大丈夫です。少しその、立ちくらみが」
「それはいけない!」
人の話の途中で寝落ちするのは確かにいけないことだ。すみません。
「学園長! 体調不良者が出ました! 申し訳ないが、スピーチは一旦中断していただきたい! 私はこの令嬢を医務室へ──」
「お兄様が式典を中座するわけにはいかないでしょう。学園長のスピーチも続きをお話し頂いて結構ですわ。ミセルは私が付き添います。
さ、ミセル。こちらへ」
「く……! いや、確かにそうだな。私には私のすべき事がある……」
悔しそうなゲルハルトを残し、私とグレーテルは会場を後にした。
しかしこれは、思いがけず私の病弱ぶりをアピール出来たのではないだろうか。
こういうのも怪我の功名と言うのだろうか。
◇
「……しかし、お兄様には要注意ね」
医務室へと向かう途中、グレーテルがそう呟いた。
「要注意、とは」
「貴女の事よ。さっき、あのタイミングで即座に現れたってことは、ずっと貴女の事を盗み見ていたって事よ」
「ああ、なるほど。つまり、私は彼に監視されているということですね」
彼もこのグレーテルの兄である。
当然、優秀であるべき王族の血を引いている。
マルゴー家と懇意であるアピールをするよう指示されてはいても、独自の判断でこちらを探ろうとしているのだろう。
あるいは、マルゴー家が王家と手を組むに値するだけの力を持っているのか量ろうとしているのかもしれない。
「……監視って言われると、何か逆にちょっとお兄様の変態度が上がる気がするわね。盗み見の方がまだ可愛らしい気がするわ」
どちらでも同じ事だと思うが。
「ところで、ゲルハルト殿下はグレーテルの事は? あと私の事は?」
「どちらも知らされていないわ。知っていれば私が気を揉む事もないのだけれど……」
であれば、やはり学園内では言動に気を付けなければならない。
黙っていれば私もグレーテルも見目麗しい令嬢にしか見えないし、これでも14年やってきたのだ。ボロが出るとしたらお互いの事を話している時くらいだろう。
幸い、王族2人のおかげで病弱であるアピールは出来たと言えるので、あとはこのイメージを崩さないよう立ち回っていけばいい。
運動系の科目はすべて見学にし、座学も時々サボって医務室にでも行くとしよう。
そのためにも医務室の場所は覚えておく必要がある。
「ところでグレーテル。今日入学したばかりなのに、医務室の場所なんてもう知っているんですね。さすがです」
そう言うと、グレーテルは足を止めた。
もたれかかったまま歩いていた私も釣られて足を止める。
「……ミセル。重要なのは観察力と思考力よ」
「え? ええ、まあ時と場合によるとは思いますが、だいたいの場合はそうでしょうね……?」
「医務室と言うのは通常、怪我人や体調の悪い人間が運び込まれるところよ。体調不良ならともかく、怪我であれば屋内よりも屋外の方が可能性が高い」
「確かに、屋内なら怪我をしないとは言いませんが、怪我をするとしたら座学よりも運動系の科目の方が可能性は高いでしょうね。そしてこの学園の運動系の科目はすべて屋外を前提に構築されているようですから、おっしゃる通りでしょう」
「であれば、合理的に考えて医務室は1階にあるはずよね。そして屋外とのアクセスがしやすい場所、つまり正面玄関か通用口の近くにあると考えるのが妥当……」
「もういいですわかりました。知らないんですね」
「今は、ね。けれど、この私の──」
「あ、そういうの大丈夫です。お疲れ様でした」
「君たち、そこで何をしているのかな。新入生だろ。まだ式典は終わっていないはずだよ。なぜ会場から離れた廊下でイチャイチャしているの」
◇
「……知り合い、だったのね。
貴女、領地の屋敷から出た事ないとか言っておいて、意外と顔広いじゃない」
「領地の屋敷からほとんど出た事がないのは事実ですし、知り合いが少ないのも本当ですよ。彼はたまたま知り合った、マルゴーの傭兵の方です」
「ま、今は傭兵稼業はお休みして、ここで非常勤の治癒士をしているんだけどね」
廊下で立ち往生する私たちに声をかけてきたのはあの『餓狼の牙』のヒーラー、ルーサーだった。
「ご無沙汰しております。ルーサー様。ところで、なぜおひとりで学園に? もしかして、パーティを追い出されてしまったのですか? 実はユージーン様に不当に安い給料でこき使われていたとかで、自分たちは怪我なんてしないからヒーラーは必要ないと──」
「いやいや、待って待って。どこの冒険小説の話だいそれは。
お嬢も知ってるでしょ。今、サイラスとレスリーがアングルスでアルバイトしてるんだよ。で、さすがにユージーンと僕の2人じゃ仕事にならないから、いっその事パーティは休止にしてしばらく別々に活動しようって事になっただけだよ」
「そうだったのですね」
よかった。追放されて覚醒して成りあがって元パーティに復讐するヒーラーなんていなかったんだ。
「……傭兵がアルバイト? ちょっとミセル、大丈夫なのこの人。副業の方が稼げるなんて、よっぽど駆け出しの傭兵くらいよ。そんな人たちと同じパーティだったんなら、この人もそういうレベルなんじゃないの? そんな人が非常勤とは言え王立学園の治癒士に採用されるなんて有り得ないし、もしかして書類の偽造とか悪い事に手を染めてるんじゃ……」
『餓狼の牙』の実力はこの目で見て良く知っている。彼らは一流だ。
私は反論しようとしたが、そういえばルーサーのヒーラーとしての実力はよく知らない。あの時は誰も治療が必要なほどの怪我なんてしなかった。ナイフ投げの腕ならば一流と言って差し支えない水準だったが、あれは治癒士に必要な技能ではないだろう。
「まさか……」
「え、お嬢もそんなこと思ってるの? ひどくない?」
「ていうか、そのお嬢って何なの? ちょっと馴れ馴れしくない? ただの知り合いでしょ貴方たち。社会生活において距離感って大切よ」
「いや、お互いにしなだれかかってイチャイチャしながら廊下を歩いてた君たちにだけは距離感について言われたくないんだけど!」
「あれは! 病弱なミセルを介抱してたからよ!」
「言い訳下手な子か! お嬢が病弱なわけないでしょ! どこの世界に馬車を飛ばして王国縦断する病弱な令嬢がいるんだい」
「そん──待って、何それ! そんな事してたの貴女!?」
これから毎日入り浸る事になるかもしれない医務室に知り合いがいてくれるのは実に心強い。
ルーサーならば私が病弱ではない事も、父の指示で病弱であると触れを出している事も知っている。その理由までは知らないだろうが、何も知らないよりはいい。




